マリーアントワネット⑦ 「首飾り事件」~評判を落とし、革命の導火線ともなった有名な事件の内容の詳細。問題のネックレスの価格や価値、デザイン性についても画像満載で検証します。

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ジュエリー(宝石)

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マリーアントワネットの生涯(人生)についてご紹介していますこちらのブログ、

今日は彼女の人生の一つの転機として有名な『首飾り事件』についてご紹介してみたいと思います。

 

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マリーアントワネットの生涯① 幼少時代~ウィーンの宮廷での生活とモーツアルトからのプロポーズ♪母マリアテレジアの方が美女だった!?

 

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マリーアントワネット③ 王太子妃時代~ 入浴や香水へのこだわりなど彼女がもたらした文化をエピソード満載でご紹介します☆

 

マリーアントワネット④ こだわりのお洒落~ ドレスやファッション、性格や人柄を画像満載で徹底分析☆

 

国費を湯水のように浪費し、毎日のように遊び歩いて民衆の貧しい生活など全く理解しようとしなかった王妃マリー・アントワネット。

彼女のこうした勝手気ままな贅沢行為は、次第に民衆の間でも噂となります。

いつしか民衆は、彼女のことを『赤字夫人』とか『卑しいオーストリア女』と陰口をたたき不満と憎悪の対象になっていきます。

 

例えば、1775年に描かれたマリー・アントワネットの絵画は、威厳があり美しいものもありますが・・・

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モンスターとして風刺される風刺画が多く出回りました。

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そしてついに、彼女の身についのあの有名な「首飾り事件」が降りかかります。

そして悪いことに、このことが民衆からのアントワネットへの憎悪がさらに拍車をかけることになるのです。

 

 

◆歴史に残るマリーアントワネットの首飾り事件とは?

 

首飾り事件とは、ものすごく簡単に言うと(概要)、

マリーアントワネットが詐欺師らに勝手に名前を使われ、巻き添えを食らったにもかかわらず、世間はそう思わず、思わぬ方向へと発展していってしまったという事件です。

フランスの民衆たちは彼女を騙した詐欺師たちよりも、アントワネットこそが悪いと口々に罵り、結果的に彼女の評判を地にたたき落として革命の導線にもなってしまったともいえる歴史的事件となります。

 

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こちらは池田理代子さんの漫画『ベルサイユのばら』の首飾り事件勃発のシーン。

さすが劇的に描かれています。

 

では、早速このマリーアントワネットをおそろしい悲劇のただ中へつきおとす元凶ともなった『首飾り事件(1785)』を詳しく見ていきましょう

 

この事件は先ほども述べましたが、直接はアントワネットとは関係のない、王妃の名を語った詐欺事件に過ぎません。

ですが、王妃が160万リーブルという途方もない高額のダイヤの首飾りを購入するという話自体が一人歩きする結果となり、これまでの彼女の『浪費家で淫蕩なオーストリア女』というイメージを民衆に焚きつけることになったのです。

 

160万リーブルという金額は現代の250億円以上の価値に匹敵します

この事件はフランス全土を駆け巡り、彼女の誹謗中傷で埋めつくされたパンフレットや風刺画が町中に出回り、飛ぶように売れたといいます。

 

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皆さまももうご存知のとおり、宝石に目がないマリー・アントワネット

彼女は宮廷御用達の宝石商ベーマーという宝石商から、ルイ16世には内緒で豪華な宝石を度々購入していました

マリー・アントワネットが生きていた18世紀、ダイヤは今よりずっと高価なものでした。(1720-50年頃で全世界でまだ30万カラットの産出量しかありませでした。ちなみに現在は、1億2000万カラットほどだそうです)。

 

そんな中、ベーマーと宝石工バッサンジュの二人は、ダイヤの総数540粒を使用し、

そのダイヤは小さいものでも3000年以上時を経たもののみを使用、

ベーマーが八方手を尽くして1粒1粒を探し求め、バッサンジュが丹念に研磨して細工を施したという、本当に豪華で贅を尽くしたとんでもない値打ちものの首飾りを制作したのです

 

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二人の宝石商
右ベーマー、左バッサンジュ。

 

この首飾りは、ベーマーがかつて、国王ルイ15世が愛人のデュバリー夫人のために購入してくれるだろうという見込みだけで作成されていたといいます。

 

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こちらは首飾りのデッサン画。

 

しかし、ルイ15世が亡くなり愛人であるデュバリー夫人も没落。

首飾りの購入が難しくなってしまったため、アントワネットに狙いを定めたのです。

確かに、このレベルの首飾りの売り先は王妃であるマリーアントワネットしかいないでしょうね・・・。

 

◆こちらがその王妃の首飾りの復元になります。(ステファンマラン)

 

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この首飾りに使われているダイヤモンドはトータル2800カラット
そして現在の価値にすると200億円

20カラット越えのイエローダイヤモンド「バローダの月」の価格が1億5000万ということを考えると、本当に破格のお値段ですね。

 

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こちらのバローダの月(ザ・ムーン・オブ・バローダ)は、24.04カラットのダイヤモンド。
満月を思わせるカナリア・イエローのカラーで、ペアーシェイプ(洋梨型)にカットされています。
インドのバローダ地方の藩王(マハラジャ)、Gaekwad家が所有していたダイヤモンドで、

一時は、マリーアントワネットの母であるオーストリアの女帝マリア・テレジアのものとなっていたこともあります。

 

その後、幾多の伝説を経て、映画「紳士は金髪がお好き」の有名なワンシーンで、
マリリン・モンローが「バローダの月」を身につけ、
「ダイヤモンドは女の子の一番の友達・・」と歌ったのです。

 

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誰もが見覚えのあるマリリンモンローのお写真ですね

 

アントワネットの首飾り事件にお話を戻しましょう

 

 

私はジュエリーが大・大・大好きなので、この首飾り事件のネックレスは以前から何度も何度も画像を見ているのですが、皆さまも再びこの首飾り、ちょっと注目してよく見てみてください

 

素敵~ちょっとつけてみようかなって・・・

でも一体、このネックレスはどうやってつけるのか全然イメージ出来なくないですか

これをどう首に巻くのかよくわからないのですよ

 

とにかくこちら、デザインが不可思議です。

ネックレスの上の連と下の連の長さのバランスが、どうもおかしくないでしょうか?

何か、長さがアンバランス・・・
この首飾りが、一体どう女性の首元を美しく飾ってくれるのか?

想像がつきにくくないですか?

なにか?どこか?納得のいかないデザインだと思うのです

 

ジュエリーには一定のこだわりをもっている私。

このネックレスのデザインの納得いかない部分を解明していきたいと思います

 

●留め金がリボン結び
この首飾りは最初見た画像で一本でできていると思い込んでいたのですが、レプリカをよ~く見ると実は2本組のデザインのネックレスだったのです。

 

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この画像だと上の連と下の連がくっついているように見えませんか?

 

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でもレプリカの実物を見てみると二本にセパレートしているようなのです

その二本の首飾りを、なんと、後ろで留め金ではなくリボン結びで固定するデザインなのです

 

これほどのネックレスをリボン結びって・・・どうなの

現代もハイジュエリーは多々ありますが、
200億円もの価値がある首飾りをリボン結びで留めるって絶対おかしくないですか?

 

当時も時計などは精巧に作られていたので、留め金をつくる技術がないという問題はありえないはずなのに・・・一体どうして?なぜリボン

リボンはほどけることありますし、落ちたら大変じゃないですか

高級感っていう意味でもなぜリボン?って思っちゃいませんか?

 

 

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この首飾りの再現されたものは、現在ブルトゥイユ城に展示されています。

 

 

●いくらなんでも重すぎない・・・?

このダイヤモンドの首飾りはトータル2800カラット

その重量は計算してみると簡単にわかります

 

ダイヤ1カラットは0.2g。なので、2800カラットだと560gになります。

560gっていうと、ペットボトル1本分より重いってことなのですよ

 

以前私はパリのグランサンクのブシュロンで『デリラ』という金のネックレス(というよりラリエットですね)を購入したことがあるのです。

 

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こちらがブシュロンの『デリラ』です

ピンクゴールドが帯状になった長~いネックレス(ラリエット)なのですが、結んだり、マフラーのように首に巻きます。

 

こちらの重さがたしか130gだったと思うのですが、あまりの重さに肩こり、首こりになってしまい、顔色が悪くなっちゃうレベルの重さ

耐え切れず、結局登場回数が減り、結局は売却してしましました

 

130gでそんな感じなのに、560gって・・・

そんなもの女性が首に巻いて、一体誰が我慢できるというのでしょう

宝石商のベーマーはそういうことを一切考えて作らなかったのかしら・・・って思いますよね?
そういう点でも、本当にこのネックレスは一体どういう意図で作られたのかと疑問が深まります・・・

 

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●デザインの美的センスは・・・?
18世紀フランス宮廷は本当に洗練された服飾や宝飾の文化を持っていました

そのことは、以前ブログでもご紹介しましたが、マリーアントワネットのドレスなどを見てもよく分かりますよね

 

ですので当時のジュエリーの「デザイン」に至っては現代のジュエリーと比較して見ても、十分に洗練されていたといえます。(カッティングの技術はまだまだでしたが。)

 

ですが、この首飾りのデザインはどうでしょう?

果たしてこのデザイン、女性を美しく見せることができるのかしら・・・って疑問に思いませんか?

 

ちなみに首飾りをつけるとこんな感じになるみたいです。

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この首飾り事件を映画にした『マリーアントワネットの首飾り』

もはやネックレスにすら見えない・・・。

 

おかげでつけた感じはイメージできましたが、やっぱり案の定、アントワネット役を演じた女優ヒラリースワンクのデコルテを全く美しく見せていないと思いませんか

 

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ゴテゴテしすぎてデコルテの美しさも、ドレスのデザインもなにもかも殺してしまっている・・・。

 

このダイヤモンドの首飾りのルーツは先ほども述べましたが、ルイ15世が愛妾だったデュバリー夫人のためにオーダーしたものです。

ですが彼の崩御により、売買が宙に浮いてしまったというもの。

 

そう考えると、これは国王の愛人のために『とにかく徹底的に豪華な首飾り』をと、

あるだけのダイヤモンドをかき集めて、とにかくトータルカラット数を上げて、

贅を尽くした豪華なネックレスにするということだけに専念して作られた首飾りのようにどうしても感じてしまうのです。

 

そこには女性の首や肩が、重いものに耐えられない細く華奢で繊細なものだという事も、

ドレスのデザインを損なわず、相乗効果としての美が現れるようにとも、

ジュエリーのデザインとしてとても大切な配慮が全くなされていないような気がします。

 

つける女性のことを全く考えずにつくられた首飾り。

マリーアントワネットもデュバリー夫人も、もしもこの首飾りを国王からプレゼントして貰っていたとしたら、数回は着けてみたいと思うかもしれません。

 

ですが、すぐに首と肩がバッキバキに凝ってしまって、顔色もさえなくなる。

または、財力は誇示できても女性を美しく飾ってくれないようなこのネックレスを、

美意識の高い彼女たちが喜んで愛用したとは私には到底思えません

 

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デュバリー夫人

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デュバリー夫人① 『べルサイユのばら』でお馴染みのルイ15世の愛妾。その性格や過去の人生、宮廷生活、マリーアントワネットや首飾り事件にまつわる因縁とは?

 

デュバリー夫人② ヴェルサイユ宮殿を追放された後の人生は?元フランス王の愛妾がフランス革命に翻弄され、断頭台(ギロチン)で処刑されてしまう悲劇の最期。

 

私ももしこちらをプレゼントされることがあったら(生涯ないでしょうが・・・)、

ラモット伯爵夫人(詐欺師グループの首謀者)と同じように、すぐにバラバラにしてもっとデザインが美しく、着けやすいネックレスやブレスレットなどのジュエリーにリフォームするでしょうね

または、仕方ないからインテリアとして壁に飾るかも知れません

 

 

◆首飾り事件王妃の悲劇の引き金に・・・?

 

首飾り事件の内容に戻ります。

ベーマーはこの首飾りをつくるために多額の借金をしていました。

ですので、どうしても王妃に売りつける必要がありました。

 

そんなところに、アントワネットが首飾りを購入するという情報が入り

慌てて情報元のロアン枢機卿の元へ走ります

 

そして、アントワネトの署名が入った売買契約書を見せられるのです

各項目の横には『承認』と記され、『マリー・アントワネット・ド・フランス』と署名されていました。

王妃が署名するときは、洗礼名しか書かないことは誰もが知っていることだったにも関わらず・・・

そこで、4回の分割払いで代金を納めることになり、首飾りをロアン枢機卿に渡したのです。

 

かつてウィーンの宮廷でマリア・テレジアの不興を買ってしまったロアンは、アントワネットにもとても嫌われていたのです。

ですから、ロアン枢機卿はネックレスを介して、なんとかマリー・アントワネットに取り入ろうとしていたのです。

 

しかし、宝石商ベーマーが聞いていた第一回の支払いの期限が来てもお金が支払われる様子はありません。

そこでベーマーは1回目の支払い請求のため、ヴェルサイユ宮殿に赴きアントワネットの側近のカンパン夫人に「恐れながら…」と首飾りの代金を請求すると、そんな話は寝耳に水なのでびっくりされてしまいます。

『詐欺にあったのですよ。王妃は首飾りを受け取ってはいません。』という答えが帰ってきたのです

そこで初めて実際にはアントワネットが首飾りを購入してない事実が判明します

 

事件を耳にしたマリー・アントワネットは、自分が毛嫌いしているロアン枢機卿から宝石など買うわけがないと当然激怒しました

事件の首謀者はロアンで、自分の名前を語って宝石を騙し取ったに違いないとルイ16世に訴え、ロアンは宮廷の鏡の間で逮捕され、裁判にかけられることになりました。

 

この事件に、フランス中が沸きあがりました

事件の中心人物が王妃と枢機卿ときたら、民衆は熱狂せずにはいられませんよね

 

寵愛の見返りとして首飾りを枢機卿に贈らせたのだとか、

枢機卿を利用して、宝石をうりさばいたお金をオーストリアに送っているのだろうなどと噂が流れ、『枢機卿は犠牲者、悪いのは王妃』だと噂されました。

 

枢機卿の一族は独自に調査を行い、彼が無実で、宮廷御用達女のラ・モット伯爵婦人が首謀者であるということをつきとめ、関係者が逮捕されました。

 

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ロアン枢機卿

 

当時ラ・モット伯爵夫人と自称する女性がパリの社交界に出没していました。

彼女は王妃マリー・アントワネットのお気に入りであるとの触れ込みでした。

 

ラモット伯爵夫人は、アントワネットに取り入りたいというロアン枢機卿を上手く利用して、自分の地位を向上させようと企みます。

王妃がこの首飾りを買い上げるという嘘を流し、宝石商ベーマーとロアン枢機卿との間を仲介することによって、自らの更なる出世を実現させようという・・・

 

ラ・モット伯爵夫人は大司教にいいます。
「実は今、パリに来ている宝石商が160万リーブルのダイヤの首飾りを持っています。
王妃がこれを買う意向なのですが、さすがに大金なのでお金を用意するのに時間がかかります。

そこであなたが王妃の代理としてこの首飾りを受け取って頂けませんか?
私が確かに王妃にお届けして、あなたのお願いの義もお伝えしますので」

 

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ラ・モット伯爵夫人

 

更には、王妃を語った偽の手紙を渡します。

『これまでのことは水に流して旧交を温めましょう』とする内容のもので、200通以上の手紙が2人の間で交わされたとされています

もちろん相手は王妃ではなく、偽の手紙だったのですが・・・。

 

ロアンは手紙だけでは物足りなくなり、直接王妃と会いたいと言い出します。

そこでラ・モット伯爵夫人は、マリー・アントワネットによく似た娼婦を用意し、月明かりの木陰の下で殆ど言葉も交わさない接見を果たしました。

 

王妃が自分に会ってくれた以上、王妃の欲しがっている首飾りを献上しなければいけない。

 

アントワネットと親しくなれると信じ込んだロアン枢機卿は、彼女が欲しがっている首飾りを手に入れなくてはと思い、

ルイ16世に事後承認させることとして、ラモット公爵夫人の準備した偽のアントワネットの署名入り契約書でベーマーから首飾りを受け取るのです。

 

そして、王妃に渡すということで、首飾りはロアンからラ・モット伯爵夫人へと渡りました

そして首飾りはバラバラにされて、フランスやイギリス各地に売りさばかれてしまったのです。

 

後に調べてみると、結局、ラ・モットなどという名前の伯爵夫人はそもそも存在せず、完璧な詐欺事件であったことが判明しました。

 

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こちらは池田理代子さん原作の『ベルサイユのばら』でのラ・モット伯爵夫人。

漫画やアニメではロザリーの腹違いのお姉さんという設定になっていましたね。

 

 

裁判の結果、ロアンは無罪になり、民衆からは『万歳』の声があがりました。

マリー・アントワネットは悔しさで泣き崩れ

結果を不服としたルイ16世も、裁判官を解雇、ロアンを修道院に隠居させてしまいます。

 

ルイ16世は、高等法院によって無罪を言い渡された枢機卿に対し、国王が罰を与えたことで、民衆はもとより、貴族からの支持も失うことになります。

 

ラモット公爵夫人は捕らえられて、監獄に送られるという結末を迎えます。

下の画像は、ラモット夫人が、泥棒を意味する焼き印をおされる場面の銅版画です

 

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事件関係者と共に捕らえられたラ・モット伯爵夫人は、泥棒の頭文字であるVのマークを両肩に烙印されました。

その後監獄に送られたラ・モット伯爵婦人は協力者のもとに脱獄し、ロンドンに亡命して回想録を何冊も出します。

 

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捕らえられていた監獄から脱出し、セーヌ川の船に乗るジャンヌ。

 

その内容は『自分は被害者である、事件の責任は全てマリー・アントワネットにある』としたものでした。

ラモット夫人は革命派的視点のため、被害者のような悲劇のヒロインのように銅版画に描かれていますが、実際は、ただの詐欺師ですよね。

 

この首飾り事件は、マリー・アントワネットの享楽生活の世評を逆手にとった、ラ・モット伯爵夫人を名乗る一人の女性が起こした詐欺事件でした。
ですがこれを機に、利用されたにすぎなかったマリー・アントワネットの名はさらに評判を落とすこととなりました。

 

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ど派手に着飾ったマリー・アントワネットとその子どもの風刺画。

 

民衆はラモット伯爵夫人に同情的で、益々マリー・アントワネットへの批判は高まっていきます。

民衆にとっては、誰が首謀者でもかまわなかったのです。

王妃を中傷するネタに過ぎず、この首飾り事件はフランス王政が揺らぐきっかけともなりました。

 

また、この事件に関してマリー・アントワネットには何の責任もないわけなのですが、

国民に大きな衝撃を与えることとなりました。
「王妃の名前を騙れば、そんな高額の買い物ができるのか?」
「国民がこんなに苦しんでいるというのに、王妃はそんな贅沢をしているのか?」
などといわれ、マリー・アントワネットへの憎悪の念が日に日に増していくのです。

 

彼女が演劇を見に劇場へ行くと、観客の中から激しいブーイングが起きます。

それから、彼女は劇場へ顔を出せなくなってしまいまうのです。

 

 

◆最期に肖像画の中の、マリーアントワネットが実際に所有していた首飾りコレクションをご覧ください

 

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ウィーン時代や王太子妃時代はチョーカータイプがお気に入りだったようで、度々登場しています

 

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豪華なネックレス~

ダイヤでしょうか?

 

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こちらの肖像画の胸と髪飾りに光るブルーの宝石はサファイアでしょうか・・・?

ブルーダイヤでしょうか・・・?

 

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パールのデザインは多数所有

 

ジュエリーがとても好きだったアントワネット。
中でも彼女がもっとも気に入っていたのはパールだったといいます。
現在のように養殖真珠がなかった時代、自然に育つパールは驚くほど高価でした

 

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二連パール

 

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三連パール

 

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大粒の一連の真珠のネックレス

 

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パールのブレスレットも

 

こちらは近年オークションにかけられたマリーアントワネット所有のジュエリーたち♡

パールやリボンモチーフも多数で彼女のガーリーな趣味がわかりますね♬

 

真珠の気品ある光沢は、透明感があるマリー・アントワネットの美しい肌にぴったりで、

彼女の多くの肖像画で身につけていることからも、いかに真珠に魅せられていたか分かりますね。

もちろんダイヤモンドやルビー、サファイアなどの華やかなジュエリーも多数所有していました

 

こちらはフランスの歴代王室の寵愛を受けてきた世界最古のジュエラー「メレリオ・ディ・メレー」のブレスレット。

もちろんマリー・アントワネットも顧客でした

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1780年頃、宝石商ジャン-バティスト・メレリオは、ヴェルサイユ宮殿の門の前で、宝石を宮殿に住む待女たちに見せていました。

ある日、王妃マリー・ア ントワネットが彼の宝石に目をとめ、ガーネットの花で繋がるローマ皇帝が彫られた7つのカメオのブレスレットを購入したのがこのブレスレットです。

 

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1786年、マリー・アントワネットは、ブラディ伯爵夫人にこのブレスレットを贈り、何人かの手に渡った後に240年もの時を経て、現在メレリオ・ディ・メレーのもとに戻ってきました。

素晴らしいジュエリーというのは永遠なのですね・・・

 

無類の宝石好きのイメージの強いマリーアントワネットですが、自分でつけるものよりも、周りの人にプレゼントするために宝石を購入していたことが多いのだそうです。

さすがマリーアントワネットらしい、太っ腹なエピソードですね

 

 

首飾り事件の首飾りは、マリーアントワネットの首飾りといいながら、彼女の首を飾ったことは無いのですけれど・・・。

 

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バービードールはつけています

 

子供の頃からジュエリーを身につけ、それに魅せられていた王妃でしたが、

そのジュエリー好きに付け込まれた大変な事件に巻き込まれてしまったのですね・・・。

 

次回のマリーアントワネットの生涯は、

マリーアントワネットの交友関係とお気に入りの美女をご紹介してみたいと思います。

↓  ↓  ↓

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