デュバリー夫人① 『べルサイユのばら』でお馴染みのルイ15世の愛妾。その性格や過去の人生、宮廷生活、マリーアントワネットや首飾り事件にまつわる因縁とは?

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この肖像画の優しげな風貌の美しい人、

皆さま誰だかおわかりでしょうか?

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彼女の名前はデュ・バリー夫人です
デュバリー夫人は、フランス国王ルイ15世の公式愛妾に上り詰めた美女です

ルイ15世といえば、ポンパドゥール夫人が愛妾として有名ですが、彼女の死後、

ルイ15世の晩年に愛妾になった人になります。

 

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こちらはポンパドゥール夫人の肖像画です

デュバリー夫人は池田理代子さんの漫画「ベルサイユのばら」にも登場していますから、ご存知の方、かなり多いですよね

漫画の前半でマリーアントワネットと熾烈なバトルを繰り広げた美女です
マリーアントワネット関連の書籍や映画などでは悪役として描かれることの多い彼女ですが、

実際の人物像はどうやら違うみたいなのです

歴史の中の本当のデュバリー夫人は一体どんな女性だったのでしょうか
早速彼女の人生をおっていきましょう

 

 

◆デュバリー夫人 生い立ち

 

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花の女神フローラに扮するマダム・デュ・バリー
フランソワ=ユベール・ドルーエ

デュ バリー伯爵夫人の本名はジャンヌ・ベキュ。

1743年8月19日生まれ。父親は不明となっています。

ポンパドゥール夫人は中流階級から愛妾にまで上り詰めた女性ですが、デュバリー夫人はそれ以下の出身で、どうやら私生児だったようです。

6歳のとき母に連れられてパリへ。
母のアンヌには、軍の食料調達商人でブルジョワ層の恋人デュムソーがおり、のちに再婚しています。

そしてジャンヌは9歳のとき、デュムソーのおかげでサント・オール修道院へ修道女として入ることができました
その間、語学、算術、歴史、音楽、デッサンなどを学び、15歳で修道院から出てきます。

 

ジャンヌはブロンドの長い髪がよく似合う整った輪郭に、優しげな淡いブルーの瞳、

その唇はいつも微笑んでいるかのように愛らしく、陶器のような光沢のある白い肌をもった、

大変な美少女に成長していました

当時のフランスの方々のお肌は、病気や貧困、衛生状態も極めて悪く、シミ、シワ、できものがかなり多かったようなのです

25歳の女性が60歳くらいに見えるとイギリス人が驚いていたという・・・

ジャンヌのような時代に白く美しいお肌、そして、何より素晴らしかったのは彼女の歯が全部はえそろっていたことです

やはりお肌同様に歯も無い女性が多かったというこの時代、ジャンヌのように真珠のように輝く歯をもった女性は本当に稀だったのです

 

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デュバリー夫人はお花に囲まれた肖像画が多いですね

 

当時、貧しい暮らしでありながら、ジャンヌはその美貌を注目され、若いころからかなり『危ない仕事』をしていたといいます。
というのは、彼女の記録を見る限り、貞操観念にはあまり優れていない人のようなのです

修道院を出てすぐジャンヌはとあるお金持ちの未亡人の侍女となりました。

未亡人の開くサロンで初々しく美しいジャンヌは、たちまちやってくる男性達を虜にしていきます

なかでも特に熱心だったのが未亡人の兄弟たち。

それを知った未亡人はジャンヌを解雇します。

 

その後、美容室ラメッツ、マダム・ラ・ガルドのコンパニオンなどを経て、

17歳の時、彼女の運命を変えることになるラビーユ経営のモード・サロン「ア・ラ・トワレット」で働き始めます
そのお店は高級な洋服の生地や仕立てをしており、そこで働くジャンヌの美貌はまたまた評判を呼び、愛らしい売り子ジャンヌを目的にお金持ちの男性たちが群がるようになったのです

 

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いつも男性にモテモテのジャンヌ確かに可愛い

ジャンヌは休日になると店で知り合った男性をとっかえひっかえ、火遊びを楽しんでいました。
ジャンヌはとにかく男好きする恋多きフランス女性の典型で、このように少女の頃から男性遍歴をくりかえしていきます。

 

 

◆美貌で大モテ!ジャンヌ(デュバリー夫人)の運命の歯車が動き出します

 

男性遍歴が多かったジャンヌ、その数多の愛人の一人にルエ(極道者)と呼ばれるジャン・デュ・バリー子爵がいました。

デュバリー子爵に囲われてからは、彼の連れてくる男性とベッドをともにしていたそうです

 

悪名高いジャン・デュ・バリーは、優雅な生活と引き換えに、貴族や学者、アカデミー・フランセーズ会員などをジャンヌの相手として売春(高級娼婦)をさせます。

その客は貴族や大物ばかりだったので、ジャンヌはそのことで宮廷でも通用するような作法や会話術を身につけていったといいます。

そう、ジャン・デュ・バリーが家柄や教養のある男性をジャンヌに相手をさせた本当の目的は、ポンパドゥール夫人の後釜に据えるつもりだったのです

ジャンヌはジャン・デュ・バリー目論見どおり、社交界でも通用するような話術や立ち振る舞いを会得していき、彼の野望の道具にされた形でルイ15世の公式愛妾となるのです。

 

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国王ルイ15世
彼は美男子であり体格も良く教養に富んでいましたが、
政治に関心を持たず、もっぱら趣味の狩猟に興じる日々を送ったのだそう。
国民の支持を失った国王は亡くなっても葬儀は行われなかったといいます。

 

デュバリー子爵は、必ずルイ15世はジャンヌを気に入ると確信していたそうですが、

まさに狙い通り。

ポンパドール夫人を失くして癒しを求めていたルイ15世は魅力溢れる若いジャンヌの虜になりました

 

 

◆娼婦から上りつめ、ついにルイ15世の公妾に

 

そしてそこからデュバリー夫人は栄耀栄華を極めていきます

当時ジャンヌは花の盛りの25歳。

対するルイ15世は60代の高齢。

ルイ15世はジャンヌの持って生まれた明るく天真爛漫で快活な快活性格を愛し、ヴェルサイユ宮殿に住まわせることにしました。

 

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ヴェルサイユ宮殿

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ルイ15世とデュ・バリー夫人

 

◆ラッキーを掴んだデュバリー夫人ならではの人柄(性格)とは?

 

男好きのする美貌の持ち主であるということはよくわかりましたが、ジャンヌの性格もよくみていきましょう
彼女は底抜けに明るい性格の女性だったのだそうです

 

普通、最下層の出身でかつ娼婦まがいの経歴の女性の場合、

「国王のお相手なんて、私にはとても、とても・・」

と躊躇して辞退してしまいそうなものですが、天真爛漫な性分のジャンヌはすんなりと宮中へ上がってしまいます。

 

国王の公式愛妾は普通は貴族から選抜されるものでした。

デュバリー夫人の前の公式愛妾であるポンパドゥール夫人も、庶民出身とはいえブルジョワ階級の出身ですから、同じ庶民出身と言っても最下層の出身で娼婦まがいの生活までしていたデュバリー夫人は史上最低の身分の公式愛妾ということになるのです。

ですが、デュバリー夫人は出自こそ低けれど、きちんと修道院にも通っていましたし、その後の貴族や大物たちとの幾多の男性遍歴の中からマナーなどはしっかり身についていたようなのです。

宮廷での暮らしは作法など、通常の暮らしとは全く違います。

デュバリー子爵の思惑もあってか、多くの男性との恋愛過程で学んだ、ある程度の知識やマナーなどがデュバリー夫人の後の宮廷生活の助けになったようですね

 

 

でも、デュバリー夫人が公式愛妾にまで上り詰めた理由はそれだけではなく、

 

彼女の「底抜けの明るさと天真爛漫なおおらかさ」

性格による要素が大きいような気がします。

良くいえばあっけらかん。

悪く言えばなにも考えていない。
そういう性格だったからこそ、堂々と宮廷に上がり、その後も平気で楽しく暮らしていけたのでしょう。

デュバリー夫人の人生を見ていく上で、やっぱりそこが注目のポイントの一つです

 

『若さと可愛いさ』だけでは自信が持てず躊躇してしまうことってありますよね?

でも『若い美女』ってだけで、他に何もなくても実は最強だったりするんです。

合コンなんか行っても、アラサーになるとサラダ取り分けたり・・・

男性に『気が利く女性』っていう面もアピールしなきゃってとこ出てきますが、20代の若い女子ならただお酒だけ飲んでるってだけでもちやほやされてモテモテみたいな感じってないでしょうか?

 

哀しいですが男性って本当に女性の若さに弱い生き物なのですよね・・・。

若さってやっぱり特権なんだと思います。

なので、あなたが今若い美女なら、変に遠慮せず、天真爛漫にめぐってくる色んなチャンスを掴んでみましょう

そのことでデュバリー夫人みたいに、全く考えてもいなかったような、素晴らしい人生へのいざないがあるかもしれません
ヴェルサイユでルイ15世を自分のものとしたデュバリー夫人。

でも、彼女は政治には全く興味がなく関わらなかったようです。

彼女は『ただ綺麗に着飾って、美しいもの囲まれて暮らし、遊んでいたいだけ』という性質の女性でした。

ここらへんが以前の寵姫、知的で野心的だったポンパドゥール夫人と大きく違うところだと思います。

年老いたルイ15世は女性に癒しを求めていたようですね

 

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デュバリー夫人 白くなめらかな肌、真珠のような歯、入浴して清潔な身体を
宝石やリボンやレースで飾り立てていました

 

◆ベルばらでも取り上げられたアントワネットとの宮廷バトルの真相

 

1770年、オーストリア皇女マリー・アントワネットがフランスへと輿入れしてきます。

マリー・アントワネットにとっては、国王にデュバリー夫人という愛人がいるということも驚きでしたが、それ以上に彼女が娼婦出身だということに大きなショックを受けました。

娼婦や愛人が嫌いな母マリア・テレジア女帝の影響を受けたアントワネットは、
デュバリー夫人の存在を徹底的に憎んだのです。

 

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オーストリア皇女、後のフランス王太子妃、マリー・アントワネット

かねてからデュバリー夫人の存在を嫌っていたルイ15世の王女たちも

アントワネット側につき、二人の対立を一層深めていきます。

 

身分制度を厳しく守る宮廷では地位の低い人から高い人に声をかけることはマナー違反。

デュバリー夫人がたとえ国王の愛を独占していたとしても、マリー・アントワネットは王太子妃であり、将来のフランス王妃となる人。
マリー・アントワネットから声をかけない限り、デュバリー夫人は挨拶することでさえ許されませんでした

 

宮廷ではアントワネットがいつデュ・バリー夫人に話しかけるのかで大いに盛り上がります。

マリー・アントワネットは当然のように、約2年間にわたってデュバリー夫人に声をかけませんでしたが、とうとうデュバリーがルイ15世に泣きつき、怒った王はオーストリア大使に圧力をかけます。
事は母マリア・テレジア女帝が「声くらいかけてやりなさい」という手紙を寄こすという事態にまで発展していきます

 

1772年1月、ついに元高級娼婦デュバリー夫人にマリー・アントワネットが声をかけ、事実上王太子妃を屈服させる日がやってきます。

アントワネットは仕方なく独り言のように、
「今日のヴェルサイユは大変な賑わいですこと」と言いました。
これがデュバリー夫人にかけた最初で最後の言葉であったそうです。

マリー・アントワネットは一度は話しかけたものの、その後もデュバリー夫人に対する冷たい態度は変わらなかったといいます

 

マリーアントワネットはともかく、

史実を見ていくと、デュバリー夫人は宮廷の人に結構好かれていたようです

実際のデュ・バリー夫人は、ベルサイユのばらで描かれていたような傲慢かつ意地悪な人柄ではなく、朗らかで親しみやすい女性だったそうです

 

同じフランス国王の愛妾でも、そこのところが先日ブログでご紹介いたしました

モンテスパン夫人(ルイ14世の公式愛妾。すごい美女ですが宮廷ですさまじく嫌われていました。 )と決定的に違うポイントですよね。

よろしければこちらのブログもどうぞ

↓  ↓  ↓

 

モンテスパン夫人 太陽王ルイ14世に愛された絶世の美女の人生とは?

 

 

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池田理代子さん原作の『ベルサイユのばら』でのデュバリー夫人。

漫画でマリーアントワネットが初めてデュバリー夫人を見たときの、

『なんて高慢ちきな態度でくじゃくみたいにあつかましそうに・・・すごい肉体美だけれど下品な女!』

というセリフがなぜか?すごく心に残っています。

 

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後ろの空気までもが不穏な感じに・・・

実際の彼女の肖像画を見たとき、漫画の中で描かれていたような傲慢な美人じゃないのに驚いたものです。

 

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こちらはソフィア・コッポラ監督の「マリー・アントワネット」(2006)でのデュバリー夫人。

アジア・アルジェントの怪しい魅力。

 

実際のデュバリー夫人は、とてもふんわりした優しい美貌の持ち主ですよね

 

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デュ・バリー夫人 ヴィジェ・ルブラン夫人画

愛嬌があって親しみやすいという性格がお顔にもよく表れていると思いませんか?

まぶたが半分眠ったように垂れ、
相手を催眠にかけるような話し方をする彼女には妖艶で優しい美しさに溢れていました

 

デュバリー夫人のような経歴を持つ女性は、ヴェルサイユの宮廷でものすごく苛めらたとしても至極真っ当な話。

実際にずっと彼女を嫌っていた人もいたようですが、宮廷内で味方が少しずつ増えていったようです。

マリーアントワネットもデュバリー夫人のことをずっと嫌い続けましたが、デュバリー夫人の方は彼女の欲しがっているネックレスを「私がプレゼントさせていただきます」と提案したり、誠意をみせていたようです。

 

 

 

そう、デュバリー夫人はやはりとっても優しくて、どんなことも水に流せるようなおおらかな気持ちの持ち主なのです

ここまで彼女の人生を見てくると、

『ちょっと怪しい感じはあるけれど・・・

でもデュバリー夫人って、なんだかいい人なんじゃないかしら?』

ってイメージが自然に沸いてくるって感じありませんか??

 

自分の身の丈に合わないほどの大きな幸運をあっさり受け取ってしまう天真爛漫な性格がデュバリー夫人の強みの一つですが、

その後は彼女のもう一つの強みであり魅力である

『人柄の良さ』

で次第に周りに理解者も増えていき、結果的に最下層の出身でありながら、ヴェルサイユの宮廷にしっかり自分の居場所をつくることができたのです

たとえ身分に大きな違いがあっても、その人の持つ人柄の良さ、そして自分の立ち位置をしっかり踏まえていれば、人はちゃんと心が通い合うものなのですね

 

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デュ・バリー夫人の私室でコーヒーあるいはチョコレートを渡すザモラ。
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魅力的な狩猟服姿のデュバリー夫人の肖像画。

 

 

◆デュバリー夫人のヴェルサイユの宮廷内での生活にもふれていきましょう

 

デュ・バリー夫人は目が覚めるほど美しく、自分の透き通るような白い肌の美しさに、

白いドレスがさらに輝きを与えることを知っていました。(かなり美意識が高く、自己演出にも優れていたようです。)

お気に入りのデザイナーローズ・ベルタン(ベルタンのドレスはアントワネットも夢中になっていましたね)に白いドレスを何着も作らせました

 

また、宝石にも目がないデュバリー夫人はダイヤ、ルビー、サファイア、エメラルドなどをいたるところにつけていました

 

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腕の立つデザイナーのドレスを着て、宝石をふんだんにつけたデュ・バリー夫人。

29歳の成熟した妖艶な魅力を頭の先から足の先まで漂わせていました

 

デュバリー夫人はもはや王妃の称号を持たない王妃に等しかったと言えます

 

 

◆彼女が残した美術品や芸術品の数々もご紹介してみます

 

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マルタン・カルラン作 デュ・バリー夫人のコモード 1772

こちら、マルタン・カルランが製作したマダム・デュ・バリーのコモード。

中央に描かれているのがフィルールの版画によって知られていた、ジャン=パティスト・パテール(1695-1736年)の「L’Agreable societe~楽しい仲間」で、左右を逆にしているのだそうです。絵付けはシャルル=ニコラ・ドダン。

ポンパドゥール夫人の陶器の絵付けも手がけています。

 

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こちらもマルタン・カルランの製作、

デュバリー夫人のペデステルテーブルに置かれていた円卓磁器です。

中央にはカルル・ヴァン・ローが描く「愛妾を前に演奏会を開く偉大なスルタン」が描かれています。

まわりの6つの絵柄は、アントワーヌ・ヴァトーの複製。

 

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首飾り事件のネックレスデザイン画

後のフランス革命勃発の一端にもなった事件である、マリー・アントワネットの首飾り事件のネックレス。

もともとルイ15世が宝石商に依頼し、デュバリー夫人への贈り物として注文されたものでした

 

大小540個のダイヤモンドからなり、価格は160万リーブル!
アントワネットは、デュバリー夫人のためにつくられたネックレスということで、

購入を躊躇しましたが、ネックレスの魅力に断り切れなかったなかったのかと思います。
その曖昧さに仲介を頼まれたラ・モット伯爵夫人は首飾りを自分のものにするため、画策し、首飾り事件が勃発するのです。

 

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「恋の成り行き」(1773年)4連作

ジャン・オノレ・フラゴナール

デュバリー夫人はルイ15世からの賜物であった「ルーヴシエンヌの館」の装飾画をフラゴナールに依頼します。

しかし新古典様式のお城に似合わないということで、フラゴナールに返却されています。

 

『ルーヴシエンヌの館』はパンティエーヴル伯(ランバル公妃の義父)が権利を放棄したあと、ルイ15世がデュ・バリー夫人に贈ったお城。

彼女はそこを1793年に処刑されるまで所有していました。

改装はアンジュ=ジャック・ガブリエルに依頼し、クロード=ニコラ・ルドゥーの手によって「愛の神殿」が造られます。

ジョゼフ=ニコラ・ギシャールが彫刻を施し、ジャン=バティスト・カニーの金箔とフランソワ・ラビットの布張りで装飾されました。

 

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フラゴナール「物思い」1790-91年

先ほどの4連作のあとに描かれた最後の1枚。

この女性がデュバリー夫人なのではないかということです。

フランス革命のなか、失墜したデュバリー夫人とブルボン朝、ロココ時代の終息を象徴しているのではないかと言われています。

 

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壊れた甕
ジャン=バティスト・グルーズ

有名な性教育的な意味を持つ少女の絵画。

デュバリー夫人が直接依頼したといわれている作品で、ルーヴシエンヌの館に残されていたものです。

 

美しい物を愛したデュ・バリー夫人は積極的に芸術家たちを擁護していましたし、

彼女自身も作品の質の高さを見極めるセンスを持っていました

彫刻も好きで、その当時の優れた彫刻家たちに作品を注文していたようです。

特にご贔屓だったのがオーギュスタン・パジュ。

芸術への執着はファルコネの「入浴する女」の出来上がりに、依頼したイメージと違うと壊させたりもするほどでした。

 

また、アーサー・ヤングのフランス紀行にデュバリー夫人に触れた日記も残されています。

1787年6月14日(トゥールズにて)
ほかに見物したものに有名な伯爵夫人の夫兄弟、デュ・バリー氏の家がある。

日陰者の世界から身請けし、実弟の正妻におさまらせたという逸話を講じて、一身代つくることに成功した。

デュ・バリー夫人の肖像画があるが、本人にそっくりだそうである。

あんな絶世の美女に宝石箱を与えた一件で、国王が犯した愚考の数々も、つい許す気になってしまうだろう。

 

一体、デュバリー夫人のどの肖像画をみたのかも気になるところです・・・

ちなみにアーサーヤングはマリー・アントワネットに実際に会った際「今日見た中で一番の美人」と表現しています。

肖像画のデュバリー夫人を「絶世の美女」と記していますが、デュバリー夫人の美貌が極めて優れていたということがわかるエピソードですね

 

こういう素敵なものや彼女のエピソード見ていると時間がたつのを忘れてしまいそうです・・・

ルイ15世の寵姫のなかでもっとも後生に名が残ったポンパドゥール夫人とデュ・バリー夫人。デュバリー夫人はポンパドゥール夫人のように、いくつもお城を改装したという記録はありません。

彼女が特別に浪費したわけではありませんが、ルイ15世が彼女のために様々なすばらしいプレゼントを贈ってきたということは事実です

 

デュバリー夫人は人間らしい愛と快楽を愛した、本当に女性らしい女性だったようです

そして、贅沢で優雅な生活に身をおいていたことがわかります

しかしこれもルイ15世が健在だからこそ・・・。

 

◆恐れていたルイ15世の死 デュバリー夫人のその後の運命は・・・?

 

1774年4月、ルイ15世は天然痘に罹り64歳で死去します

ルイ16世が即位すると同時に、デュバリー夫人はルイ15世が勧めたポント・ダム修道院に追放されます。

 

1769年に宮廷に上がり、1774年には修道院へ。

彼女の華やかな公式愛妾としての宮廷生活は、たったの5年ほどしかなかったということになります・・・

デュバリー夫人はまだ31歳での若さで歴史の表舞台から降りたのです。

 

でも

ここまではベルばらでも取り上げられたデュバリー夫人の人生なのでご存知の方は多いはず。

彼女の人生はこの先も大きく運命に翻弄されているのです・・・

 

◆デュバリー夫人②の記事に続きます。

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