楊貴妃の美人さが納得できるエピソードと美容法についてブログでまとめております。
楊貴妃といえば。世界三大美女の一人に数えられ、その美貌は今の時代にも語り継がれています。
彼女が生きた時代、中国は唐という王朝の時代にあり、後宮には沢山の人が生活していたと言われています。日本で例えると、大奥の様な場所です。
その沢山の女性の中から雑用係から女官、側室など沢山の女性が居るとはいえ、その役割は様々でした。
彼女はこの様な後宮の中で、皇帝、玄宗の寵妃として生きました。そして、「貴妃」と呼ばれる高い位の側室にまで上り詰めるのです。それが幸か不幸か、彼女は悲劇的な人生を歩むことにもなります。
一体、彼女はどのように玄宗の心をつかみ、また、その美貌と愛をどのように保ったのでしょうか。
◆楊貴妃はどれくらい美人だったの?
楊貴妃は皇帝玄宗の妃として有名ですが、実は最初はそうではありませんでした。幻想の息子の妃として後宮に入ったのです。
しかし、玄宗によってその美貌を認められ、見初められます。当時、息子の嫁を自分の嫁にするのは宗教上や倫理学的に当然ありえないこととされていました。それでも、なんとか彼女を手に入れたいと思った玄宗は、一時的に彼女を出家させます。
彼女が息子の嫁であった事実を出家という形で相殺し、その上で、自分の妃として迎え入れようとしたのです。
しかし、この時はもう既に、玄宗と楊貴妃は内縁関係にあったとされています。
楊貴妃は、唐の時代の女性の理想を体現した様な容姿と体型の女性と言われています。『長恨歌伝』によれば、髪は艶やかで、肌はきめ細かく、体型はほどほどで、物腰が柔らかい人であったそうです。
今でこそスレンダーな女性が良いと思われていますが、それは戦後になってからの話です。この時代の女性はふくよかな方が良いとされていました。
また、容姿だけではなく音楽や楽曲にも秀でており、歌舞にも優れていました。これらは、当時の教養のある女性としてのステータスでもあります。
容姿にも教養にも優れた女性、楊貴妃は、その後晴れて後宮に迎えられます。
日本もそうです、中国の場合は特に、寵愛されれば寵愛されるほど、自分の家族や親戚が出世して行きます。楊貴妃の場合例外ではなく、親戚一同がみるみる出世していくのです。
また、楊貴妃は安禄山と呼ばれる人物を養子として迎え入れられます。この出来事が、後に自身の首を締めることになるのです。
そんな中、玄宗の機嫌を損ねた楊貴妃は、兄の家に送り届けられます。
しかし、玄宗はその日のうちに機嫌が悪くなり、家臣を鞭で打つほどだったそうです。勿論、楊貴妃はその日のうちに呼び戻され、この一連の出来事から、玄宗の愛情が深まったと言われています。
◆楊貴妃が美人だったが故の悲劇
こうして楊貴妃は美貌と教養で玄宗の愛を掴んでいくのですが、その一方、「傾国の美女」とも呼ばれています。
ある時、楊貴妃の親戚である楊国忠が楊貴妃の養子である安禄山が激しく対立し、反乱を起こします。世に言う「安史の乱」です。
この乱で、主要都市の洛陽が陥落します。玄宗はこれを受けて首都である長安を脱出し、蜀地方に行くことを決意します。
そしてその道中、楊国忠と楊貴妃の姉たちは強く憎む長玄宗の長年の家臣である陳玄礼と兵士によって殺されます。これは、楊貴妃の寵愛を受けて出世した親族である楊国忠らがこの一連の乱の原因になったからでした。
さらに、陳玄礼は楊貴妃の殺害も要求します。玄宗は、「楊貴妃は深宮(後宮)にいて、楊国忠の謀反とは関係ない」としましたが、家臣たちの意思は固く、楊貴妃の自殺を命令します。
楊貴妃を深く愛した玄宗は、この乱の後、家臣の反対にあって表立って改葬することはできませんでしたが、宦官に命じて密かに行われました。
玄宗は、楊貴妃の絵を描かせ、彼女の死後その絵を朝夕毎日眺めていたそうです。
◆楊貴妃が用いた美容法
楊貴妃はその美しさで知られましたが、彼女はその美を保つために様々な努力をしていました。
一つ目は、食生活です。
コラーゲンが豊富な白キクラゲなどを漢方という薬にして愛飲していたと言われています。
また、楊貴妃の好物として後世にも伝わっている果物がライチです。玄宗は楊貴妃のために南国から何度もライチを献上させていました。このライチは、シミやたるみに有効だとされています。
何より、ツバメの巣という高級な食材をよく食べたそうです。当時の唐でも、後宮の妃くらい身分が高くないと食べることができない食材でした。これは、コラーゲンやローヤルゼリーを多く含んでおり、美肌を保つのに効果的です。
二つ目は、入浴です。楊貴妃はよもぎ蒸し風呂に入っていました。よもぎはビタミンを豊富に含み、強い抗酸化作用を持っています。これらは肌荒れや老化防止に有効です。
その他にも、真珠を摂取していたと言われています。
◆まとめ
楊貴妃は美しかったがために、悲劇的な最後を遂げることになってしまいました。皇帝玄宗は楊貴妃を溺愛し、政務にも疎かになってしまうほど夢中だったそうです。しかし楊貴妃の人生は、単純に運の問題でもないでしょう。
様々な教養の勉強に励み、琵琶の名手であったと言われ、更に美容のためにも努力していました。その努力は報われたというべきか、そうでは無いというべきかは分かりませんが、楊貴妃は知性も容姿も大変魅力的であったことは間違いないでしょう。
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