ヨーロッパの名門ハプスブルク家にゆかりのある女性で、マリー・アントワネットと並ぶ歴史の中の有名人は「シシィ」の愛称で知られるオーストリア皇后エリザベートではないでしょうか。
「バイエルンの薔薇」と讃えられた美貌と数奇な運命で日本でも人気が高く、多くの映画やミュージカル、宝塚の題材にもなっているエリザベート。
彼女の人生は一体なぜ?死後120年が経った今も人々の心を捉え続けているのでしょうか?
ここでは、その謎に迫る彼女の幼少時代の生活とエピソードをブログでご紹介いたします。
この記事の目次
◆幸運を約束された誕生
エリザベートは1837年12月24日、バイエルン王家ヴィッテルスバッハ家に、父バイエルン公マクシミリアン・ヨーゼフ、母バイエルン王女ルドヴィカの次女として誕生しました。
本名はエリザベート・アマーリエ・オイゲーニエ・フォン・ヴィッテルスバッハ。
長いです。
「シシィ」と呼びたくなる気持ちもわかりますよね。
生まれた日がクリスマス・イヴ、また、生まれつき「幸運の歯」と呼ばれる1本の歯が生えていた事から、きっと幸福な人生が送れるに違いないと、周囲の人々から祝福された誕生でした。
◆変わり者だった父マクシミリアン
エリザベートが生まれたヴィッテルスバッハ家は、変わり者が多いと世間では噂されていました。
エリザベートの父マクシミリアンもその1人で、堅苦しい宮廷生活を嫌い、市民や村人たちと生活を共にする事を好みました。
マクシミリアンはヴィッテルスバッハ家の分家出身であったため、このような自由な発想が生まれやすかったのでしょう。
当然、マクシミリアンの行動は宮廷の人々からは理解されませんでしたが、持ち前の明るい性格で市民からはとても愛されていました。
◆憧れの父マクシミリアンの影響
幼い頃のエリザベートは、夢見がちで詩人ハイネを崇拝するという、兄弟姉妹の中では最も風変わりな子供でした。
そんなエリザベートにとって、しばしば旅に出てはふらりと戻り、旅先でのわくわくするような冒険談を聞かせてくれる父マクシミリアンは憧れの存在でした。
また、マクシミリアンも子供達の中ではエリザベートが一番のお気に入りで、エリザベートを連れては街へ繰り出し、ツィター奏者と踊り子に扮して芸を披露しチップを貰うというスリルを楽しんでいました。
貴族でありながら自由主義的な考えを持ち、周囲からの批判を気にも留めなかったマクシミリアンの生き方が、その後のエリザベートの人生に大きく影響を与えたと言えますね。
◆ヴィッテルスバッハ家最強の変わり者ルートヴィヒ2世
ヴィッテルスバッハ家で最も有名な変わり者と言えば「狂王」として知られるバイエルン王ルートヴィヒ2世です。
ワーグナーへの心酔、あのドイツの「ノイシュヴァンシュタイン城」の建設などで巨額の浪費を続けたルートヴィヒは、後に精神病を理由に退位させられます。
また、彼は同性愛者であり、生涯女性と距離を置いていました。
そんな彼が唯一慕っていた女性が、8歳年上の又従兄エリザベートだったのです。
◆似た者同士ルートヴィヒ2世との交流
幼い頃から神話や伝説を好み、自分の世界にこもりがちだったルートヴィヒと、いつも詩作に耽っていたエリザベートは意気投合してよく一緒に遊びました。
時にはいたずらが過ぎて怒られたりと、少年時代のルートヴィヒは、自分の良き理解者だったエリザベートに片思いしていたと言われています。
そんなルートヴィヒは、退位した翌日にシュタルンベルク湖で水死体となって発見されます。その死に際してエリザベートはこう言いました。
「彼は精神病ではありません。ただ夢を見ていただけでした」なんだかとてもせつないエピソードですね。
◆自然に囲まれた自由な生活
エリザベートの家族は、冬はミュンヘンで過ごし、夏になるとバイエルン高原のポッセンホーフェンの館で過ごしました。
父マクシミリアンの方針で、もともと自由な雰囲気の家庭でしたが、自然に囲まれたポッセンホーフェンでの暮らしは、さらに開放的なものでした。
自然が大好きで活発だったエリザベートは、村の子供達と一緒に遊んだり、乗馬を楽しんだり、湖で水泳をしたり、また、森に行っては自然の生み出す美しさの中で、その感受性をますます豊かにして行きます。
このポッセンホーフェンで自由に過ごした15年間が、エリザベートの60年の人生の中で最も幸せな日々になろうとは、この時、本人も誰にも予想もつかなかった事でしょうね・・・。
◆世紀の恋愛結婚
1853年、エリザベート16歳の時、姉ヘレネと23歳のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世のお見合いがザルツブルクで行われました。
そこにエリザベートも同行しますが、なんと、そこでフランツ・ヨーゼフの心を捉えたのは、おしとやかで女性らしいヘレネではなく、無邪気で活発なエリザベートだったのです。
フランツ・ヨーゼフはその夜の舞踏会でエリザベートに求婚し、エリザベートも凛々しいフランツ・ヨーゼフに瞬く間に心惹かれて行きます。
年若い皇帝のの後ろ盾となっていた母ゾフィーは当然この結婚に猛反対。
しかし、フランツ・ヨーゼフは生まれて初めて母ゾフィーに反抗し、エリザベートとの結婚を実現したのでした。
2人は今で言うところの恋愛結婚です。
貴族の結婚と言えば政略結婚が当たり前だった当時、異例の電撃結婚だったに違いありません。
◆エリザベートの長い旅の始まり
オーストリア皇后として、一気に頂点に上り詰めたエリザベートは、幸せの絶頂にいるかのように見えました。
しかし、昨日まで自然の中で自由に暮らしていた田舎娘が、突然大都会ウィーンの、しかもハプスブルグ家という長年の伝統に縛られた宮廷に放り込まれて上手く行くわけがありません。
また、世間知らずで礼儀を欠くエリザベートは、皇帝の母(姑ですね。)ゾフィーの怒りと嫉妬に火をつけました。
現代でいう、いわゆる嫁いびり、嫁姑問題の始まりです。
ここから、エリザベートが自分の居場所を探すための長い人生の旅が始まるのでした。
◆まとめ
皇后エリザベートと言えば、画家ヴィンターハルターによる豪華なドレスを身に纏った肖像画のイメージが強いと思いますが、子供時代を振り返ると、とても素朴で純粋な少女だった事に驚かされますね。
そんな妄想好きのちょっと思い込みの激しい普通の女の子が、皇帝との結婚により自分の意思とは関係なく運命に翻弄されて行く姿に、きっと人々は魅了されるのだと思います。
フランツ・ヨーゼフ23歳、エリザベート16歳、時代が違えば、この2人にはもっと違う結末が待っていた事でしょう。
エリザベート②へ続きます。
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皇妃エリザベートの人生②結婚後の生活 姑との確執と夫とのすれ違い 子供を奪われたシシィの宮廷での悲しき日々
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