ダイアナ妃の生涯⑫慈善活動 エイズとハンセン病 難病の救済に立ち上がったダイアナの勇気と歴史に残る功績

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ダイアナ妃の生涯

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今回はダイアナ妃の生涯⑫として、彼女の慈善活動、自らの意思でエイズやハンセン病など難病の救済に立ち上がったダイアナの勇気と歴史に残る功績についてとり上げていきたいと思います。

 

 

「彼女は、何の保護服も身につけていなかった。」

 

これは、1987年4月、ロンドンのミドルセックス病院に開所されたイギリス初のエイズ専門病棟に、ダイアナが訪れた際のロンドン・タイムズの報道です。

 

ダイアナが、手袋なしの素手でエイズ患者と躊躇なく握手する写真は、世界を揺るがしました。

 

多大な賞賛の声と同時に、ダイアナのこの行動には、これまでの悪評を払拭するためのパフォーマンスではないかという憶測も飛び交います。

 

しかし、ほどなくして世界は、ダイアナの慈善活動への真摯な心と、類まれな勇気を知る事になるのです。

 

 

◆いばらの道 エイズ患者救済を決意した理由

 

「エイズ(AIDS)」という病気は、1981年、ロサンゼルス在住の同性愛者からHIVウィルスが発見された事により、初めて症例が認定されました。

 

その後も、この未知の病気はゲイ・コミュニュティの中で広がり、世界へと蔓延して行ったため、同性愛者への偏見と差別が加速して行きました。

 

イギリス王室と上流社会では、エイズを「同性愛者や麻薬常習者がかかる病気」として忌み嫌い、エイズ患者に関わるなど、とんでもない事だとタブー視します。

 

その「エイズへの支援」という最も困難な道を、一体、なぜ?ダイアナは選んだのでしょう。

 

1986年、エイズ患者支援のためのイベントを開催しているマーガリート・リットマンとの出会いが、ダイアナがエイズという病気に関心を持ったきっかけでした。

 

また、ファッション、ダンス、音楽と言った、ダイアナと関わりの深い芸術家にエイズ患者が多い事や、以前、チャールズの衣装係をしていたスティーブン・バリーが、1986年にエイズで亡くなったという事もあり、実は、エイズはダイアナにとって決して遠い世界の出来事ではありませんでした。

 

さらに、1970年代の「ドラッグカルチャー」に満ちたロンドンで青春時代を過ごしたダイアナは、他の上流階級の人々より、同性愛者や麻薬中毒者への一方的な偏見が少なかったはずです。

 

そして何より、母子感染によって罪のない子供達がエイズに感染し、死を迎えているという現実が、二児の母であるダイアナがいばらの道を選んだ最大の理由だったに違いありません。

 

ダイアナは他の英国王室メンバーとは違い、人前でも我が子にハグで愛情を表現していました。

 

 

◆ダイアナのエイズ患者救済活動の功績

 

1989年2月、初めて単独で訪米したダイアナは、ニューヨークのハーレム病院でエイズに感染した赤ん坊を抱き締め、この写真がダイアナのエイズ患者支援活動が本気であるという事を世界に知らしめます。

 

1990年10月、再び渡米したダイアナは、ワシントンのエイズ小児療養所「グランマ・ハウス」を訪問し、この時、ワシントンで開催された晩餐会で得た収益金の半分を、バーバラ・ブッシュ大統領夫人が支援するエイズ救済事業に寄付しました。

 

当時のアメリカのファースト・レディー、バーバラ・ブッシュ大統領夫人も、ダイアナと同様に熱心なエイズ患者の支援者でした。

 

アメリカでは、1980年代にエイズへの対策を怠った事から、1990年には問題は深刻化していました。

 

以前から移民やホームレスの支援活動を行っていたブッシュ夫人は、この問題を重く見て真剣に支援に乗り出したのです。

 

1991年7月、ブッシュ夫人がイギリスを訪問すると、ダイアナは夫人をミドルセックス病院に案内します。

 

二人のエイズに関する知識の豊かさには、医師たちも驚かされるほどでした。

 

また、ダイアナは公式な訪問だけでなく、非公式にも各地のエイズセンターを訪問します。

ダイアナは、エイズ患者と必ず握手をし、枕元で長い会話を交わしました。

 

瀕死のエイズ患者がダイアナと会いたいと希望していると聞けば、予定を変えてでも会いに行き、エイズ患者たちは、死を目前にして目の輝きを取り戻しました。

 

「英国エイズ救済信託基金」の理事マーガレット・ジェイが、

「英国でエイズに対する一般大衆の考え方を変えることの出来る方は、妃殿下ただお一人かもしれない」

とダイアナへの手紙に綴ります。

 

その言葉通り、ダイアナは、歴史的な功績とも言える、世界のエイズに対する偏見を打破する事に成功したのです。

 

 

◆「ハンセン病ミッション」への貢献

 

エイズと同様に、ダイアナが世間の偏見を覆した病気が「ハンセン病」です。

 

ハンセン病は、エイズとは反対に何世紀も前から存在する病気で、現在、ほとんどの先進国では制圧されていますが、アフリカ、東南アジア、南米などでは、いまだに存在しています。

 

ハンセン病は感染力が極めて低いにも関わらず、感染による容貌の変化から、エイズと同じように患者達は差別を受けて来ました。

 

この事実にショックを受けたダイアナは、

「この病気はもうなくなったと思っていたのに、まだ残っているのよ。世界中で1500万人の人々が、今でもこの病気に苦しんでいるの」

と言って「ハンセン病ミッション」の支援を決意します。

 

1989年11月、ダイアナはインドネシアのジャングルにあるシタナラ・ハンセン病療養所を訪れます。

 

この訪問には、テレビのカメラクルーも同行していました。

うだるような暑さの中、療養所を訪れたカメラマンたちは、その現実に後ずさりしてしまいます。

 

しかし、百戦錬磨のカメラマンたちがたじろぐ中、ハンセン病患者と会うのはこれが初めてだったダイアナは、動揺する事なく、100人のハンセン病患者と握手し、ベッドに腰掛け、会話を交わし、子供たちと遊んだのです。

 

1990年2月、ナイジェリアを訪れた際にも、ダイアナはマライのハンセン病療養所を訪れ、一人一人の患者と握手を交わし、「ハンセン病が触っただけで移る」という迷信を払拭しました。

 

ハンセン病保護団体のトニー・ロイド牧師は、これらのダイアナの功績に対して

「あなたは私たちが120年やってきたことより、ずっと大きな成果を成し遂げてくれました」と語っています。

 

 

◆チャールズとの共同活動「ザ・プリンスズ・トラスト」

 

エイズとハンセン病の支援以外にも、ダイアナは数え切れないほどの慈善団体を支援しています。

 

不妊症など出産の問題を支援する「バースライト」、麻薬やアルコール中毒患者を援助する「ターニング・ポイント」、危険な玩具に反対する「乳幼児事故予防信託基金」、孤児のための団体「ドクター・バーナード」、結婚問題を相談する「リレイト」などなど・・・

 

ダイアナと同様、実はチャールズ皇太子も多くの慈善団体を支援していましたが、二人の価値観の違いから、これらの活動はチャールズの慈善活動とは、まったく関わりのないものでした。

 

しかし、そんな二人にも唯一、共同で行っていた活動があります。

 

それは、チャールズ皇太子が1976年に設立した、失業中の若者に学業や職業訓練の機会を与え、人生を立て直す事を目的とした「The Prince’s Trust(ザ・プリンスズ・トラスト)」です。

 

この活動では、資金集めのため、エリック・クラプトンらのポップスターが無料で出演するチャリティーコンサートが毎年開催されていました。

 

プリンスズ・トラストの趣旨に賛同し、ロックファンでもあったダイアナは、コンサートに出席するだけでなく、ショーの企画にも参加します。

 

ここで、

「あれ?クラシック一筋のチャールズの事業なのに、クラシックコンサートではなくてロックなの?」

という一つの疑問が湧いてきませんか?

 

さすがのチャールズも、若者のための資金集めにクラシックではダメだ、という事はくらいは理解していたのでしょう。

 

音楽好きのチャールズですから、実はロックの良さも解っていたのかも知れませんね。

 

 

◆ダイアナも憧れたケント公爵夫人キャサリン

 

ダイアナとチャールズだけでなく、英国王室メンバーは皆、なんらかの慈善活動を行っていました。

 

それは、王室は政治に関与する事が出来なかったため、実際に慈善活動しかする事がなかったからということもあります。

 

しかし、ダイアナの慈善活動は、「資金集めのためのお飾り」的な他のメンバーとは違い、その問題について実際に熱心に勉強し、危険を顧みずに患者と触れ合い、会話をする事を望む、真の支援者だったのです。

 

一方でチャールズもまた、支援する世界は違えど、真の支援者だと言えるでしょう。

 

ダイアナの慈善活動への目覚めには、慈善団体の行事でのチャールズの熱弁が影響していたのも事実です。

 

そんな王室メンバーの中でもう一人、ダイアナがリスペクトする真の支援者がいました。

それは、ケント公爵夫人キャサリンです。

 

ケント公エドワードの妻であるキャサリンは、ダイアナと同じく生粋の王族ではなく、貴族階級の出身でした。

 

ダイアナの王室での先行きを理解できたキャサリンは、ダイアナに王室のしきたりを優しくアドバイスし、二人は意気投合します。

 

グレース・ケリー風クールビューティーで控えめだったキャサリンですが、慈善活動に関しては自分の意志を曲げない強さを持っていました。

 

ある時、キャサリンの病院訪問に同行したダイアナは、腕まくりをして患者の身体を拭き、排泄物の処理までするキャサリンの姿に感銘を受けます。

 

また、キャサリンは少年犯罪の問題を支援する活動のため、治安の悪い地域にも乗り込みました。

 

そんなキャサリンを、王室は冷ややかに「変わり者」呼ばわりしていましたが、ダイアナは、思いやりがあり、決して威張らないキャサリンに深く共感し「いままで会った中で最も無私無欲の人」とリスペクトしていたのです。

 

1994年には自らの意思でカトリックに改宗したキャサリン。

 

現在86歳の彼女は、もう一人の英国王室の反逆児だったと言えるでしょう。

 

 

◆まとめ ダイアナの決意

1996年8月、パキスタンの病院にて。

がんに苦しむ子どもを優しく抱きしめるこの写真は、ダイアナ自身も好んでいました。

 

 

 

慈善活動に目覚めた1987年当時、

「私、何かしないではいられないのよ。どうしても何かしなくては」

と、ただ漠然と考えていたダイアナ。

 

1990年代に入ると、

「もし私に苦しんでいる人を助ける力があるならば、やるしかないわ」と

いう強い信念を持ち、我が道をひた走って行きます。

 

そして、「私は、苦しみのある所ならどこへでも行き、自分に出来ることなら何でもしたい」と語った通り、ダイアナは、その人生の最後の時まで、勇敢に自分の信念を実行に移して行きました。

 

ダイアナ妃の生涯⑬へ続きます。

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