ダイアナ妃の生涯⑥結婚式 世紀のロイヤルウエディング ドレス、ティアラ、ヘアメイク…全てがお伽話のプリンセス!7億5千万人が祝福したイギリス王室史上最高の花嫁

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今回のダイアナ妃の生涯⑥では、いよいよダイアナとチャールズのあの「すべてがお伽話のよう」だった世紀の結婚式について写真画像も満載でブログでご紹介してみたいと思います。

 

 

◆こちらのブログ記事でダイアナ妃の生涯(人生)幼少期から追ってご紹介しておりますのでよろしければ合わせてどうぞ♪

↓  ↓  ↓

 

ダイアナ妃の生涯①幼少期と少女時代、学生生活 子供の頃から美少女!名門貴族スペンサー家の三女 離婚した両親や優秀な姉弟の狭間で揺れ、活発で心優しい性格がわかる少女時代のエピソード

 

ダイアナ妃の生涯②少女からレディへ 義母との関係は?独身時代は幼稚園教諭のアルバイトをしながらロンドンで憧れの一人暮らしで青春を謳歌したダイアナ結婚前の暮らし

 

ダイアナ妃の生涯③チャールズ皇太子との出会い 姉セーラの恋人だった彼と初恋に落ち、花嫁候補となったのは運命のいたずらが重なって成就したものだった

 

ダイアナ妃の人生④チャールズ皇太子との交際からプロポーズ、婚約までの道のりと有名なサファイアの婚約指輪☆ニックネーム「シャイ・ダイ」の誕生とマスコミとの戦い

 

ダイアナ妃の人生⑤婚約発表から結婚前夜まで センセーショナルな黒のドレスと婚約指輪 ダイアナとチャールズが最高に幸せだった6ヶ月

 

 

皇太子チャールズとダイアナのいよいよ結婚式という前夜、クラレンス・ハウスでダイアナが眠りについた頃、ロンドンの街ではすでにお祭りが始まっていました。

 

ハイドパークに設置された102本のかがり火に、チャールズ皇太子自らが火をつけると、盛大な花火が次々と打ち上げられ夜空を美しく彩ります。

 

近衛旅団の音楽隊が2時間に渡ってコンサートを開き、砲兵隊は一斉に祝砲を放ちました。

 

チャールズとダイアナ、この二人の世紀の結婚式の宴を夜を徹して心から楽しんだロンドン市民たち。

 

1980年代に入っても深刻な不況にあえいでいたイギリス国民は皆、若いロイヤルカップルの二人に未来への希望を託し、明日の結婚式を心待ちにしていたのです。

 

◆ついに迎えた結婚式の朝

こちらは1980年のダイアナです、この女性がこの日プリンセスに生まれ変わるのです・・・♡

 

1981年7月29日水曜日、午前6時過ぎにダイアナは目覚めました。

とても冷静な気分だったと言います。

 

ダイアナはゆっくりと浴槽につかり、ラジオから流れるご成婚のニュースを聞き、そしてカーテン越しにセント・ジェームズ公園のマル(散歩道)を見ると、今日の盛大な歴史絵巻の参加者となるため、すでに沿道に陣取っている群衆が見えました。

 

ロンドンの朝と言えば、灰色の空の下、大勢の人々がどんよりとした表情で職場や買い物へと向かう姿がお決まりの光景でしたが、この日は全てが違っていました。

 

眩しい夏の陽光の中、人々は皆笑顔で活気に満ち、あちこちで歓声が溢れていたのです。

 

ダイアナはテレビのスイッチを入れ、次々とチャンネルを変えて自身の結婚式のニュースを網羅すると、皆の期待の大きさに少しばかり緊張しながらも、オレンジジュースとグレープフルーツ、ベーコンエッグにマーマレードつきトーストの朝食をたいらげました。

 

大切な結婚式の最中に、お腹がグーと鳴らないように。

 

◆花嫁への変身 ヘア&メイク

 

そして、ダイアナを花嫁へと変身させるためのスタッフが、次々とクラレンス・ハウスに到着します。

 

ヘアドライヤーを3台抱えてやって来た美容師のケヴィン・シャンリーは、ダイアナの髪をあの「ダイアナカット」に整えます。

 

 

レイヤーを入れた髪のサイドをブローでバックに流し、毛先を外側に巻いたボリュームのあるゴージャスなスタイル。

 

日本人で言うところの「聖子ちゃんカット」みたいな感じですね。

 

ダイアナは後のショートヘアの印象が強いかと思いますが、結婚当初のふんわりとしたこのスタイルもとっても似合っていましたよね。

 

次はメイクアップ・アーティストのバーバラ・デイリーの出番です。

 

ダイアナは昔から化粧っ気がなく、また、チャールズも厚化粧が嫌いとあって、この結婚式の日のダイアナは所要時間45分のナチュラルメイクに。

 

色味を抑えたピンクベージュ系のチークとリップ、シンプルながらしっかりとしたアイメイクだけで、若いダイアナの「生まれ持った美」を際立たせたところはさすがのプロの技。

 

日本人では相当な美人でないと似合わない憧れのナチュラルメイクです。

 

 

◆完璧な花嫁の完成① 歴史に残るダイアナのウェディングドレス

 

ヘアメイクの後には、ついにデザイナーのエリザベス&ディヴィッド・エマニュエルがあの有名なウェディングドレスを携えて登場します。

 

トップ・シークレットで進められていたダイアナのウェディングドレスの製作日数は約100日間。

 

素敵すぎて言葉が出ないほど・・・。

 

素材はイギリス産シルクのタフタ地で、純白ではなく、若いダイアナの顔色が引き立つようアイヴォリーに染められました。

 

このダイアナのアイボリーシルクのウエディングドレス・・・

ちなみに、私も将来は絶っっっ対にこのダイアナのようなアイボリーシルクのウエディングドレスでお嫁にいきたいと思い、実際に夢を叶えました!

 

ですが、実際のダイアナ自身はといえば、シルクは皴になってしまうのであまりお好みではなかったようです。

 

 

大きくくられた襟ぐりはリボンと豪華なフリルで縁取られ、袖はふんわりとしたリボンつきのパフスリーブ。

 

ダイアナの婚約から結婚式までの7か月間の猛ダイエットのおかげで、彼女はどんどん体重が減り、ウェストも13センチほど細くなりました。(後に彼女は自身がこの時から摂食障害と闘っていたことを告白することになるのですが・・・)

 

ですので、デザイナーたちは式までに合計5つの身頃を作ることになり、最終的にはダイアナがドレスを身につけた状態で、当日縫い上げられたのだそうです!

 

そんな、式の当日まで何度も仮縫いを繰り返された身ごろには豪華な刺繍入りレースが施され、豊かに広がったスカートには煌めくスパンコールとパールがふんだんに散りばめられていました。

 

ボリュームたっぷり、リボンでくくられたお袖がまた可愛いすぎるのです♡

 

ダイアナのドレスに使われたアイルランドのキャリックマクロス産のレースは、メアリー女王のものをオークションで手に入れたとも、英国王立刺繍学校からの寄付ともいわれています。

 

ドレスに縫いつけられた真珠の数はなんと!約1万個。

 

また、エマニュエル夫妻は18カラットものホワイトダイヤモンドがちりばめられたゴールドアクセサリーをさりげなくドレスのラベル部分に縫いつけていたのだそうです。

 

そしてもう一つ、このドレスの中に誰も知らないうちに隠されていたものが・・・。

それは、「小さな蹄鉄型のチャーム」。

といいますか・・・「安全ピン」です。

 

エリザベス夫人がうっかりしてドレスの内側に安全ピンを残してしまったそうで、翌日に気づいたというトリビアもあるのですよ。

 

 

靴もシルクでハート形のモチーフがあしらわれたドレスにぴったりのロマンティックなデザインに。

 

この靴を仕上げるのにも6カ月もの時間がかかったのだそうです。

 

豪華なドレスの裾で実際にこの靴はほとんど見ることはできないにもかかわらず、ウエディングドレスにピッタリ合わせたデザインで制作されたシルクパンプス。

 

この靴にも132個のパールと542個のスパンコールが贅沢にハート型に縫いつけられています。

 

そして、靴底のアーチ部分には手書きでチャールズの頭文字Cとダイアナの頭文字Dの文字も含まれ、ヒール部は極めて低めのお作りとなっていました。

 

というのも、ダイアナは180センチ近い長身、チャールズほぼ同じ身長だったからです。

 

 

そして、古代レースで縁取りされた豪華なトレーン(裾)は、なんとロイヤルウェディング史上最高の7.6メートルにも及ぶ長さとなりました。

 

さらに、ベールはトレーンの長さを超えていました。

ダイアナのベールには約140メートルものチュールレースが使われていたのだそうです・・・!

 

 

上から見るとこんな感じ・・・

もう、このベールの長さに憧れない女性はいないといっても過言ではないですよね?

 

 

長ければ長いほど品格の高さを表すといわれているベール。

 

王族に嫁ぐためのベールは3m以上だといわれていますが、この時のダイアナのウェディングドレスではその倍以上もある長さのベールとなりました。

 

 

シルクのドレス(新しいもの)、古代レース(古いもの)、ウェストのブルーのリボン(青いもの)、そしてスペンサー家の家宝のティアラ(借りたもの)を身につけて、花嫁に幸運をもたらすという「サムシング・フォー」のおまじないまでも完璧に網羅。

 

こんな女子の憧れが全て詰まった、今でも語り継がれるこのダイアナのウェディングドレスは、後にも先にもこのダイアナがこの時着た、これ一着なのではないでしょうか。

 

(モナコのグレースケリーのレースのロングスリーブにパールがちりばめられた上品なウエディングドレスも、また違ったニュアンスでため息が出ちゃうくらい素敵なのですが♡)

 

ダイアナ妃タイプとグレース妃タイプ、どちらがお好みでしょうか?

レースとパールの美しさが一際際立つグレースケリーのウエディングドレスもまた女性の憧れのドレスですよね・・・♡♡

 

ダイアナ妃とはまた違ったニュアンスの、歴史に語り継がれる素晴らしいウエディングドレスです♡♡♡

 

ダイアナ妃のアイボリーのシルクタフタで作られたこの見事なドレスは、当然のごとく大人気となり、後に世界中でコピーされるようになりました。

 

ですが、実際にふんだんに散りばめられた1万個ものパールや精巧で見事な刺繍、8メートル近くに及ぶロングトレーンを完全にコピーすることは誰にでもできなかったそうです。

 

 

ちなみに2005年、上の写真のダイアナのウエディングドレスの「予備のドレス」スペアバージョンがオークションで競売に出されましたが、実際にドレスを制作したエリザベス夫人は決してコピーは作っていないと主張しました。

 

ですが、実際には万が一、計画していたドレスのデザインがマスコミに漏れた場合に備え、別のドレスも制作していたのだそうです。

 

その予備のドレスは、胸元がよりV字型に開いており、レースは一切ついていなかったのだそう・・・。

と、言いますと写真のドレスとは違うということになりますよね?

 

そして、その未完成の予備のドレスはアトリエから突然姿を消しているのだそう。

この「消えたダイアナのドレス」の謎は、現在も深まるばかりのミステリーとなっています。

 

 

さらにロイヤルウェディングですので小物類も充実。

万一の雨に備え、しっかりとウエディングドレスにピッタリのデザインの傘も用意されていました。

 

エリザベス夫人はアンティークのシルクパラソルを二本購入し、アイボリーと白い布を上手く貼り付けました。

 

さらに、スパンコールとパールを手縫いで縫いつけ、ドレスと同じレースの縁取りを施し、ウエディングドレスにピッタリの傘が完成。

 

幸運なことにロイヤルウエディングの日は晴れ、この素敵な傘が私たちの前に登場する機会はありませんでしたが、後にエリザベス夫人は「とても薄い素材でできていたので、明らかに防水の傘ではありませんでした」、「あまりダイアナ妃のお役には立てなかったでしょう」とこの傘について語っています。

 

 

また、こちらはダイアナの結婚式のウエディングケーキです♡

 

数千人が出席する披露宴には、27個のウエディング・ケーキが用意されたそうですが、正式なウエディング・ケーキを担当したのは、英国海軍料理学校の菓子部門の長であるデイヴィッド・エイヴリー氏でした。

 

この、何段にも積み重ねられた豪華なフルーツケーキは、切り分けられ小さな銀の箱に入れてお土産として招待客に配られたのだそうです。

 

2014年、フロリダ在住の男性が結婚式から37年の時を経たこのダイアナのウエディング・ケーキの一切れを、1375ドル(約14万5千円)で落札したそうですよ!(どんな状態になっているのか恐ろしいですが・・・冷や汗。)

 

 

こうして何もかもが完璧なダイアナの「お伽話のプリンセスそのもの」のウエディングドレスが叶いました。

 

ですが、このドレスにもたった一点の欠陥があったのです。

それはお支度の最中、ダイアナがうっかり香水(ウビガンの“ケルク・フルール”)をこぼしてしまったため、ドレスにできた小さなシミ。

 

後のダイアナ妃の伝記で、メイクアップアーティストのバーバラ・デイリーが「ダイアナ妃はただフロント部分をつまんで、誰も気づかないことを願っていた」と語っています。

 

歴史に語り継がれるダイアナのウェディングドレス、こんな当時のダイアナ自身によるうっかりミスのエピソードも、また今ではこのドレスの魅力の一つになっています。

 

◆完璧な花嫁の完成② スペンサーティアラとは?

 

近年、ダイアナの息子であるウィリアム王子がキャサリン妃に贈った婚約指輪である、あのサファイアのリングは、亡き母ダイアナの形見だったということは有名ですが、キャサリン妃が結婚式でつけていたティアラはダイアナの時のものとは違うものになります。

 

ダイアナ妃、キャサリン妃、メーガン妃・・・皆様は、どのティアラがお好みでしょうか♡

 

キャサリン妃はエリザベス女王所有の「ヘイロウ・ティアラ」を着け、また弟のヘンリー王子と結婚したメーガン妃もまた、エリザベス女王から貸し出された「バンドー・ティアラ」を着けていました。

 

ですが、ダイアナが結婚式でつけたティアラは、彼女の実家であるスペンサー家に代々伝わる「スペンサーティアラ」というものでした。

 

こちらがスペンサーティアラになります。

 

このスペンサーティアラは、1919年にダイアナの祖母レディ・シンシア・ハミルトンがアルバート・スペンサーと結婚する際にアルバートの大叔母、レディ・サラ・イザベラ・スペンサーから贈られたもの。

 

その後、リメイクされ、スペンサーティアラはスペンサー家に生まれた女性達、またスペンサー家に嫁ぐ女性達の結婚式で花嫁がつけることがしきたりになっていました。

 

ですので、ダイアナの二人の姉レディ・セーラやレディ・ジェーン、また、弟チャールズ・スペンサーの最初の妻も、このダイアナ妃と同じスペンサーティアラを結婚式でつけています。

 

ダイアナも「自分の結婚式ではこのティアラをつけたい」と強く希望し、エリザベス女王が英国王室に伝わるティアラを貸そうとしましたが、結果、やはりこの実家のティアラを選んだのです。

 

 

ですので、このダイアナが結婚式につけたティアラを今後もつけることができるのは、スペンサー家に所縁のある女性だけということになります。

 

スペンサー家が貸し出さない限りは、今後キャサリン妃やメーガン妃が着ける可能性はないということになります。

 

そして、このティアラは1997年、ダイアナがあの不幸な事故で亡くなってから、実際は誰も公の場で身につけていないのだそうです。

 

ですが、次にこのティアラを受け継ぐといわれているのは、ダイアナの姪にあたるレディ・キティ・スペンサーの結婚時なのではないかとの予想がありますので、ダイアナのこの結婚時の眩しい姿を思い出させる、豪華なスペンサーティアラを再び私たちが見られる日がくるかもしれませんね。

 

再びこのお写真をみてみましょう。

 

キャサリン妃やメーガン妃がつけているティアラも洗練されていて素敵なのですが、ダイアナ妃のティアラがより豪華でプリンセスっぽくないですか♡

 

スペンサーティアラはよく日本の花嫁さんが着ける華奢で小振りな可愛らしいタイプのティアラとは大きく違い、大きなサイズのとても豪華で華やかなデザインとなっています。

 

そしてこれから結婚式を上げる方、ご参考までに、豪華なティアラに、ふわふわのボリューム満点のベールを合わせるのがダイアナ流ですよ♡

 

こうしてお式へ向け、女性なら誰もが夢見る最高の花嫁が完成したのです。

 

◆いざ、セント・ポール大聖堂へ

 

「ダーリン、私はおまえのことをほんとうに誇りに思っているよ」

 

クラレンス・ハウスの階段を降りて来た花嫁を見てそう言った父スペンサー伯爵と共に、ダイアナは馬車に乗り、ドレスの布地に溺れそうになりながら世紀の結婚式の行われるセント・ポール大聖堂へと出発しました。

 

ドレスに埋もれるダイアナ妃

 

一方、新郎チャールズ皇太子も英国海軍中佐の正装を身にまとい、結婚指輪を持った弟のアンドリュー王子とセント・ポール大聖堂へと向かいます。

 

チャールズ皇太子はこんなお衣装です。

 

英国王室の結婚式「ロイヤルウェディング」は、代々ウェストミンスター寺院で行われて来ましたが、この時はチャールズの強い意向により、セント・ポール大聖堂での結婚式が実現しました。

 

 

チャールズがセント・ポール大聖堂を選んだ何よりの理由は、音響効果が良いという事でした。

 

音楽好きだったチャールズは、自らの結婚式を演出する音楽プログラムを考え、お気に入りのソプラノ歌手キリ・テ・カナワを招きます。

 

王室では、セント・ポール大聖堂は宮殿から離れているため、道中でのテロを懸念していましたが、完璧主義のチャールズは、この最良の日をテロを恐れて台無しにするなどありえないと思っていたのです。

 

この一大イベントの実質的なプロデューサーとして、実は全てを取り仕切っていたやや口うるさい男チャールズ。

 

しかし、ダイアナの意向もちゃんと取り入れており、ダイアナの義理の祖母バーバラ・カートランドは招待しませんでした。

 

 

◆世紀の結婚式 ロイヤルウエディングの始まり

 

セント・ポール大聖堂では参列者たちと大勢の市民たち、そして世界70ヶ国に放送するためのテレビカメラが、今か今かと花嫁ダイアナの到着を待っていました。

 

市民たちは清掃車にさえ歓声を上げるほどの熱狂ぶりです。

 

「グレート・ポール、グレート・トム」の名で親しまれる南西塔の鐘と、北西塔の12個の鐘が鳴り響き、ついに大聖堂に到着したダイアナが馬車からおとぎ話のプリンセスそのものといえる姿を現しました・・・。

 

市民の感嘆の声の中、長いトレーンを引きながら父の手を取り、真紅のヴァージンロードへと向かうダイアナ。

 

 

実は3年前に脳溢血で倒れ、奇跡的に生還した父スペンサー伯爵は「たとえ命を縮めてでも、ダイアナに付き添って側廊を歩くつもりだった」と、何度もこっそり大聖堂を訪れては、ヴァージンロードを歩く練習をしていたのです。

 

緊張で震える足で父とゆっくり歩きながら、ダイアナは周囲を見渡しました。

 

 

イギリスのロイヤルファミリー、ダイアナの家族、欧州各国の王族、アフリカ、中東、アメリカ、アジアの首相、大統領、もちろん日本の皇太子御夫妻、そして、子供の頃、仲良しだった教育係のメアリー・クラークや大好きなフラットのルームメイトたち。

 

そして、あのカミラ夫人ことカミラ・パーカボウルズさえも。

 

正面を向くと、そこには夫となる新郎チャールズが待っていました。

 

この時のダイアナは、こう思っていました。
「自分は世界一幸運な女性だ」と。

 

 

◆プリンセス・オブ・ウェールズの誕生

 

スペンサー伯爵が無事に花嫁を手渡すと、カンタベリー大主教の導きのもと、結婚式はつつがなく進んでいきます。

(後に、カンタベリー大司教はこの日のことを「全てがお伽話のよう」とと思わず語っています。)

 

 

チャールズプロデュースによるこだわりの音楽演出も大成功。

キリ・テ・カナワの透き通った歌声は、このお式をよりいっそう喜びに溢れた雰囲気に包みました。

 

唯一の失敗といえば、緊張したダイアナがチャールズの名前を「フィリップ・チャールズ」と言い間違えてしまったという事ですが、これは大した失敗ではありませんでした。

 

誓いの言葉はダイアナの希望通り「夫に従い」という言葉が省かれ、ダイアナは「夫を愛し、敬い、慈しみ」と誓いました。

 

 

そして、ここに新たな「プリンセス・オブ・ウェールズ」が誕生したのです。

 

この世紀の結婚式が終わり、チャールズと二人で表へ出た時、ようやく安堵の笑顔が戻ったダイアナ。

 

 

多くのテレビカメラが見守る中、チャールズと共に馬車に乗り込み、祝福で沿道を埋め尽くした群衆に手を振りながらバッキンガム宮殿へと向かいました。

 

 

そして、バッキンガム宮殿に戻り、バルコニーから外を見たダイアナは、「ダイ、万歳!」と小旗を振って熱狂する群衆に熱狂に圧倒され、後に「身に余る光栄」と振り返るほどの感動を体験します。

 

 

 

◆こちらのブログでもご紹介していますマリーアントワネットも結婚の時のパリの市民の熱狂的な歓迎ぶりに大いに感動したというエピソードがありますね。

↓  ↓  ↓

 

マリーアントワネット② 悲劇を暗示する結婚式にまつわる五つの不吉。また、肖像画によって違う彼女の本当の容姿(顔)は?

 

 

バッキンガム宮殿のバルコニーに立つチャールズ皇太子とダイアナ妃の後ろ姿。やっぱり長いベールが素敵すぎてひたすらため息ものですね・・・♡

 

そして、ダイアナは隣にいたチャールズに思わずキスをしたのです。

 

 

人びとの祝福の拍手が、永遠に鳴り止まないかのように響いていました。

 

こちら、バッキンガム宮殿の外に集まる群衆の様子をテレビで伺い、大満足の笑顔のエリザベス女王。

この日の女王の衣装はペパーミントブルーでした。お似合いですね。

 

 

 

こちらの写真は集合写真を撮影する前の様子。

 

最年少のブライズメイド、クレメンタイン・ハンブロを抱いて歩くダイアナ妃とエリザベス女王の貴重な一枚です。

 

当時5歳だったクレメンタインは、ダイアナが結婚前に幼稚園の先生をしていた頃の教え子だったのだそうです。

 

しかし、これほどのウエディングドレス姿ですのに、自然に子供を抱っこしてしまうダイアナ妃。

さすがは元幼稚園の先生ですね・・・全く違和感のない優し気な姿に感動と親近感を感じてしまいます。

 

 

豪華なウエディングドレスを纏っていても、子供と接する姿に全く違和感がないのが凄いですよね・・・。

 

まるで聖母のよう。

彼女の晩年の子供たちと接する姿を思わせる一枚です。

 

ちなみに、ブライズメイドたちのドレスもダイアナのウエディングドレスと同じ雰囲気にまとめられたそうで、華やかで可愛らしいですね。

 

 

そして、正式な写真撮影の前にウエディングドレスを整える、デザイナーのエリザベス夫人。

何といってもこのボリュームですのでお直しも一苦労です。

 

 

そして、こんなに素敵な一枚が撮影されました。

 

さらにこちら、正式な写真撮影のために集まるロイヤル・ファミリーのメンバーたち。

 

こちらがチャールズとダイアナの結婚式の際、バッキンガム宮殿の王座の間で撮られた集合写真になります。

 

かつてのレディー・ダイアナ・スペンサーは晴れて「プリンセス・オブ・ウェールズ」となり、夫チャールズ皇太子と並び中央に立っています。

 

左手にはペパーミントブルーのドレスのエリザベス女王。

緑色のドレスを着たダイアナの母フランセスと、父のスペンサー伯爵は右端に並んでいます。

 

 

こちら、キャサリン妃のウェディング写真。

 

こちらはメーガン妃。

 

ダイアナ妃、キャサリン妃、メーガン妃のウェディングドレスの比較画像になります。

 

あまり比較するのもどうかと思いますが・・・やはり、若さも含めてダイアナ妃が圧倒的に美しいと思います。

 

ドレスの豪華さやセンス、どれをとっても圧勝かと・・・。

 

地味めにするのが今風なのかもしれませんが、やはりロイヤルウェディングといえばこのダイアナ妃の姿が胸にやきついていらっしゃる方が多数なのがよくわかります。

 

無事に式を終え、ホッとしたやわらかい表情のダイアナ妃とチャールズ皇太子の一枚。

 

 

◆まとめ 結婚により最高の幸せを手にしたダイアナの未来

 

イギリス王室の歴史上、「最も愛されたプリンセス」だと今でも言われているダイアナ元妃。

 

 

ダイアナ妃20歳、永遠に廃れない、今後も語り継がれていくだろう輝くような初々しい可愛らしさ。

 

この1981年のロイヤルウェディングで披露した豪華で美しく、そして可憐なダイアナの花嫁姿は、世界中の人々をうっとりと魅了しました。

 

そして、チャールズ皇太子とダイアナ妃の世紀のロイヤルウェディングは、様々な面でこれまでの英国王室の伝統を打ち破りました。

 

また、当時、通信機器の発展によってイギリス全土のみならず世界70ヶ国にテレビ放映され、約7億5千万人もの人々が見たという、1980年代という新しい時代の幕開けにふさわしい一大エンターテイメントでもありました。

 

 

まさに、「すべてがお伽話のよう」だった結婚式は、世界中に「大英帝国復活」の印象を残しました。

 

この後、「プリンセスダイアナ」は80年代を代表するアイコンとなって行くことになりますが、この結婚式の興奮もさめやらぬままハネムーンへと飛び立ったダイアナには、それはまだ予想もつかない未来でした。

 

後に彼女自身が、

「自分がどういうところに足を踏み入れることになるのか、まったくわかっていませんでした」

と振り返るように・・・

 

ダイアナ妃の生涯(人生)⑦王室ハネムーン(新婚旅行)と新婚生活へと続きます。

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ダイアナ妃の人生⑦王室ハネムーン(新婚旅行)と新婚生活 夢から覚めたダイアナ妃とチャールズ皇太子 正反対の性格の二人に早くも訪れた危機

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