ダイアナ妃の生涯①悲劇の人生と結婚の真相をブログで考察

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元イギリス皇太子妃「ダイアナ妃」。

彼女があのパリでの衝撃的な事故でお亡くなりになったのが1997年・・・あの不幸な事故からもう20年もの年月たとうとは・・・月日の流れは本っっっ当に早いですよね…(しみじみ)。

 

今回は、こちらのブログで「ダイアナ妃」の生涯(人生)について、改めて見つめ、エピソードなどを含めて、その人生をたっぷりとご紹介していきたいと思います。

 

美しいですし、豪華なダイヤとサファイアのジュエリーにも目を奪われますね・・・♡

 

ダイアナ妃に関しては、皆さま、

「一体なぜ?チャールズ皇太子はダイアナ妃よりもカミラ夫人を愛したのだろうか?」

という疑問を、ダイアナ妃の死後20年たった今もなおお持ちの方、かなり多いのではないでしょうか?

 

元皇太子の愛人だったカミラ夫人(カミラ・パーカー・ボウルズ夫人)は、実際にダイアナ妃よりも14歳も年上なうえに、そもそも元々既婚者(ダイアナ妃の結婚当初から不倫関係にありました。)、そして、何といっても「容姿の美しさ」という点ではどう見ても圧倒的にダイアナ妃の方が美しいというのは周知の事実ですものね。

(カミラ夫人の魅力についても、後にブログで考察していこうと思います。)

 

イギリスの名門貴族スペンサー伯爵家の令嬢(三女)として生まれたダイアナ妃、皆さまご存知のとおりの人並み以上の美貌に恵まれていましたが、彼女はおそらく、いわゆる「普通の女性」だったのではないのかと思うのです。

 

そして、ほんの18~19才というまだ少女といえる頃に、イギリス王室の皇太子であるチャールズ皇太子との結婚を決心してしまったという事が、このダイアナ妃の人生を最期の最後まで大きく狂わせてしまします…このイギリス王室の皇太子との結婚の決心こそ彼女が「悲劇の美女」となってしまった大きな人生の「選択ミス」だったのかと思います。

 

 

当時、名門貴族の令嬢という生まれではありましたが、現代を生きる「普通の一人の若い女性」であっただろうダイアナ。

 

彼女が、まだ人生経験の少ない少女時代に、少女特有の結婚に夢見る「ロマンティック」なある意味普通である感情を抱いて、あの「イギリス王室」という異世界に嫁ぎ、到底、通常では理解できないような現実と向き合うことになる。

 

そして、彼女がそれを最後まで受け入れることができなく離婚に至ったということは、今でしたら、私たちにもある程度は想像がついてしまいますものね…。

 

ダイアナ妃と言えばこちらのウエディングドレス姿が世界中の人々の印象に残っていますよね☆

絵にかいたようなプリンセスシルエットの豪華などれすは、大きく膨らんだお袖や長いベール、カスケードの豪華なブーケなど歴史に残る完璧なウエディングスタイルだったと思います。

 

彼女がチャールズ皇太子との婚約したのが19才、結婚が20才の時となりますと、年齢的には成人女性ということにはなりますが、実際にはやはり精神的にはまだ子供だったと思います。

 

そんなダイアナが、ほとんど「一人ぼっち」の状態で、あの「イギリス王室」に投げ込まれてしまった・・・彼女の特殊な結婚生活による苦しみについて、死後20年がたった最近よく考えるのです。

 

こんな美しい女性の結婚に悲劇が待っているとは・・・胸を打たれます。

 

これからこちらのブログで、ダイアナ妃の幼少期から最期の時までの、その生涯(人生)について辿っていこうと思っていますので、よろしければ続きもおつきあいくださいね。

 

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