ダイアナ妃の生涯(人生)①
こちらのブログではイギリス王室のダイアナ元妃の生涯をご紹介していきたいと思っております。
今回は彼女の幼少期、実は活発ないたずらっ子だったダイアナの離婚した両親の狭間で揺れた少女時代をご紹介していきたいと思っています。
1981年7月29日、イギリス、ロンドンのセント・ポール大聖堂で行われたチャールズ皇太子とダイアナ妃の世紀のロイヤルウェディング。
馬車から溢れんばかりに豪華に広がるウェディングドレスに身を包み、140メートルものヴェールを眩く輝くティアラからなびかせながら微笑むダイアナ妃の姿は、まさにお伽話から抜け出したお姫様、プリンセスそのものでした。
この結婚の時、幸福な未来を約束されていたはずのダイアナ妃は、一体なぜ?あのような悲劇の運命と最期を辿る事となったのでしょう。
今回こちらのブログは「ダイアナ妃の生涯①」として、そんな自分の運命など知る由もなかった幼少期~少女時代のダイアナを追って、その生涯に迫って行きたいと思います。
この記事の目次
◆名門貴族スペンサー家の三女として誕生
1961年7月1日、イングランドのノーフォーク州サンドリンガムで、名門貴族のひとつであるスペンサー家の三女として「ダイアナ・フランシス・スペンサー」は生まれました。
ダイアナ妃が生まれたスペンサー家は16世紀に羊商で財を成し、1643年にチャールズ1世により伯爵の称号を与えられると、その後、宮廷や政界で要職につく人物を数多く輩出して名実ともに名門貴族の仲間入り。
ダイアナの父は、第7代スペンサー伯爵の息子オールトラップ子爵、母は第4代ファーモイ男爵の娘フランシスでした。
名門貴族スペンサー伯爵家の令嬢として、1961年7月1日に生まれたダイアナ・フランシス・スペンサー。
こちらは1962年、ダイアナ満1歳の最初の誕生日のお祝いに生家であるサンドリンガムのパークハウスにて撮影された写真です。
ダイアナが誕生した時、既に姉が二人いた事と、長男ジョンが生まれてすぐに亡くなってしまった事で、世継ぎとなる男児の誕生を期待していた周囲は落胆したといいます。
そのせいもあってか、二人の姉と後に生まれる弟は王族が名付け親となっていましたが、ダイアナの名付け親は裕福な平民で、洗礼も地元サンドリンガムの教会で受けることになりました。
誕生時のこのようなエピソードから、ダイアナはその後「自分はやっかい者」という意識を持つようになったと言います。
◆ダイアナの生家「パーク・ハウス」
1965年のダイアナ4歳の写真。
カメラに向き合い、やさしげな表情を浮かべているのが印象的な一枚。彼女の優しい性格は生まれ持ったものなのでしょうね。
ダイアナが生まれたパーク・ハウスは、イギリス王室の冬の別邸サンドリンガム城の近くにあるお屋敷で、エドワード7世により建てられました。
寝室が10室ほどしかないこのこじんまりしたこのパーク・ハウスは、豊かな茂みで人目から守られた、自然に満ち溢れる子育てには最適の環境でした。
広大な畑、どこまでも続く緑地、点在する松や白樺の林、その上を走り抜けるウサギやキツネ、魚のいる湖、そしてノーフォーク海岸からの海風・・・
お屋敷の中はご先祖の写真が並ぶ伝統的な貴族の館でしたが、その中に「ビートルズ部屋」と呼ばれるポップスターのポスターで埋め尽くされた子供達のための特別な部屋などもありました。
そうですよね、私たちもジャニーズアイドルに心ときめかしたりしますが、この時代の貴族の子供だってスターに憧れますものね。
ご先祖様の写真だけではちょっと重々しく怖すぎますしね・・・。
その他にも、屋外プール、テニスコート、クリケット場、パドックが備えられ、コックさんが焼くお菓子のいい匂いが漂うこのパーク・ハウスのお屋敷が、幼少期のダイアナは大好きだったのです。
◆パーク・ハウスでの幼少期~少女時代の楽しい生活
少女時代のダイアナは、一見、伏し目がちで内向的見えますが、本当は明るくいたずら好きな性格で、姉や弟に言わせると「目立ちたがり屋」な一面もありました。
きっと内弁慶な少女だったのでしょうね。
7歳のダイアナ
ダイアナは、パーク・ハウスで3歳年下の弟のチャールズと一緒に隠れんぼをしたり秘密基地を作ったりしてのびのびとした毎日を送ります。
ポニーのたてがみをオシャレに編んであげようと、こっそり子供部屋へ入れてメイドさんを仰天させると言ったいたずらも数知れず。
中でも二人の乳母へのいたずらは強烈で、気に入らない乳母はお風呂場に閉じ込めたり下着を窓から屋根に放り投げたり。
このためか?スペンサー家の乳母は長続きしなかったといいます。
また、オシャレで有名なダイアナ妃でしたが、意外にも、少女時代は服装には無頓着でスカートよりジーンズ派でした。
そしてとても活発で、特にプールでの飛び込みが大好き。
父の心配をよそに滑り台のてっぺんから飛び込む華麗な技は、その後「スペンサー・スペシャル」と呼ばれるようになるのでした。
◆両親の離婚
のびのびとした幼少期を送っていたかに見えるダイアナでしたが、実は、父オールトラップ子爵と母フランシスの夫婦仲は上手く行っていませんでした。
そして、ダイアナが6歳の時、両親はついに別居します。
最初は母についてロンドンへと移ったダイアナと弟チャールズでしたが、父のオールトラップ子爵は二人を母親から奪い返します。
1969年に両親の離婚は成立。
母フランシスは親権を求めて裁判で訴訟を起こすものの、妻子ある実業家と不倫していたという事実もあり、親権は父オールトラップ子爵が獲得しました。
こちらは1969年に撮影された少女時代のダイアナの写真。
幸せそうな笑顔のダイアナですが、1967年から両親は別居状態に。そしてこの年1969年に離婚が成立。母との別れがありました。
これ以来、ダイアナとチャールズは学校の休暇の度に半分はパーク・ハウスの父と、半分はロンドンの母と過ごす事になり、まだ幼かった二人は両親の愛の板挟みになる環境となるのです。
ある時、両親から同時にドレスをプレゼントされたダイアナは、どちらを着るか選ぶ事が出来ませんでした。
心優しい少女だったのですよね。
また、子供達と別れたくないと泣いている母を見てダイアナは傷つきます。
そして、学校で両親が離婚しているのはダイアナだけ。
両親の離婚は、少女時代のダイアナの心に暗い影を落とさざるを得ませんでしたし、このことが彼女の後の性格や人格形成、人生に大きな影響を及ぼすことになったのです。
◆優秀な姉たちと勉強が苦手だったダイアナ
両親の離婚後、ダイアナは寄宿学校リドルズワース校に転校します。
その時ダイアナは父から見捨てられたような気がしたと言いますが、いざ入学してみるとこのリドルズワース校での学校生活が気に入りました。
ダイアナの学生生活は積極的に発言するタイプではありませんでしたが、明るくおてんばで友達もたくさんできました。
しかし、ダイアナは実は勉強が苦手だったのです。
さらに試験の時などは緊張からいつも上手く行きませんでした。
ダイアナには6歳年上のセーラと4歳年上のジェーンという二人の姉がいました。
長女セーラは気性が激しく何でも一番でないと気が済まない女王様タイプ。
次女ジェーンも同じく優秀でしたが、セーラとは逆に分別のある優等生タイプでした。
そして、弟のチャールズもまた、後にオックスフォード大学に入学するほど学業優秀。
そんな姉と弟にたちに囲まれてダイアナは自分の事を「おちこぼれ」だと思って劣等感を持っていましたが、姉たちとの仲は良好でした。
特に長女のセーラに憧れ、セーラの部屋の掃除やお風呂の用意をするほどの崇拝ぶり。
ほとんどしもべですね。
◆動物好きの心優しい少女ダイアナ
緑に溢れ自然豊かなパーク・ハウスにはたくさんの動物たちも暮らしていました。
ラブラドール犬のブレイやスパニエルのジル、ポニーのロマニー、サラブレッドのペパーミント、猫のマーマレード。
中でもダイアナと一番の仲良しな友だったのは、モルモットのピーナッツでした。
このネーミングセンス、抜群ですよね。
ペットを連れて行く事が許されていたリドルズワース校で、ダイアナはこのモルモットのピーナッツと共に暮らします。
そして、その学校生活でピーナッツは「最も愛護されたペット賞」を受賞しました。
また夏の「サンドリンガム・フラワーショー」のコンテストで、モルモット部門優勝を果たします。
すごい優秀なモルモットです!
きっとダイアナはピーナッツを心から誇りに思い愛していた事でしょう。
夜のお祈りの時、ダイアナは全てのペットの名前を唱え、ペットが亡くなると丁寧に埋葬したといいます。
このように、ダイアナは生まれつき小さなものを大事にする優しい心を持っていました。
また、人の役に立つ事に喜びを感じ、リドルズワース校での奉仕活動で賞をもらいます。
そう、ダイアナは勉強は苦手でしたが、四人の中で最も心の優しい子供だったのです。
◆ダイアナ妃の生涯①まとめ ダイアナの夢
子供の頃から美少女だったダイアナ
バレエが得意だったダイアナはバレリーナになる事を夢見ていましたが、身長が高すぎるということで諦めました。(オードリーヘップバーンと同じなのですね。)
そんなダイアナのもう一つの夢は「恋愛をして、結婚し、たくさんの子供を持つこと」だったのです。
そして「本当に愛していない限りは結婚しない」とも周囲に話していたと言います。
これには両親の離婚が大きく影響していると言えますよね。
ダイアナは子供の頃から活発ながらとても家庭的な少女でした。
実は掃除や洗濯、お料理などの家事が大好きで、弟の面倒も良く見ていました。
また、父のオールトラップ子爵は、貴族的でありながらも決して子供達を特別扱いしないという教育方針のもとに育てました。
そのため、子供達は自分たちが特権階級であるとは思っていなかったと言います。
そんな環境の中、ダイアナは気さくで思いやりがあり、誰からも慕われる素敵なレディーへと成長して行くのでした。
ダイアナ妃の生涯②へ続きます。
コメント