前回はブログでマリーアントワネットの髪形やファッションについてご紹介しましたが、
今日は彼女のお化粧やスキンケア、ダイエットなど美容法についてまとめていきたいと思います。
よろしければお先にこちらのブログ記事もどうぞ
↓ ↓ ↓
マリーアントワネット③ 王太子妃時代~ 入浴や香水へのこだわりなど彼女がもたらした文化をエピソード満載でご紹介します☆
マリーアントワネット④ こだわりのお洒落~ ドレスやファッション、性格や人柄を画像満載で徹底分析☆
マリーアントワネット⑤ 髪形~アントワネット考案!奇抜で斬新な「盛髪ヘア」とは?果物、花瓶、人形、鳥かご 、軍艦や庭園の模型まで!奇抜すぎるヘアスタイルの数々をご紹介します。
美容とファッションに情熱を注いていたマリー・アントワネットは、とにかくより美しくなることに夢中でした
この記事の目次
◆マリーアントワネットの脅威のプロポーション、スリーサイズの秘訣は?
前回もブログでご紹介しましたが、当時はコルセットがウエストを細く締め上げ、
たっぷりと膨らんだドレスを美しく着るために使われていました。
そして、胸を押し上げて豊かに見せていました
コルセットの素材は鉄のワイヤか鯨骨です。
当時のコルセットです。
ウエストを限りなく細く見せることが魅力的だと思われていた時代、
(現代でも私たち女性は、誰よりもウェストが細くなりたいと願っていますので、全然今の感覚と変わらないといえますよね・・・)
ですが、この『細くなりたい』がさらにエスカレートして、
マリーアントワネットは、肋骨を下から二本くらい折って、コルセットで締め上げて、細いウエストにしていたとか
その甲斐あってか、マリーアントワネットのスリーサイズは、
バスト90、ウエスト48、ヒップ90という驚異的なプロポーションをキープしています
彼女は、ウエストの直径が10cmくらいしかなかったそうです
◆貴族たちのウエストを細くするための怖ろしいまでの執念と努力とは・・・?(軽くホラー入ってます)
でもちょっと考えてみてください
ウエストが直径10cmくらいしかないというところまで細くするということは・・・
つまり人体をそこまで変形させていますから、腰を屈めると、骨が折れてしまう可能性もあるのです
だからそうならないためにも、固いコルセットを嵌めていたということもあります。
肋骨を折ってまでウエストを細くしていたとすると、折った肋骨の下部がつぶれて変形し、個人的には彼女の健康状態が一体どんなことになっていたのかがかなり気がかりです。
西洋の童話などを見ていると、おばあさんが大抵リューマチに苦しんでいる印象がありますが、それは、肋骨の骨が変形したためといわれています
骨は変形し、大腸を歪ませて慢性的な便秘になったり、不妊や流産の原因にもなったようです
また、体を支える肋骨を折って変形させるということは、自力で立ったり、座ったりすることにも弊害が出てきます。
マリー・アントワネットのレベルの女性でしたら、女官の手を借りてベッドから起き上がらせてもらったり、着替えをさせてもらったり、日常生活が何でもできるからいいのかもしれませんが・・・
幼いころから腰にコルセットを嵌めさせ、肋骨が変形するほどウエストを締め付けていた西洋の服装文化って、よく調べてみると本当に恐ろしいですよ・・・。
1778年のマリー・アントワネットの肖像画。
コルセットとパニエ(スカートに膨らみをもたせるワイヤー製の下着)を着用した上にドレスを着ています。
マリーアントワネットの時代に少し後、19世紀のヴィクトリア朝時代になると、階級問わずコルセットが普及していき、同時に、貞淑な女性としての義務となります。
ウエストが細ければ細いほど、結婚市場での価値が高まるからです
そのため、女性たちの間で『細くなりたい』がまたさらにエスカレートして、肋骨の一番したの骨を外科手術で抜いてまでウエストを細くしようとする女性が増えていきます
まだ進んでない当時の医学で、そこまでの手術をするなんて、案の定、傷口が炎症を起こして死に至るケースも少なくなかったようです
また、コルセットの弊害も生まれ、きつく絞った身体は内蔵や肋骨が変形。
当時の小説で貴婦人がよく気絶したり、引きつけをおこしたり、病弱だったりするのはコルセットが遠からずの要因だったようです。
古典文学では、ショックを受けた淑女がよく失神するという場面に出くわします。
コルセットが原因で日頃から貧血状態であり、ちょっとしたショックがあってもすぐに気絶していたようです。
女性にとっては「かよわい自分」を演出するチャンスでもありました
「失神ソファ」と言われるものまで出現
よくジョセフィーヌがこれに横たわっているイメージありませんか?
理想のサイズは18インチ(およそ45センチ)だったといいますから、男性が片手でつかめるぐらいが理想的だったのです。
恐ろしいほど華奢な体型が好まれていたということですね。
人前に出るときはもちろんですが、自宅あっても夫に対する義務として、女性は朝起きたら直ちにコルセットをつける必要がありました。
一瞬でもコルセットをつけないことは罪であり、ルーズコルセットは退廃の象徴であったと言われています。
似ている服飾文化といえば、支那(中国)の纏足です。
支那の高貴な女性たちは、纏足(てんそく)といって、大人になっても靴のサイズが10cmくらいしかないほどでした。
子供の頃に骨を折って布できつく縛るのです
つまり、骨がぐちゃぐちゃに変形して歩けないほどに、足を小さく矯正しました。
中国の纏足靴。
このため、高貴な女性は、自力であるくこともできず、両側を付き人に支えてもらわなければなりませんでした。
このことは『皇帝の女性が逃亡しないように』ということからはじまった風習だったといいます。
◆マリーアントワネットの小顔の帰結は歯列矯正?
マリーアントワネットの美容に戻りましょう
マリー・アントワネットは肋骨だけではなく、
小顔に見せるために歯を抜いたりと、本当に美を追求するためには手段を選ばなかったと云われています
ちなみにマリーアントワネットは結婚前に歯列矯正もしていたようです。
フォシャールの矯正器具というもので、糸や布、針金を使うそうで、
道具はおどろおどろしいですが、原理は現在の歯科矯正と同じような感じだそうです。
マリーアントワネットの歯に関しては、もう一つ気になる史実があるようです。
母マリア・テレジアの手紙の中に、
『あなたは最近歯もろくにみがいていないそうですね。』
このような内容もあったそうです
これだけ美容にストイックなマリー・アントワネットが、歯みがきをさぼりぎみだったとは、皆さまは想像できましたか
それにしても、どれもこれも、本当に痛そう・・・
マリーアントワネットが現代を生きていたなら、間違いなく美容整形にハマるたいぷでしょうね。
健康より美を優先する女性たちの姿は、今も昔も変わりなかったようです。
ですが、現代の「美」は、美容整形なども麻酔が発達していますから、そこまでの痛みは伴いませんよね。
昔のヨーロッパやアジアで求められていた「美」は本当に命懸けの世界だったようです。
◆マリーアントワネット自慢の若々しい美肌の秘密
マリーアントワネットの顔立ちは、成人しても額が広く、鉤鼻、
唇はハプスブルグ家の特徴である下唇が突き出ていて、少し不満そうな顔にも見え、
ようするに特別美人というわけではありませんでした
ですが、青い目と、透き通るように白くきめの細かい肌だけは、誰にも劣らないほど魅力的だったのです
この白く艶のある美肌を保つために、アントワネットはプラセンタを摂取していたと言われています
プラセンタというのは、もう現代を生きる私たちビューティー女子なら誰もがご存知のとおり、妊娠時に胎児に栄養を送り届けるために子宮内にできる胎盤に含まれる胎盤のこと。
出産すると自然に排出されます。
最近の美容法というイメージがあるプラセンタですが、治療や美容に実は古くから使われてきた歴史があるのです
紀元前にかの医学の父、ヒポクラテスが治療に使ったとも伝えられています。
プラセンタは美白や肌を美しくする効果もあるとされ、クレオパトラや楊貴妃も若返りと美容に使っていたといわれています。
美にこだわるマリーアントワネットが当然それを見逃すはずはなく、彼女の美の秘訣の一つはプラセンタだったと言えるかもしれないですね
彼女は年をとっても綺麗で若々しい肌を保てていたそうですよ
◆王妃のお化粧道具は?
アントワネットを筆頭に、貴族の間でも肌も髪を手っ取り早く白くするために、小麦粉を頭からかけていたこともあるそうです
今でいうファンデーションのような感覚ですが・・・。
そのせいで、小麦粉が不足し、パンが食べられない民衆が増えたともされています。
当時のフランスでは、肌が白ければ白いほど美人だと言われていたので、余計躍起になって白い肌にこだわったのかもしれません。
更に白い肌に映えるという理由で、当時は貴族の間でつけぼくろ「ムーシュ」も大流行しました。
左)白粉を塗り、つけぼくろをしているのがわかります。
右)つけぼくろをつけるための道具一式。
“つけぼくろ”は『つけています』とアピールすることが お洒落だったらしいので、徐々に派手になっていき、形状も丸だけじゃなく、星の形、月の形、ダイヤ形、ハート形といった わかりやすいものが好まれました。
また左の頬にハートがついていると婚約中を意味し、結婚すると右側につけるようになったとされています
上「香水入れ」下「付けぼくろ入れと筆」
マリーアントワネットの所有物だったものです。
◆海外で大注目!マリー・アントワネット式食事法とは?王妃の献立もご紹介!
ケーキを食べながらダイエットできる?
マリー・アントワネットの食生活を参考にしたダイエットを10週間続け、
なんと9.5キロもの減量に成功した女性が海外で話題になっています
マリー・アントワネットの食生活を研究、実践し、ダイエットに成功したのは、
イギリスのファッションライター、カレン・ウィーラーさん。
マリー・アントワネットは、
「子供を4人産んだにも関わらずウエストが58センチだった」
といわれているので、その食生活にヒントがあるのかもしれないと思ったことがきっかけだったといいます。
■マリー・アントワネット式食事法とは?
マリーが生きていた18世紀のフランスの宮廷では、
「朝にケーキを食べ、昼に肉や魚等の主食を食べ、夜は軽くスープを食べる」という食生活が送られていました。
確かに、マリーアントワネットは大の甘党でしたし、朝食はブリオッシュにチョコレートだったそうです。
ちなみにアントワネットはクグロフとマカロンが大好物だったようです。
なんか、カロリー高そうですね・・・
このアントワネットの食事法を現代に応用したものが「マリー式食事法」ということ
早速詳しくご紹介してみたいと思います
●朝にケーキを食べる
朝食を抜いて高カロリーな食べ物を見ると、脳が活発化し、より多く食べてしまうのだそうです
朝食を食べた時と食べなかった時を比べると、朝食を食べなかった時は、脳の眼窩前頭皮質が、高カロリーな食べ物を見ると活発化
実際に多く食べてしまうという研究結果が出ています。
また、朝は血糖値が不足しており、神経細胞は糖分を必要としているそうです。
なので、朝糖分を摂取することは理にかなっていると言えるのです
なるほど、朝食に甘い物は食欲抑制に効果的らしい・・・
さらに、朝食にデザートを加えることによって、夜まで終日甘い物への渇望を抑えことができるともいわれています。
朝食に必ず甘いデザートを加えた十分満足できる食事をした人々は、甘い物を完全に排除した低炭水化物の朝食を食べた人々より、平均で体重を18キロ多く減らせ、それに加えて、リバウンドも回避できたそう
人体は朝は代謝がよいと言われていますし、カロリーを摂取しすぎたとしても、夜までに燃焼する時間の余裕もあります。
その理由からも、朝ならケーキを食べてもダイエットにはあまり影響しないということのようです
『ケーキは女性の栄養剤』っていうくらいケーキが大好きな私たちにとっては、これは本当に嬉しいですよね!
ただ、18世紀のフランス宮廷のケーキがどんなものか、現代のケーキと比べてどのような違いがあるのかによっても、朝食にケーキがいいのかどうかは変わってきそうな気もしますね・・・
●昼に肉や魚等の主食を食べる
昼にバランスの良い食事をがっつり食べると、夕方お腹が減るであろう時間の間食を防ぐ事が出来るといいます。
その際は、血糖値がゆっくり上がるGI 値が低い食材を心がけて食べると、よりお腹もすきにくくなるそうです。
GI 値の低い食材としては、さつまいもや玄米などが挙げられます。
●ポイントはたんぱく質
健康的にやせるためには「たんぱく質」が欠かせない
筋肉のもととなるたんぱく質が不足することで、筋肉量が減少し、代謝が落ち、太りやすい体体質になってしまいます。
また、筋肉量が減少すると、冷えやすい体にもなります。(低体温・冷え性)
アミノ酸が多い良質のタンパク質は、肝臓などの内臓の再生・修復にも役立っていますので、そうした体を作るもととなるたんぱく質が不足すると、肌荒れなどの原因にもなります。
ミス・ユニバース・ジャパン候補者のスタイルキープ法&美肌の秘訣では、健康的でメリハリのある美しいボディーラインと代謝の良い体を作るために筋肉は欠かせません
その筋肉を作るために、ミス・ユニバースたちもタンパク質の多い食事を増やすことを心がけているそうです。
●夕食は栄養素が高く低カロリーのスープ
マリー・アントワネットが実際に食べていたと云われているスープは鶏、羊、牛などの骨をたっぷりと数時間煮込み、それに野菜やハーブが加えられたものです。
ちなみにこちらは、実際のマリー・アントワネットのある一日のメニューの一例
『マリー・アントワネットの典型的な一日の献立』
(朝食)プレーンヨーグルト、ナッツを加えた自家製ケーキの適度なスライスとミックスベリー。
(昼食)キヌアおよびミックスベジタブル 皮なし鶏胸肉やサーモンの切り身のライトスープ。
(午後のおやつ)ヒマワリの種とゴマとアーモンド一握り。
(夕食 遅くとも午後8時まで)サイドサラダ、鶏肉やチーズひとかけらのスープ。
マリー式ダイエット法なら、結構無理なくダイエットできそうですね
以上、マリーアントワネットの美容法の数々、いかがでしたでしょうか?
『世界史に残る絶世の美女とは誰をイメージするのか』というアンケートで、
一位「クレオパトラ(63.8%)
二位「楊貴妃(39.5%)」
そして、三位に「マリーアントワネット(25.0%)」がランクイン
(ちなみに四位は「小野小町(15.8%)」でした。)
世界三大美女と称されるクレオパトラ、楊貴妃、小野小町は、上位にランクインしていて当然ですが、まさか、マリーアントワネットが三位にくいこんでいるとは・・・
こちらのブログでも度々彼女のお顔のチェックは欠かしていませんが、実際の顔立ちはあまり美しくないご様子
ですが、美容に対する情熱、幼いころから洗練された美的センスと高い美意識、さらには財力、そして血のにじむような努力もともなって、見事に現在を生きる私たちの中に『絶世の美女』というイメージとしてインプットされているところがあっぱれです
取り巻き達はマリー・アントワネットが次々と手を出す美容やファッション、遊び、娯楽に喜んで付き合います。
王妃に好かれるためにみな競って新しいファッションや美容、遊びのアイデア(悪知恵)を出していたのかもしれません。
それにしても、マリーアントワネットの美にかける意気込みは本当にすごいの一言です。
そこまでしても「美しい」と思われたかった・・・。
たとえ、それが健康の害になろうとも、皆に「美しい」と思われたかった。
ですが、私個人の印象としてはマリーアントワネットの美容法は過激なものも多く、彼女の美容法から学ぶとすれば、やはり高い美意識という一点でしょうか。
以前ブログでご紹介しました、ディアーヌ・ド・ポワティエ(フランス王アンリ2世の愛妾で、生涯歳をとらなかったという神秘的な美女)の美容法の方が感銘をうけますけれどね
よろしければ詳しくはこちらのブログ記事もどうぞ
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ディアーヌドポワティエ 19才年下の王を虜にし、美と愛に生きた美しき愛妾。シュノンソー城を舞台にした正妻カトリーヌドメディシスとの因縁の物語。
プラセンタは今でも美容によい成分としてサプリメントなどでも販売されていますし、
ハートや星型のつけぼくろも、現代でも顔タトゥーシールを貼って楽しんでいる方もいらっしゃいます。
歴史の中の美女たちの美容法は、時を超えて今の美容やおしゃれに通じるものがあり、
私たちもマネできることが多いことに注目です。
美容はもちろん、ファッション、ライフスタイル、そして生き方。
学べることがたくさんあります
次回のブログ記事からはアントワネットの生涯に戻ります。
彼女の生涯の中の大きなスキャンダル『首飾り事件』についてご紹介いたします。
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