今日ブログでご紹介するのは、フランス王妃の中で日本人に最も有名なマリーアントワネットの生涯についてです。
マリーアントワネットは誰もがご存知の歴史の中の美女ですね。
あまりにも有名なこの肖像画
ヴィジェルブラン 薔薇を持ったマリーアントワネット。
マリーアントワネットは、フランス革命に倒れた悲劇の王妃として歴史にその名を語り継がれています。
そして、彼女の生涯をたどって見ていくと、私たち女性に強く訴えかけてくるものがあります。
マリーアントワネットは大変な浪費家でフランスの国家財政を傾かせた、
とてつもない悪女と言われていましたが、皆さまもうご存知かと思いますが、近年彼女の評価は大きく変わってきています。
彼女の性格や人生なんかに興味をもって勉強してみると、私自身もマリーアントワネットはそんなに悪い人じゃなかったんじゃないかと思っています。
『悪女』というよりはむしろ素直で天真爛漫
性格の優しい、私たちの周りにも存在するような、いたって普通の女性だったような気がするのです。
そんなテーマも含めて早速、彼女の人生を追っていきましょう
この記事の目次
◆幼少期のマリーアントワネット その生い立ちや生活は?
マリーアントワネットの本名は、
「マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・ドートリッシュ」
「マリア・アントーニア・ヨーゼファ・ヨハンナ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン」
がオーストラリアの大公女時代の名前です。
1755年11月2日(ちなみに女優の深田恭子さんは彼女と誕生日が一緒ということで、一時自分をマリーアントワネットの生まれ変わりと申されていました)
オーストリアのウイーンで、名門ハプスブルグ家の神聖ローマ帝国皇帝フランツ一世と、オーストリアの女帝マリア・テレジアの5男11女の11女(末娘)として生を受けました。
こちらがマリア・アントーニア誕生の時の肖像画です。
赤ちゃんですが、整ってる!(笑)
マリーアントワネットが幼少期を過ごしたウィーンのシェーンブルン宮殿。
ハプスブルク・ロートリンゲン家(中央の寝台に座っている小さい子供がマリーアントワネット)。
わかりにくい画像ですが、一番手前にいる少女がマリア・アントーニア(マリーアントワネット)です。
マリア・テレジアをはじめ、ハプスブルグ家の大公女たちには皆「マリア」という名前がつけられていますが、「可愛い女の子」という意味なのだそう
マリア・アントーニアは「可愛い女の子のアントーニア」という意味
そこでやっぱり気になるのが、マリア・アントーニア(マリーアントワネット)の容姿ですよね
◆マリーアントワネットは絶世の美女?/h2>
幼少期の彼女は、金髪に碧眼、額は広くて歯並びはあまり良くない、
また、ハプスブルグ家の特徴ともいえる鉤鼻で、
真っ白く透き通る肌という容姿だったと言われています。
どうやら、絶世の美女
と、いうわけではなかったようですね
ですが、彼女は人目をひくような魅力的な顔立ちと、
何といってもマリーアントワネットの最大の魅力だったともいえる、
『優雅な立ち居振る舞い』で人を惹きつけてやまない少女だったと言われています
以前、マリーアントワネット関連の文献で、彼女はじっとしている時よりも、動いている時、その動作やしぐさにこそ最大の魅力を発揮していたと読んだことがあります。
そして、その彼女ならでは魅力は、マリーアントワネットが最期を迎える時まで色あせることはなかったようです。
幼少期は両親に愛され、ウィーンのシェーンブルン宮殿で穏やかな日々を過ごしています。
両親の社交界好きもあって、アントワネットもわずか4歳で社交界デビューを果たしています
そして、仮面舞踏会や狩猟、トランプ賭博・・・兄姉たちと賑やかな毎日を過ごし、色々な遊びに熱中します
こちらは7歳のアントワネット。
真ん中でお人形を持っています。
ちょっとアップに・・・お茶目なお顔立ち
こちらも1762年 7歳のマリー・アントワネット。
透きとおるように色白でブロンドの髪がよく似合う、誰の目から見ても美しい王女でした。
こちらの肖像画も同じころに描かれたもの。
1762年 7歳のマリア・アントーニア(マリー・アントワネット)
とっても愛らしいですね
母のマリアテレジアは食べ物の好き嫌いを許さない、
『甘いものは控えめに』、『召使と親しくしない』、『親には絶対服従する』、『礼儀正しく振舞う』というしつけの方針を打ち立て、アントワネットを含む兄弟姉妹を厳しく教育し育てたとされています。
しかし実際には子供達は甘やかされて、わがままに育ってしまっていたようです
実は両親は成長しても親の言いなりになるように、子供達には必要最小限の教育しか受けさせなかったのです。
1766年、四女クリスティーナの結婚式に出席するマリア・アントーニア。
中央がマリア・アントーニア 11歳。
そんな環境の中で、自由気ままな性格に育ったマリーアントワネット。
要領よく立ち回って家庭教師たちを手玉にとり、勉強をよくサボっていました
彼女の可愛らしい容姿と口のうまさ、人の心を惑わすような振る舞いはすぐに人の心を取りこんでしまうことから、当時彼女は「人を指に巻いてしまう少女」と陰で呼ばれていたそうです。
それは、『他人を自分の言いなりにさせる』という意味だそう
シェーンブルン宮殿の角部屋にある朝食の間の隣が子供部屋でした。
そこでマリアアントーニアをはじめ、姉のクリスティーネ、カロリーナ、アマーリア、ヨーゼファの姉妹たちがとても幸せに暮らしていました
左からカロリーナ、ヨーゼファ、アントーニア。
真ん中の九女のヨーゼファは姉妹のなかで最も美貌と評判でした
◆美女のお顔チェックには余念のない私・・・
早速マリア・ヨーゼファのお顔もすかさずチェック
確かに~
気品あふれる儚げな美貌の持ち主。かなり好みです
けれど彼女は16歳の時、ナポリ王フェルディナンド4世に嫁ぐ結婚式を目前に天然痘で死去してしまいます
彼女の代わりに嫁いだのは、後ほどご紹介する十女のマリア・カロリーナになります。
マリー・アントワネットは特別に敬虔でもなく、学力がめざましいわけでもなく、
音楽やダンスにバレエ、乗馬や愛犬と遊ぶ日々に明け暮れます。
姉のマリア・カロリ-ナ(十女)と双子のように育ちますが、
勉強嫌いのアントワネットとの『学術熱心さ』の違いで母テレジアは二人の教育を完全に分離したそうです。
お気に入りのピンクのドレスの9歳のマリー・アントワネット。
右は3歳年上のマリア・カロリーナ。
マリア・カロリ-ナ。美貌はアントワネットの方が上
年が近く一番仲が良かったマリア・カロリーナは、ナポリ王でありシチリア王フェルディナンドの妃になります。
実は最初マリア・カロリーナがフランス皇太子と結婚する予定だったのですが、ナポリ・シチリア王のフィアンセだった姉マリア・ヨーゼファが急死したために、急遽マリア・カロリーナに変わったのです。
母マリア・テレジアに似て、頭脳明晰で行動力があり、外交手腕もある彼女。
予定通りにフランス王妃になっていたならば、革命も異なった展開をしていたかも知れませんね・・・。
一方、マリーアントワネットは早くからフランスの有名なバレエ教師から手ほどきを受け、
踊りをとても得意にしていました。
長兄ヨーゼフの結婚披露宴でその得意なダンスをみんなの前で披露して賞賛を得たといいます。
当時マリーは10歳。
それはそれは、思わず笑みがこぼれてしまうような愛らしいダンスだったに違いありませんね
「愛の勝利」ディティール ヨハン・ゲオルグ・ヴァイケルト 1765年
1767年 12歳のマリア・アントーニア
マリーアントワネットは幼少期から本当に肖像画が多く残されていて興味がつきません
ちなみに、母のマリア・テレジアはフランスの宮廷娯楽を熟知していて、幼いアントーニアにカードゲームを教えています。
それは「ゲームに勝つ」ということを学んでほしかったのかと思いますが、
後にヴェルサイユでの夜通しのパーティでの賭博で、アントーニアが負け続けることになろうとは思ってもみなかったでしょうね・・・
1768年 13歳のマリア・アントーニア
また、音楽好きとしても知られる彼女は、幼少の頃から聴くだけではなく、
自ら様々な楽器を演奏して楽しんでいました
ハープやチェンバロは初見で難なく弾きこなすほどの腕前だったとも言われています。
ウィーンで音楽の豊かな表現力に魅せられた彼女は、
作曲も手がけ、少なくとも12曲の歌曲が現存しています
結婚を数ヶ月後に控えた1769年。
大好きなシェーンブルン宮殿でクラヴサンを奏でるマリー・アントワネット。
このウィーンの宮廷での伸び伸びとした環境や、マリーアントワネットのおしゃまな感じは、
池田理代子さん原作の漫画『ベルサイユのばら』でも描写されていましたので、皆さまご存知の方が多いですよね
『ベルサイユのばら』でのマリーアントワネット
私も子供のころ、胸ときめかせながら何度も何度も繰り返し読みました
1巻の表紙は可愛いウィーンでのマリーアントワネットでしたね
◆母・マリアテレジアは実はマリーアントワネットよりも美女だった!?
美女研究ブログということで、ここで少しマリーアントワネットの母親である、偉大なるオーストリア女王マリアテレジアの美貌についても触れてみたいと思います
マリアテレジア。
オーストリアの女帝。生没年は1717年~1780年。
政治的手腕に長けた偉大な女帝ですが、私たち日本人はマリーアントワネットの母親というイメージの方がはるかに強いのではないでしょうか?
名君主として知られる立派な彼女。
上の肖像画の画像のように、見た目もかなり貫禄のあるイメージありますよね?
でも、若い頃のマリアテレジアの肖像画を見たことがあるでしょうか?
実は若い頃のマリアテレジアって、すごい美貌の持ち主だったのです
では、若い頃のマリアテレジアをご覧ください
いかがでしょうか
お顔のアップ。
大きく澄んだ瞳が印象的です
大きな瞳と言っても、この肖像画のマリアテレジアのこちらをまっすぐ見つめる視線、
何やらものすご~く賢そうじゃないですか
すごい知性のようなものを感じませんか
凛々しくきりっと結んだ口元にも、彼女の芯の強さがよく表現されています。
それはマリーアントワネットには全くない特徴だと思います。
8歳頃の肖像画の彼女もやっぱり知的
王権の象徴であるオコジョの赤いマントをまとって、すでに堂々たる風格を醸し出しています
この頃になると大分ふくよかになってきていますね。
マリーアントワネットとマリアテレジア。
親子といえど、その性格や性質が明らかに違うということが、
その肖像画を見るだけでもはっきりとわかりますよね。
そのことが二人の人生の明暗を分けたのかもしれません。
そして肖像画を見る限り、実はマリアテレジアの方がアントワネットより美貌の持ち主だったように私は思います
マリー・アントワネットの幼少時代に戻りましょう。
◆モーツアルトからアントワネットへのプロポーズの真相は?
マリー・アントワネット幼少時代の有名なエピソードというと、
かの天才音楽家モーツアルトからプロポーズを受けたこともその一つです
ザルツブルグの神童と言われたモーツアルトは、幼少時からその音楽的才能をいかんなく発揮し、ヨーロッパ中を演奏旅行して回っていました。
そして、6歳の頃アントワネットが住むウィーンにて、
神聖ローマ帝国の女帝マリア・テレジアの御前演奏に招かれ、一家の前で演奏をしたのです。
モーツァルトがマリア・テレジアファミリーの前での演奏。
シェーンブルン宮殿に招待されたモーツァルトは、ハープシコードの素晴らしい演奏を披露し奨励金を得ました。
マリア・テレジアは音楽をこよなく愛していたので、幼いモーツァルトの天才的な演奏と才能にとても感嘆したといいます。
そして、モーツァルト自身も演奏が大成功したことに喜び、女帝マリア・テレジアの膝の上へと飛び乗って、頬にキスをしたという逸話も残っています
モーツアルト幼少時代の肖像画。面影ありすぎ(笑)。
そして、その際に宮殿の床で滑って転倒してしまったモーツアルトを、
同じ年のアントワネットが助け起こしてあげるという出来事がありました。
するとモーツアルトはとても喜んで、「あなたはいい人だから、大きくなったらお嫁さんにしてあげよう」と突然のプロポーズをしたのです
たった6歳の少年がいきなりのプロポーズですから、モーツアルトも相当おませな男の子だったみたいですね
転倒して恥ずかしかったところに、人を惹きつけてやまないアントワネットが駆け寄ってきてくれたのですから、とても感激してとっさにプロポーズの言葉が出てしまったのでしょうか?
当然ながら、モーツァルトは当時6歳の子供でしたから、そのプロポーズは受け入れられませんでした
ウィーンの豊かな音楽界に華を添えるような、微笑ましいエピソードですね
そして、マリーアントワネットは、後にフランス王室へと嫁ぎ、波乱の人生をおくることとなります。
14歳のマリア・アントーニア
モーツァルトが亡くなってから2年後、マリーアントワネットも悲運の最期をとげることにななるのです・・・。
このウィーンでの幸せな演奏会でのエピソードの時には、その後、愛らしい彼女が歴史的悲劇の大きな渦に巻き込まれることになろうとは、誰もが想像だにしていなかったと思うと本当に胸が痛みます・・・。
マリーアントワネットのこの後の生涯については、続きのブログ記事でご紹介していきますね
↓ ↓ ↓
マリーアントワネット② 未来を暗示する結婚式にまつわる四つの不吉。また、肖像画によって違う彼女の本当の容姿(顔)は?
ちなみに惣領冬実さんの漫画『マリーアントワネット』も話題になっているようですね☆
写真画像出典:kodansha.co.jp
こちらは漫画史上初、なんと!あのヴェルサイユ宮殿が衣装、建築、そして王宮儀礼のすべてを監修しているのだそうです☆
21世紀に発表された衝撃の事実をもとに描かれる、全く新しいフランス王妃マリー・アントワネットと国王ルイ16世の物語は、壮麗なロココを紙上に再現した惣領冬実さんの最高傑作だそう!
惣領冬実さんの漫画マリーアントワネットの詳細はこちらでどうぞ♪
↓ ↓ ↓
惣領冬実さんの歴史漫画は絵も綺麗ですし、読みごたえがありますからね!(チェーザレもファンです♪)
私も『マリーアントワネット』ダッシュでネット通販でポチ☆しま~す♪
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