今日は前回に引き続きブログでマリーアントワネットの髪形(ヘアスタイル)に焦点を当てて、彼女のファッションを研究していきたいと思います。
結婚後、ファッションに目覚めて様々な流行を作り出したマリーアントワネットは、ドレスのみならずヘアスタイルにもこだわります。
よろしければこちらのブログ記事もお先にどうぞ
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マリーアントワネット④ こだわりのお洒落~ ドレスやファッション、性格や人柄を画像満載で徹底分析☆
この記事の目次
◆アントワネット考案!奇抜で斬新な『盛髪ヘア』の世界観がすごい!!
最初は綺麗に結っていたのですが、そのままでは飽き足らず、どんどん上に高く盛り上げる『盛髪ヘア』を始めるようになるのです
マリー・アントワネットのヘアスタイルは、お抱え結髪師ジャン・レオナールにすべてが一任されていました。
今で言う専属ヘアスタイリストですね!(ローズベルタン同様、そのお給料は、大臣クラスであったと言われていますが、マリー・アントワネットともなると、自分の美しさのためにお金をかけるのは当然のことですよね。)
王妃のニーズと彼特有の奇想天外なアイディアをミックスさせて作り上げたヘアスタイルは
常に注目を集め話題の的となりました
ちなみにこちらは王太子妃時代のアントワネット。
髪はこじんまりとまとめられ、若さと清潔感があってこっちの方が好きな気も・・・。
ポンパドール夫人もこんな感じのすっきりした髪形ですよね。
だんだん高さがでてきているようですね・・・。
アントワネットはプーフという髪形を流行させます。
高く結い上げ、装飾品で飾り立てたロココ時代の象徴ともいうべき、巨大なヘアスタイル
マリーアントワネットのプーフ。
まず、髪粉(小麦粉)を頭からかけます。
当時のアントワネット肖像画を見ると、髪の毛が全部白髪に見えますが、
あれは、小麦粉を頭からかけていたからなのです
髪だけじゃなく、肌にもかけていたようです。
フランスでパンが不足していた原因の一つとして、貴族達が髪粉として小麦粉や澱粉などを使っていた事も上げられています
そして、中にクッションを入れてボリュームを出し、高く盛って結い上げ、崩れないようにポマードでしっかり固めます。
そして、リボンやレース、キラキラ輝くジュエリーなどで飾っていました
(この頃は、ゴージャスでしたがまだ可愛らしい雰囲気がありました。)
ジュエリーいっぱいで素敵・・・
様々な形に結い上げられた髪は、当時流行したシノワズリ(和風)を基にされ、
中国の貴族や日本の花魁のようなボリューミーでダイナミックなスタイルでした。
ソフィア・コッポラ監督の映画「マリー・アントワネット」(2006)
キルステン・ダンストも盛ってます
しかし、次第に結った髪に乗せるヘアアクセサリーがエスカレートして、
バラやカラフルな大きいダチョウの羽根を差し込んだり、
最終的にはりんごなどの果物や、花瓶を載せてバラを挿したスタイル、人形、さらには生きた鳥をいれた鳥かご
当時のトワレの肖像画。鳥かご持ってます・・・
そしてイギリスの軍艦や庭園の模型など、かなり大きなオブジェを乗せるに至りました
18世紀後半のスタイルブックの絵。
豪華なドレスと合わせると、格好良い気も・・・
当時は船盛ヘアや軍艦ヘア、庭園ヘアなどと呼ばれていました。
もうこうなると、おしゃれを通り越して、奇抜な頭飾りとしかいいようなないほどです
「髪は女の額縁」と言いますが、この額縁はいかがなものかと・・・
こちらは、2012年に開催された展示会、マリー・アントワネット物語展で復元された、
「軍艦『ベル・プル』のヘアスタイル」
左が復元されたもので、右側が模型。
「お手にとってかぶってみてください」と書いてあります。
単体で見ると、かなりおかしい感じですが、かぶると意外に良いとの意見も
◆エスカレートしていく貴族たちの髪型
アントワネットが始めたこの一風変わったヘアスタイルは、貴族の間で大流行
より高くて派手なヘアスタイルが最もおしゃれだという感覚に陥り、みんな競い合って限界までより高く髪を盛り上げ、大きくて存在感のあるオブジェを髪の乗せるようになっていきます。
90cmもの高さに髪を固め、羽根やリボン、そして模型で飾りつける・・・
その髪型の重さは約5kgに至るものも!
奇抜を通り越して滑稽な気すらしますが、これが宮廷で大流行したというのですから、
18世紀ロココ時代の貴族文化の退廃ぶりが伺えます。
マリーアントワネットは『退屈が怖い』と言っていたといいますが、貴族たちも同じようによほどか暇をもてあましていたのでしょう。
だからここまでファッションがエスカレートしていったように思われます。
18世紀後半のスタイルブックから。
しかし、この巨大なヘアスタイルのモードはどう考えても、少し行き過ぎだったのでしょう。
あまりの高さゆえ、結髪師が櫛を入れるためには椅子や台の上に乗って仕事をせざるを得なくなっていました。
髪を結った女性は、馬車の天井にもつかえてしまうので馬車の中では身体を二つ折りにしてかがんだり、またははひざまずいていなければなりませんでしたし、
あまりに高く盛りすぎたせいで、宮殿のドアを通れずに出入りできなかったりしたそう
マリー・アントワネット自身も、あまりに髪型を高くしすぎて、王冠形のシャンデリアにぶつけて壊してしまったこともあったようです
日常生活に不都合が生じる場面も多く、生活がとても不便になったというエピソードがあります。
お付きの従僕も必要なようです・・・。
しかも、髪を高く結いあげて飾り付けるのには、かなりの費用と時間がかかりました。
アントワネットは、髪を結っている間は当然ベットで横になることも、
髪の毛を洗うこともできなかったわけです
入浴を習慣としていて綺麗好きな彼女でしたが、ヘアスタイルのために寝不足でふらふら、髪の毛もフケなどが増えて不潔な状態のまま我慢して過ごしていたようです
こちらも当時の風刺画です。
ボリュームがあって、ゴージャスなヘアスタイルは、お金と時間と労力がかかっているのですぐに壊したらもったいないもったいない。
できるだけ長くもたせようとして数日間は結ったままでいなければならないのは、普通に想像してもかなり辛いものですよね。
盛髪ヘアの流行はのちに王妃が出産し、髪が薄くなったことでそれをやめるまで続きましたが、やがては終息を迎えて普通のヘアスタイルに戻る時が来ます
(ちなみにナポレオンの時代には、皇后のジョセフィーヌはショートカットにして、当時の流行となりました。)
アントワネットがこのように、風変わりで革新的なヘアスタイルにのめりこんだのは、
やはり、性的不能な夫とのやりきれない結婚生活に対するストレスが大きいと云われています。
間夫婦に関する噂話がヴェルサイユ中の貴族に広まり、マリー・アントワネットにたいへんな屈辱を与えていました。
加えて窮屈な宮廷での生活、王妃としての重圧から逃れるための一種のストレス解消だったと云われてています。
当時のアントワネットにとっては、お洒落は最高の快楽だったのでしょうね。
◆年齢を重ねて落ち着いてきたマリー・アントワネットの髪形の変遷も肖像画を追ってみていきましょう
マリー・アントワネットが出産で髪が薄くなってしまった時、レオナールは日常的になっていた高く結いあげるヘアスタイルを否定し、
カールを下へ垂らした「子供風」という新たなスタイルをマリー・アントワネットに進言し、新しい流行を作り上げます。
プチ・トリアノンでの王妃のナチュラルなスタイル
ナチュラルなヘアスタイルの方が、清潔で断然気持ちいいですよね
個人的に、ソフィア・コッポラ監督の映画「マリー・アントワネット」の、プチトリアノンスタイルにはまっています
ナチュラルなドレスとお帽子がどれも素敵すぎる~
こちらは肖像画のなかの帽子のコーディネート
アントワネットは赤いドレスに凝っている時期があるように思います。
落ち着いたとはいえ、ゴージャス感は残していますね。
やはりダチョウの羽根飾りはお気に入りだったようです
こちらはパールのヘアアクセサリーが
もちろん本物の宝石(ジュエリー)なのでしょうね
シンプルになりましたがかなり巻いて、ボリューミーです。
そしてこちら・・・
美しかった髪は無残にも切られてしまいます・・・。
写真画像出典:ilya8illya.exblog.jp
ちなみにこちらはカルナヴァレ博物館に所蔵されている、マリーアントワネットの遺品の一つ。
実際の彼女の髪の毛です・・・
マリー・アントワネットのファッションはこの時代そのものだったと言えます。
時代が彼女を選び、彼女が時代の流行をつくった。
18世紀ロココ時代のヒロインと呼ぶにふさわしい女性です。
王妃が次々とつくり出す流行に乗り遅れまいとする貴婦人たちの出費はどんどん増えていき、「王妃は貴族を破産させる」とまで言われていました。
現代の私たちも盛り髪のブームなんかがありましたけれど、
あまり極端に大きいのは美しくないですが、
適度に髪にボリュームを出すと、よりエレガントに、よりセレブっぽい印象になりますから、マリーアントワネットの髪形を参考にしてみるのもいいかもしれませんね
ドレスやヘアスタイルなどファッションに並々ならないこだわりを持っていたマリー・アントワネット。
そんな彼女が美容に興味がないわけがありませんよね
次回はブログでマリーアントワネットの美容について研究していきたいと思います
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