アナスタシアの人生(生涯)についてブログで追っています。
今回はアナスタシアの革命までの幼少期の環境(状況)、そして皇帝一家の運命を握るラスプーチンという人物についてブログでご紹介してみたいと思います。
●アナスタシアの人生①はこちらのブログ記事でご紹介しておりますのでよろしければ合わせてどうぞ♪
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皇女アナスタシアの生涯① ロシア革命で処刑されたロマノフ家の四女。その容姿は美形?
★アナスタシアの幼少期 ロシア革命前の周囲の状況
アナスタシアの父であるロシア皇帝ニコライ2世には皇后アレクサンドラ、そして皇太子である長男アレクセイと、長女のオリガ、次女のタチヤナ、三女のマリア、四女のアナスタシアの4人の皇女がいました。
前回のブログ記事でも述べましたが、四姉妹の皇女の末娘で、一番小柄だったというアナスタシア。
その性格は茶目っ気たっぷりで、よく人真似をしては周りを笑わせるのが好きな明るい少女でした。
そのため、皇帝夫妻はことのほかこの四女のアナスタシアを可愛がっていたと言われています。
アナスタシアの弟、皇太子である長男のアレクセイは生まれつき「血友病」という重い難病に苦しんでいました。そして、その病気は母である皇后アレクサンドラの家系から持たらされたものだったため、皇后アレクサンドラは息子の難病にひどく心を痛め、神経をすり減らす毎日だったといいます。
そして、そのためか?体質のためか?皇后は自らも心臓病を患っていました。
息子と自身の病気苦労のため、そのかつて美しかった容貌は見る影もないほどやつれ果て、あまりの老けように周囲の者も驚くほどに心身ともに衰弱が激しかったといわれています。
アレクサンドラ皇后
アレクサンドラ皇后はそうした辛い日々の中、ラスプーチンという一人の巡礼僧に心を奪われるようになっていくのです。
このラスプーチンという怪人物。
池田理代子さんのロシア革命をテーマにした漫画「オルフェウスの窓」でもしっかり登場していましたね。
後世でも超能力者として歴史にその名を残しているラスプーチンですが、皇后をはじめ皇女たち、さらに宮廷内の多くの女性の心を捉え、ロマノフ王朝宮廷内に深く入り込み大きな影響力を持つようになっていった人物なのです。
そしてある意味、この怪僧の存在こそなければ、陰謀や革命そのものも起きていなかったかもしれず、帝政ロシアを破滅させたともいわれている彼の生涯も少しご紹介してみようと思います。
★怪僧ラスプーチン 農夫から魔術師へ
グリゴリー・ラスプーチン
1869年、グレゴリー・ラスプーチンはロシア・シベリアの小さな村に農夫の息子として生まれました。
成長して農夫となり、妻と幸せに暮らしていました。
そんなごく普通の農夫であったラスプーチンですが、彼が20歳の頃、野良仕事中に突如として、聖母マリアの声を聞くという不思議な体験をするのです。
そして、その神秘的な体験から、ラスプーチンは父や妻に突然「巡礼に出る」と言い残し、1892年に村を出ていってしまいました。
それから数ヶ月後、無事に村に帰ってきたのですが、妻をはじめ周囲の人々は彼の変貌ぶりに驚愕します。
彼は難病を治癒する能力や未来を予言する能力を身に着け、普通の農夫から、常識では考えられないような能力をもった魔術師となって帰ってきたのです。
そして以降、ラスプーチンはその能力によりどんどん名を上げていき、1907年、ついに大きなチャンスを手にしました。
皇帝ニコラス二世により、「難病に冒されている皇太子を治癒せよ」との命を受けたのです。
皇帝にとって血縁を絶やさないということは最も重要なこと。でずので、ニコラス二世はおそらく藁にもすがる思いでこの怪僧ラスプーチンを頼ったのだと思われます。
★皇太子の病の治癒に成功 皇帝夫妻から絶大な信頼を得る
ラスプーチンが初めて宮廷を訪れ謁見した時のこと。
重い病でベッドに横たわる皇太子アレクセイに対し、何かやさしく語りかけたといいます・・・
すると驚いたことに、アレクセイは突然見違えるように元気になり、ベッドから上半身を起こし、ラスプーチンの話に耳を傾け出したといわれています。
それは、それまでの医者による治療では考えられないことでした。
あれほど、病に苦しんでいたアレクセイが、突如として目を輝かせ、じっとラスプーチンの話に聞き入り、やがて、話の続きをねだるほど元気になったのです。
血友病による出血や苦痛も、しれと同時にまるで嘘のように治まったといわれています。
ラスプーチンは皇太子の血友病を見事に治癒したのです。
血友病は当時の科学では治癒することのできない病気であり、一体、どのようにしてラスプーチンがこの病を治癒したのかは現在でも明らかになっていません。
まるで、ラスプーチンの超能力的なパワーが血友病という難病を消し去り、皇太子に生命を吹き込んだかのように見えるほど・・・やはり、何か神がかった能力を彼は本当に持っていたのかも知れませんね。
皇太子アレクセイと皇后アレクサンドラ
そして、以来、皇后がこのラスプーチンにより神秘主義の世界に浸ることになっていくのです。
皇太子の一件から、ラスプーチンに心酔するようになった皇后アレクサンドラは、彼の言うことならどんな馬鹿げたことでも心から信じ、疑わなくなるほどまでに信頼を寄せていきます。
いつも彼を身近に置き、事あるごとに教えを仰ぐようになったのです。
ですが、こうした皇后の振る舞いは、宮廷内のラスプーチンを嫌う他の貴族や聖職者など多くの権力者達の憎しみや反感を買うことになるのは簡単に想像できますよね・・・。
ラスプーチンによって自らの権威が地に墜ちかねないと考えた彼らは、ラスプーチンこそ現在の陰謀や暴動の災いの種として忌み嫌いました。
★アナスタシアとラスプーチン
一方で、ラスプーチンはアレクサンドラ皇后をはじめ宮廷の貴婦人や貴族子女からは大変な人気ぶりで、熱烈な信仰を集めるようになります。
いつの時代も女性は占いやおまじない的など霊的なものに弱いですものね・・・。
宮廷の貴婦人に囲まれるラスプーチン どこか教祖様のよう・・・
ですが、それだけではなく、実はこのラスプーチン、30センチを超えるほどの巨根と超人的な精力の持ち主だったということらしく、彼の色仕掛けのために多くの女性たちからの盲目的な信仰を得ることができたといわれているのです。
色仕掛けが通用するのは男性に対してのイメージが強いですが、実際は女性にもそういった願望があるのかもしれませんね。
(ちなみに、ラスプーチンの男性器とされるものがアルコール漬けになって、サンクトペテルブルグの博物館に収容されているらしいですので、ご興味のある方はぜひ!)
このようなラスプーチンを巡る様々な逸話を見てみますと、「精力絶倫の巨漢」という荒々しいイメージがありますが、実際の彼の容貌は、痩せていてひ弱、青白い顔をしていたといいます。
ですが、そんな容貌とは打って変わって、どんな権力者を前にしても全く臆することなく、言葉を飾ることもなく、まるで相手の心を全て見透かしているかのような鋭い視線で単刀直入に物を言う人物だったといいます。
そして、彼のそんなどんな権威をも恐れぬ態度こそ、多くの敵をつくり出し、また、逆に皇后をはじめ多くの女性たちの心を掴んでいったということが想像されます。
アナスタシアを含む四人の皇女たちも、ラスプーチンのことを「ノーヴィ(新しいという意味)」と親しみを持った愛称で呼んでいました。
そして、ロシア宮廷内において、皇女たちがラスプーチンほど心から打ち解けて接した人物はいなかったと言われているほど親密な関係だったといいます。
●実際にラスプーチンがアナスタシアに宛てたという手紙が今でも残されています。
「アナスタシア、親愛なる姫、私たちのいるところには、どんな時でも、どこにいようとも聖霊はいるのです。
神はいつでもあなたの側にいます。
悪魔の脅かしに負けてはなりません。
そうして、恐怖に打ち勝って生きることを学びなさい。神を讃える歌をいつでも歌って生きるのです」
ラスプーチンがこのような内容の手紙をアナスタシアに宛てたのは、来るべく革命後の皇帝一家の悲劇の運命を見越していたからなのかもしれません・・・。
ラスプーチンは皇太子の病気を治癒したことで、皇帝夫妻から絶大な信頼を勝ち取りました。また、宮廷内の女性の人気を勝ち取ることにより、政治的にも大きな権力を持つことにも成功したのです。
一般の民からは「神の人」、皇帝からは「聖なる男」と呼ばれるようになり、ついに、信頼だけではなく、実際に政治を動かすことも可能となったのです。
ニコライ2世に助言し、国政をも左右させることが可能となった彼は「影の皇帝」と呼ばれるようになり、以前にもまして人々から尊敬・崇拝されるようになったのです。
そして彼は、宮廷の中でより大きな権力を持つという野望を持ち画策し始めるのです。
ですが、当然彼のことを嫌う貴族たちがこのことを許しておくはずがありません。
彼らの不満は徐々に、ラスプーチンから、彼を寵愛するニコライ二世へと向かうようになっていきます。
そして、この貴族達の中に生まれた不満の感情こそ、後の帝政ロシアを崩壊させる一因ともなるロシア革命につながっていくのです。
当然、その要因を作り出したラスプーチンも、命を狙われるようになります。
1916年12月29日、ラスプーチンの反対派である皇帝の姻戚のユスポフ公は皇帝の従兄弟のドミトリー大公と共謀し、お茶の会を催すと騙して彼ををおびきだし、その席で彼を暗殺してしまいうのです。
(ユスポフ公はオルフェウスの窓で、主人公ユリウスに恋をしてしまった人物ですね。)
晩餐の料理の中には大量の青酸カリが盛られていました。
ですが、ここでラスプーチンは尋常でない生命力を発揮することになります。
彼は、致死量を超えるこの青酸カリを含む料理をペロリと平らげた後も、平然とし、態度に全く変化を示さず、周囲を驚愕させたといわれています。
超能力を持った彼には毒物すら効かないということでしょうか・・・?
ラスプーチンの生命力の凄まじさを物語るエピソードはまだはこれだけではありません。
後、食後に祈りを捧げていたラスプーチンは、背後から鉄製の重い燭台で、頭蓋骨が砕けるまで激しく殴打され、
さらに大型拳銃二発で心臓と肺を打ち抜かれ、一旦は床に倒れましたが、すぐさま立ち上がったといわれているのです。
そして、反撃に出ましたが、さらに2発、計4発の銃弾を受け、ようやく倒れたところを殴る蹴るの暴行を受け、さらに窓から道路に放り出されたのです。
ようやく息絶えた・・・と思いきや、それでもまだ息が残っていたので、絨毯で簀巻きにされ、凍りついたネヴァ川まで引きずられ、氷を割って開けた穴に落とされたといいます。
後の解剖による死因では、肺に水が入ったことによる溺死でした。
生命力の強さゆえに、なんともおぞましい殺され方をしたといえますが。
恐ろしいほどの生命力を持っていた彼は、やはり、もはや人間ではなかったのかもしれないですね・・・。
ともあれ、ロシア宮廷と政治をことごとくかき乱した張本人のラスプーチンは、この1916年に47歳の若さで亡くなってしまったのです。
そして、彼の死とともに、皇帝一家にも死の運命が急速に近づいて来ることになるのです。
★ラスプーチンの遺した不気味な予言
ラスプーチン死去の報告に、敵対していた者たちは歓喜し、ニコライ2世を始め彼と親しくしていた者たちは悲しみに暮れながらも通常通りの政権維持に努め、一件落着。
と、思いきや・・・やはりそうは問屋が卸さないのが、ラスプーチンの怪僧たる由縁。
彼は自らの死を予期していたのか?
死の前にニコライ2世に謁見し、不気味な予言を残しているのです。
私は殺されます。その暇乞いに参りました。私を殺す者が農民であれば、ロシアは安泰でしょう。もし、私を殺す者の中に陛下のご一族がおられれば、陛下とご家族は悲惨な最期を遂げる事となりましょう。そしてロシアは長きにわたって多くの血が流されるでしょう
出典:グリゴリー・ラスプーチン – Wikipedia
ラスプーチンの死はまさに、皇帝一家の悲劇の運命の序曲でした。
彼を殺した貴族は皇帝の親族の一人でした。
ですので、このラスプーチンの予言が正しいならば、ニコライ二世を皇帝とする帝政の時代は終わってしまうということになります。
ですので、当初はこの予言は不吉なものとしてあまり信じられていませんでした。
ですが、1917年、ラスプーチンの死からわずか3か月後、ついにロシア革命の嵐が始まったのです。
そう、結果的にラスプーチンの残した予言は当たっていたということになります。
そしてその後、ロシアでは長きに渡り多くの血が流されることになるのです。
この革命において、これまでの帝政は崩壊しました。
社会主義政権が誕生し、その後ニコライ二世一族は人残らず惨殺されてしまう運命にあります。
ラスプーチンの予言は、完璧なまでに現実のものとなったのです。
ニコライ二世とその家族
ロシア革命は、積りに積もったニコライ二世の政治に対する不満が原因で起こったものです。
そして、その不満の種こそ、ロシア宮廷内におけるラスプーチンの存在によるものであったといわれています。
そう、怪僧ラスプーチンが帝政ロシアを破滅させるきっかけとなっていたのです。
ラスプーチンは神懸かり的な能力、そして尋常でない精力と生命力をもって、帝政ロシアの貴族社会を大きく揺るがしました。
一国の政治というものはそう簡単には揺るがないもののように感じていましたが、こういった歴史を学んでみますと、実際にはたった一人の人物の力で揺るぎ、崩壊にまで至る可能性を孕んだ、とても脆いものなのかもしれません。
このラスプーチンの生涯を見ていくことから、私たちはその事実を知っておく必要があるのではないでしょうか。
今回は美女の人生をウォッチする私の趣味からはかけ離れていましたが、ラスプーチンのことを学んでいくのは、皇女アナスタシアの人生とロシア革命を追っていくのに欠かせませんのでご紹介させていただきました。
ロシア革命以来、退位を余儀なくされた皇帝ニコラス二世。
そして、臨時政府によって皇帝一家は幽閉され、そして各地をたらい回しにされるという恐ろしい運命が待ち受けているのです。
◆この続きのアナスタシアの生涯はアナスタシア③のブログ記事にてご紹介していきますね。
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皇女アナスタシア③ 幽閉(軟禁)生活。革命後、イヴァチェフの館での恐怖と忍耐の日々。
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