クレオパトラ7世の生涯①幼少期~半生 エジプト・プトレマイオス朝の女王でありながら小ポンペイウスの愛人となった波乱の半生や時代背景

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世界三大美女・クレオパトラの生涯をブログでご紹介しております。

 

「クレオパトラ」と言えば、世界三大美女として多くの人々から今も愛されているエジプトの女王であり、また、ユリウス・カエサルとの国境を超えた恋でも有名な女性です。

 

「クレオパトラ」と呼ばれる女性は実際には複数名おり、エジプトの女王として即位した女性に多く名付けられた名前です。

 

これからこちらのブログでご紹介いたしますのは、実際には「クレオパトラ7世」です。

 

この「クレオパトラ7世」は「絶世の美女」だったとして世界中であまりに有名な女性ですが、「怒涛の人生」を送った女性としても歴史上特異な人であると言われているのです。

 

こちら私の大好きなエリザベス・テイラー(リズ・テイラー)扮する映画「クレオパトラ」。

ドラマティックなクレオパトラ7世の生涯はこれまで何度も映画化されていて、「シーザーとクレオパトラ」ヴィヴィアン・リー、「ミッション・クレオパトラ」ではこれまた私の憧れの女性モニカ・ベルッチが演じています。

その時々の絶世の美人女優が熱演していると言えますね。

 

今回はブログでそんな「クレオパトラ7世」のその半生をご紹介していきます。

 

 

◆クレオパトラ7世が生きた時代

 

クレオパトラ7世が生まれた時代、エジプトはプトレマイオス朝と呼ばれる王朝の時代でした。

 

プトレマイオス朝は比較的安定した王朝として知られていますが、実際はクレオパトラ7世の幼少期、王族内では骨肉の争いが起きていました。

 

王族が王族を殺し合うという悲惨な出来事が常態化し、エジプト国内は不安に満ちていました。(実際、クレオパトラの父である「プトレマイオス12世」は姉の「ベレニケ4世」と殺し合い生き延びていたという過酷なものだったのです。)

 

この状況を受け、これ以上王族同士の殺し合いがあってはならないと、クレオパトラ7世の父「プトレマイオス12世」は遺言を残します。

 

それは、プトレマイオス朝の伝統に則って、クレオパトラ7世とその弟に兄妹婚を行わせ、共同統治者として跡を継がせるというものでした。

 

兄弟婚といいますと現代を生きる私たちはちょっとびっくりしてしまいますが、当時のプトレマイオス朝では、実の兄弟や異母兄弟が結婚するということは決して珍しいことではなかったのです。

 

クレオパトラ7世はこうして父の遺言に従い、幼い弟プトレマイオス13世と結婚し、エジプトの共同統治者として女王の座につくことになったのです。

 

 

◆プトレマイオス13世とクレオパトラ7世

 

クレオパトラは、こうしてエジプトのプトレマイオス朝の女王になりました。

 

王位についてから、エジプトがかつてのような大国ではないということを見抜いたクレオパトラ7世は、どこかの国と同盟を結ぶことで再び強大な国になることを目指します。

 

そこで目をつけたのが、ローマです。

 

ローマはその当時世界をリードしていた国であり、船を使って各国とたくさんの交易をおこなっていました。

 

クレオパトラ7世はローマとの同盟の道を模索しますが、幼い弟プトレマイオス13世の側近たちにそれを阻まれるのです。

 

弟はまだあまりに幼かったため、実際に王位はお飾りのようなものでしかなく、側近達のいいなりでしかなかったのです。

 

こうした情勢の中、ローマでは内戦が勃発します。

ユリウス・カエサル派と元老派との戦いです。

 

この時、クレオパトラ7世はカエサルではなく元老派を支持しました。

これは、父の時代から元老派との繋がりがあったためだとされています。

 

この内戦で、ポンペイウス親子に兵と食料を要請されたクレオパトラ7世は多くの兵と食料を提供し、さらにポンペイウスの子である小ポンペイウスの愛人となったのです。

 

女王が愛人を持つなんて・・・と思う方も多いかもしれませんが、やはりこの時代にはそうしたことは実際によく行われていることでした。

 

行為の良し悪しはさておき、やはりそうしなければ生きていくことが出来なかった時代だったのでしょう。

 

たとえ彼女が王位を放棄したとしても「王族」であることは変わりがなく、誰かに利用されたりするのかも知れないですし、そんな時代背景の中、クレオパトラ7世が選んだ生き方は「有力な男の愛人になる」という事だったのだと思います。

 

このローマの内戦からクレオパトラ7世が小ポンペイウスの愛人となった流れに、不審を感じた弟のプトレマイオス13世の側近たちは、クレオパトラ7世の討伐を決意します。

 

結局、クレオパトラ7世の父があれほどに避けようとした王族同士の争いの再燃ということになってしまうのです。

 

 

◆境地に立たされたクレオパトラ

 

クレオパトラ7世のローマに対する親密な振る舞いは多くのエジプトの民の不審を買います。

 

やがて、その不満はクーデターと化していきました。

そして、この混乱に乗じたのが弟のプトレマイオス13世とその側近たちです。

 

クレオパトラ7世はこの不意を打たれたようなクーデターでエジプトの東に追いやられてしまいます。

 

また、愛人である小ポンペイウスの父ポンペイウスはこのクーデターによる戦いで命を落とします。

 

さらに追い打ちをかけるように、敵であるカエサルまでがエジプトに入りました。

 

カエサルは将軍としてこの混乱を収めるために、プトレマイオス13世とクレオパトラ7世の両共同統治者を呼びよせようとします。

 

絶体絶命となっていたクレオパトラ7世にとっては、この機会を逃すわけにはいきません。

何としても自分を正当化し、弟のクーデターを鎮めなければなりません。

 

しかし、実際、正規のルートでカエサルが呼びつけた場所まで行くことは困難でした。

弟の軍勢が呼びつけられた場所までの道のりを支配していたのです。

 

ここでクレオパトラ7世は妙案を思いつきます。

当時の叙述家であるプルタルコスによりますと、クレオパトラ7世は自らが寝具(絨毯とも)の袋に包まり、カエサルの元へ贈り物として届けさせたのです。

 

そして、この奇想天外な発想で、クレオパトラ7世は運命の相手、カエサルと初めて出会うことになるのです。

 

 

このクレオパトラとカエサルの出会いのシーンは歴史の有名なエピソードとして現代にも語り継がれていますよね。

 

ですが、エリザベス・テイラーの映画「クレオパトラ」でも描かれているこのドラマティックなシーン、絨毯から絶世の美女クレオパトラがカエサルの前に現れるというこのエピソードは、実は、実際に記録された資料が無いそうですので、いつの間にか?創作されたドラマの様ですが・・・。

 

 

◆まとめ

 

今回はブログで世界三大美女と名高い「クレオパトラ7世」の半生をご紹介してみました。

 

クレオパトラ7世は幼い頃から父親たち王族同士の争いを見て育ちました。

 

当時の不安に満ちたエジプトの国内とプトレマイオス朝の王家を守るため、クレオパトラ7世は女王として国の存続を目指します。

 

共同統治者である弟のプトレマイオス13世の側近たちとの国権をかけた争いが激しくなる中で、本格的なローマの介入始まりました。

 

クレオパトラが小ポンペイウスの愛人になったのが彼女の本望であるかどうかはわかりません。

 

それでも、彼女は自分の身を売ってまで、女王として国を守ろうと奮闘するのです。

 

そしてこの後、カエサルと出会って以後も、クレオパトラは国を守ることを第一に考えて生き抜いていきます。

 

その姿は、絶世の美女の名に相応しく、美しいと言えるのではないでしょうか。

 

クレオパトラの生涯②に続きます。

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