フランス革命が起こり、日に日に過激化していくなか、
マリーアントワネットおよび国王一家はヴェルサイユ行進(10月事件)により、ベルサイユ宮廷からパリへ連れ戻されてしまいました。
そして、半世紀近く放っぽらかしにされ、荒れ放題だったチュイルリー宮殿で暮らすことになるのです。
ヴェルサイユ行進(10月事件)によりベルサイユの宮廷からパリに連れ戻された国王一家は、
半世紀近く放っぽらかしにされ、荒れ放題のチュイルリー宮殿に移されてしまいます。
太陽王ルイ14世が王宮をパリのテュイルリー宮殿から、強引にヴェルサイユ宮殿へ移転したのが1683年のことですから、以来、実に106年ぶりに王宮がパリのテュイルリー宮殿に戻ってきたということになります。
ですが、それは王家の意志ではなく、フランス革命派による強制連行でした。
そして、そこから王一家は囚われの身となり、マリーアントワネットもチュイルリー宮殿で暮らすようになります。
国王一家は数カ月間この宮殿で過ごしたあげく、オーストリア逃亡に失敗してしまうのこととなるのです・・・。
結果、1792年にタンプル塔に幽閉されるまで、チュイルリー宮殿に住んでいました。
国王一家がヴェルサイユ宮殿から強制連行されたパリのテュイルリー宮殿
◆パリ チュイルリー宮でのアントワネットの生活は?
さて、そこでやっぱり一番気になるのが、王妃マリー・アントワネットのチュイルリー宮殿で生活が一体どんなものだったのかですよね
王妃マリー・アントワネット
アレクサンドル・クシャルスキー 1791年
チュイルリー宮殿は106年という長年放置されていたわけですから、かなり荒れ果てていたといいます
池田理代子さんの漫画『ベルサイユのばら』でも王太子のルイ・シャルルの、
『かあさま、ここはなんて汚いんでしょう』というセリフがありましたよね。
王一家が暮らすことになるなら通常であれば、突貫工事で大改装がなされるところでしょうが、なにしろフランス革命の中。
ヴェルサイユ宮殿が民衆に襲撃された翌日の午後に、急遽チュイルリー宮殿に強制連行されたくらいの状況ですから、王家の居住に相応しい手入れをするようなことなどあろうはずもありません。
そこに、ヴェルサイユ宮殿から運んできた家具を入れ、多少修理し、新たな生活が始まります。
チュイルリー宮殿
国王一家のために一部だけ修理。
王妃と家族は、ヴェルサイユ宮殿時代の豪華絢爛な宮廷生活とはうって変わって、
質素な生活を、この古びたテュイルリー宮殿で送ることになります。
王と子供たちの部屋は2階、王妃の部屋のみ1階でした。
そのことが不満だったマリーアントワネットでしたが、口に出すことはありませんでした。
ヴェルサイユでのあの生活は、この宮殿ではもはや不可能なのだと悟ったのです。
テュイルリー宮殿はルーブル美術館の目と鼻の先にありました。
当時のテュイルリー宮殿は、1871年に勃発したパリ・コミューンで焼け落ちてしまい、
1883年にナポレオンの命令によって完全に取り壊されています。
ですので、現在はチュイルリー公園となっています。
写真画像出典:monberu.com
チュイルリー庭園
チュイルリー宮殿の跡地。ベルばらではアンドレが戦死した涙なくしては語れない場所です。
当時を偲ぶものはほとんど残っていません・・・
唯一、マレ地区のジョルジュ・カーン小公園内に、瓦礫の幾つかが置かれている程度です。
在りし日のテュイルリー宮殿
今も残るカルーゼル凱旋門はナポレオンの戦勝記念として建造されたもので、
マリーアントワネットが弾頭台の露と消えてから14年後に完成したものです。
チュイルリー宮殿での36歳の王妃の肖像画
チュイルリー宮殿にて、
パン屋の夫を亡くした未亡人をを迎える国王と王妃。1789年秋。
◆美しい宝石もドレスもない退屈な日々
家族揃って暮せるシンプルな生活を、国王は結構楽しんでいたようです。
ですが、美しいドレスや宝石(ジュエリー)で着飾っての舞踏会もなく、
大好きな劇を演じることもできない退屈な日々を、気位の高いマリーアントワネットは我慢できませんでした。
チュイルリー宮殿の庭園を散歩する王妃、子供たち、王妹。
しかも、革命が始まってから、お気に入りのお抱え女流画家エリザベート・ヴィジェ=ルブランは外国に亡命し、その代わりに王室画家になったポーランド人のクシャルスキーが肖像画を手がけますが、すでに老いが始まってしまったのがわかるような肖像画ばかり・・・
質素な装いの王妃 クシャルスキー
クシャルスキーは後にタンプル塔やコンシエルジュリーでも、マリー・アントワネットの肖像画を描いていくことになります。
マリーアントワネット エリザベート・ヴィジェ=ルブラン
ルブランをお抱え画家としていた王妃は彼の肖像画に満足していたのでしょうか・・・?
こちらのブログ記事では、ルブランの描いた美しいマリーアントワネットの肖像画を多数ご紹介しています
↓ ↓ ↓
マリーアントワネット⑩ エリザベート・ヴィジェ・ルブラン 王妃の寵愛を受け、18世紀最も成功した美貌の女流画家の作品と激動のその生涯。
この時点では、まだ王位と王妃の地位は保全されていました。
とはいえ、実質的には囚われの身に近かったわけですから、アントワネットにとっては惨めな日々の連続だったことでしょうね。
◆フェルセン伯との恋
チュイルリー宮殿時代の王妃にとっての何よりの楽しみは、信頼と愛を寄せていたフェルセン伯の訪問でした。
マリーアントワネットの運命を心の底から案じていた彼は、王妃の元にいつでもはせ参じられるように、チュイルリー宮殿近くに住むようにした程でした。
ハンス・アクセル・フォン・フェルセン
日に日に束縛が強くなるチュイルリー宮殿での生活に、次第に耐えられないほどの嫌気がさしてきた王妃は、フェルセンに逃亡したい意向を伝えます。
マリーアントワネットは王の煮え切らない態度から、今こそ自分が主権を握らなければならないと真剣に思うようになり、フェルセンはそうした王妃の役に立つ誓いを立てます。
ちなみに、今年2016年10月~2017年2月、六本木で開催予定のマリーアントワネット展でフェルセンとの恋の真相も詳しく展示されるようですよ
『マリーアントワネット展』の詳細はこちらのブログ記事もどうぞ
↓ ↓ ↓
マリーアントワネット展が六本木で開催☆ ドレスや肖像画、私室のバーチャルリアリティなどヴェルサイユ宮殿監修の本展示会は見逃がせない!ラデュレのコラボグッズやチケット情報も♪
こちらはアニメベルサイユのばらのフェルゼン伯
この逃亡計画(ヴァレンヌ逃亡事件)は、フェルセンや外部の知人の協力で綿密に計画されましたが、オーストリアまで後残り50キロというヴァレンヌの地で駆けつけた軍隊によって逮捕されてしまうのです・・・。
次回のマリーアントワネットの生涯⑬ではヴァレンヌ逃亡事件とフェルセン伯との関係について詳しくご紹介したいと思います。
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