ネフェルティティの歴史と人生 クレオパトラ、ネフェルタリと並ぶエジプト三大美女の一人☆ツタンカーメンとの関係、女王の遺跡(墓)の発掘、生まれ変わり?ソックリ整形美女の生涯も!

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今日はこちらのブログで、古代エジプトに一神教を広めようとした王妃、

王に宗教改革をさせるほど影響力があったという、エジプトの美女「ネフェルティティ」(前1381頃~前1344頃)の人生を追っていきたいと思っています。

紀元前に繁栄した古代エジプト・・・

新王国第一八王朝のアメンホテプ四世の王妃が今日ご紹介する美女「ネフェルティティ」です。

時は紀元前・・・遠い遠い歴史のかなたの存在とはいえ、彼女の優美さは伝説上の夢物語とは違い、掘り出された彫像を通してもその美しさの片鱗が窺い知れるというまさに「本物の美女」☆

ネフェルティティは、クレオパトラと並んでエジプトの美女の代名詞にもなっている女性です。

「古代エジプトの三大美女」と言えば、

紀元前1世紀、プトレマイオス朝の女王クレオパトラ7世、

紀元前13世紀、第19王朝の大王ラムセス2世の正妃ネフェルタリ、

そしてこのネフェルティティとなっています。

◆早速ネフェルティティの気になるその美貌をチェックしてみましょう♪

こちらがエジプトで発見されたネフェルティティの有名な胸像です。
左目がないことが気になりますが、破損しているのではなく掘られていないのだそうです。
つまり未完成ということであり、様々な謎の多い胸像だと言われています・・・・。

横顔。

確かに、とってもお美しい方ですね☆☆☆

私は女優の吉田羊さんに似た美女化と思いますが、他に日本の芸能人では研ナオコさん、草彅剛さんに似ているという説も・・・!

1891年に英国により遺跡発掘が開始され、その後ドイツの考古学者に継承されていったエジプトの「テル・エルーアマルナ」の遺跡発掘。

そこで採掘された遺物に刻印されいた、古代文字による「アマルナ文書」の解読により、新王国第一八王朝時代のエジプトやオリエント諸国の歴史が解明されていったのです。
そして、そのアマルナで掘り出されたのが「ネフェルティティの胸像」で、

現在はベルリン博物館に収蔵されています。

そのネフェルティティの胸像の美しさは、今の時代の理想的な女性美にピタリのものともいわれています。

そのあまりの美貌のために、彼女に纏わる伝説が多くの人の関心をひくことにもなったということです。

古代エジプト3大美女と称されるほどの美女ネフェルティティですが、そのわりにはネフェルティティの歴史的資料は何も残されていません。

諸説ありますが、彼女は今だ謎の女性・・・。

そんなネフェルティティの人生の謎に迫っていけたらと思います。

◆謎に包まれたネフェルティティの人生(生涯)を紐解いていきましょう 名前の意味は「遠くから来た美女」

新王国第18王朝時代のファラオ・アメンホテプ4世の妻、
ネフェルティティという名前は「遠くから来た美女」という意味で、

そこから、ミタンニ王国からエジプトに嫁いできた、トゥシュラッタ王の王女「タドゥケパ」が、ネフェルティティだとする説が間違いないと現在では見られています。

ミタンニ王国は、その時代メソポタミア(現在のイラク)北部からシリアを領土としていた国です。

アマルナ文書によると、タドゥケパ(ネフェルティティ)は、はじめは政略結婚でアメンホテプ三世(老王)の後宮に入ったとされています。

タドゥケパ(ネフェルティティ)は、15歳のときに、大量の黄金の贈り物と引き換えにエジプト王国に嫁ぐことになったのだそうす。

船でエジプト入りしたタドゥケパ(ネフェルティティ)の姿を見て、エジプトの人々はその人並み外れた美しさに感動の声を上げたといわれています。

そして、そのことが「ネフェルティティ」という彼女のエジプトでの呼称となったといわれています。

わずか15歳の異国の少女はよほどか美しく、よほどか愛らしかったのでしょう・・・すぐにエジプトの人々の心を夢中にしました。

そう、いつの時代も、「若く美しいプリンセスの登場」というのは、人々の心を沸き立たせるものなのですよね☆

◆後宮に入ったネフェルティティ 正妃ティイとネフェルティティとの関係は・・・?

老王アメンホテプ3世は、若く美しいネフェルティティを後宮に迎えました。

ですが、王自身はすでに病に苦しみ、政治のほとんどは正妃のティイに任せているという状況でした。

実際に正妃ティイは女性ながらに権力欲が強く、政治的にもかなり「やり手」でした。

そんな正妃でしたが、後宮に入った側室のネフェルティティを排除しようとはせず、むしろ積極的にかばい庇護していくのです。

一体、なぜ・・・?

それは、実は正妃ティイ自身もまたネフェルティティと同じミタンニ王国の出身だったからなのです。

同郷のネフェルティティに対し、正妃は親近感があったようだと伝えられています。

老王は優しく、正妃にも擁護され、ネフェルティティにとってはなかなか環境に恵まれた新婚生活だったといえますね。

ですが結婚からわずか2年後に、老王アメンホテプ3世が死去してしまいます。

ネフェルティティはわずか17歳にして未亡人となるのです(が、これは最初の夫が老王ということである程度は想定内のことですよね)。

◆亡き王の息子 アメンホテプ4世との再婚 仲睦まじい二人

王の死後、その後継者選定を主導したのは、もちろん正妃のティイです。
彼女は、父アメンホテプ3世との不仲が理由で中央政権から遠ざけられていた、わずか12歳の息子の「アメンホテプ4世」を呼び寄せ、未亡人となったネフェルティティと結婚させるのです。

(このことはつまり、正妃ティイがネフェルティティを自分の後継者と認めたという証ということになりますよね。)

こちらはアメンホテプ3世正妃ティイのミイラだそうです・・・(冷や汗)。

また、一説によると、若き日にミタンニに旅をしたアメンホテプ四世が、すでに彼女(ネフェルティティ)を見出し、惚れ込んでいたともいわれていて、息子が父の側室を自分の妻にしたくなるほどにネフェルティティが美しかったということの証しともいわれています。

そしてアメンホテプ4世はついに望みを成就させたということになります。
いずれにしろ、17歳の美しいネフェルティティはアメンホテプ四世の正妻となり、この若い二人のこまやかな愛の交流は、掘り起こされたたくさんの遺跡に示されています。

(若いネフェルティティには、やはり若い男性との結婚の方が断然幸せですよね♡)

アメンホテプ4世の胸像

ネフェルティティと新王アメンホテプ四世は、結婚後の三年間で三人の娘を授かり、仲睦まじく暮らしていました。

若い新王と王妃は、大衆の面前で堂々とキスをして民衆の度肝を抜いたり、
王の公務の場に三人の可愛い娘たちが入ってきて、キャッキャとはしゃいで追いかけっこをしたり、
これまでのエジプトにはなかった新風を、次々とネフェルティティは吹き込んでいったといわれています。

◆アテン信仰への情熱と宗教改宗 ネフェルティティが目指した理想の国家とは?

ネフェルティティは当時エジプトで主流だった「アメン神を中心とする多神教」を嫌っていたといわれています。

彼女自身「アメン神を中心とする多神教」に、感情的な好き嫌いもあったのかもしれません。

ですが、何より当時のエジプト社会では、この旧来の多神教の教団や神官たちが王に匹敵するほどの権力を持ち、王の意向を無視するということもよくあることだったのです。

アメンホテプ4世とネフェルティティは、旧来のこの宗教を改新し、王を頂点とする「新エジプト」の構築を目指すようになるのです。
そして、ネフェルティティとアメンホテプ四世の二人が濃厚な愛情で繋がっていたことを象徴することとして、アメンホテプ四世の実行した宗教改革が指摘できます。

それまではこのアメン神などの多神教だったエジプトで、アメンホテプ四世はアテン神を「唯一神」と限定したのです。

そして、旧来の神殿や彫像を壊しまくり、宗教勢力を大弾圧したのです。

アメンホテプ四世は改宗のために、自分の名前を「アテンの輝き」という意味の「アクエンアテン」と改名し、アテン信仰の普及を先頭を切って進めていきます。

この宗教改革は、ミタンニからアテン神をもち込んだネフェルティティの影響が強かったようといわれているのです。

そして、この宗教改革と同時にアメンホテプ四世は、首都を従来のテーベから北330キロに、に移し、新首都アケトアテン(アマルナ)としました。

テーベでは以前、旧来のアメン神の神官たちが強い支配権を持っており、それは王権を威圧するほど強大だったため、アメンホテプ4世とネフェルティティはテーベを離れて、全くの新天地で、これまでになかった宗教による新たな政治に挑みはじめるのです。

新首都アケトアテンの起工式には、黄金の馬車にアクナトンとネフェルティティが乗り、若い王と王妃は、威光を放ちそれはそれは美しい光景だったといわれています・・
若い王と王妃の二人のこの華々しい式典は、新しいエジプト門出を象徴するものとなりました。

新首都アケタトンでは、理想主義に基づき死刑や人間の生け贄が禁じられ、
古い形式主義や慣習を廃止、「真理」を重んじる自由主義的な雰囲気に満ちあふれていました。

◆不吉の始まり  夫アメンホテプ四世の病気と夫婦仲の変容

順調かに見えたアクナトンとネフェルティティのアケトアテンの統治でしたが、悪い兆しが見え始めます・・・

それは王アクナトンに降り掛かった謎の重度の病気から始まります。

王アクナトンは上半身がやせ細る代わりに下半身が肥り始め、やがて精神にも異常をきたす病に倒れます。

そしてこの病がきっかけで、これだけまでの王への強いインパクトをもっていたネフェルティティとの二人の結びつきに亀裂が入るのです。

アクナトンは病気発病後、ネフェルティティを避けるようになります。

そして、代わりに謎の女性「セメンクカラー」を共同統治者に任命するほどに重用しはじめたのです。

立場を失ったネフェルティティは、宮殿に引きこもるようになっていきます。

◆愛する夫の病 その後、絶世の美女ネフェルティティの人生(生涯)はどうなっていくのでしょう・・・?

アメンホテプ四世の病気は一体何だったのでしょうか・・・?

現代に残存しているアメンホテプ四世像からの推測では、おそらく王は「脳水腫」に罹患していたのではないかといわれています。

◆王の死による旧勢力の巻き返し

やがて、夫である王アクナトンと共同統治者のセメンクカラーが相次いで亡くなります。

首都アケトアテンで王の後継者争いが勃発する中、ネフェルティティは北の大国ヒッタイトに宛てて手紙を書きます。

『エジプトの王に推挙する故、王子を一人こちらに送られたし』

そして、このネフェルティティの手紙はヒッタイトに届き、候補の王子がエジプトに向かいましたが、国境付近で何者かによって暗殺されてしまう事件が起こるのです。

◆少年王ツタンカーメンの登場とネフェルティティの末路

こちら皆さまご存知、少年王ツタンカーメンです。

ネフェルティティは暗殺事件からヒッタイトからの王子の推挙はあきらめ、王家の血を引く「ツタンカーメン」を即位させます。

ですが、旧勢力の巻き返しにあい、ついに政権を奪われてしまうのです。

後年、アメンホテプ四世の後を継いだ「ツタンカーメン王」でしたが、アテン信仰を廃してアメン神信仰に戻し、ネフェルティティが夢見た信仰はわずか一代かぎりで終わってしまいました。

一人取り残されたネフェルティティは、アテン信仰だけを心の拠り所として晩年を寂しく過ごしたといわれています。

そして紀元前1344年、ネフェルティティ37歳 死去。

彼女は亡くなる前に彼女は何を思っていたのでしょうか・・・?

おそらく自身の死よりも、後の王国の行方を憂いていたのではないでしょうか。

ネフェルティティの死後、エジプトがどうなるかは彼女にははっきり分かていったに違いないのですから。

◆ネフェルティティの死後 少年王ツタンカーメンとエジプトの行方 ネフェルティティの遺跡が発見される!?

ネフェルティティの死後、後ろ盾を失ってしまった少年王ツタンカーメンは、すぐに暗殺されてしまいます。

そして、新王(ファラオ)となったホレムへブの命により、アクナトン、ネフェルティティ、ツタンカーメンの痕跡は全て破壊しつくされ、歴史の記録からも一切抹消されてしまうのです。

ネフェルティティが夫アメンホテプ4世と共に築き上げた理想の王国は、全て,

まるで何もなかったようにかき消され、忘れさられてしまったのでした。

ですが、それ以降取り壊されたカルナックのアテンの神殿遺構からは、アクエンアテンとネフェルティティの名前や姿を記した建築石材がたくさん見つけ出されています。

そしてそれは、王を記した数よりもネフェルティティを記した数が倍近くも多く発掘され、王のネフェルティティへのへの愛の深さを現在にも物語っているといわれています。

そして現在、ツタンカーメンのお墓の奥に謎の隠し部屋が発見されました。

それがネフェルティティのお墓ではないかという説が濃厚で、現在も大規模な発掘調査が行われています。

遺跡から絶世の美女・ネフェルティティの暮らしぶりや、人となりが今後もっと解き明かされていくことを願っています。

◆ネフェルティティが現在に蘇った!? 衝撃のソックリさん美女の人生は?

ちなみに!

ネフェルティティの胸像を一目見た瞬間、ネフェルティティに魅せられて、なんとネフェルティティと同じ顔に整形したという現代の女性がいることを皆さまはご存知でしたでしょうか?

その女性とはイギリス在住のNileen Namitaさん。

イギリスのイースト・サセックス州の観光都市プライトンに住んでいるアーティストの女性です。
彼女は1987年に、古代エジプトの美女中の美女ネフェルティティの胸像(おそらく上でご紹介したものかと思われます。)に出会い、その美しさに一瞬で魅せられ、自身がネフェルティティの生まれ変わりと信じ、実際にネフェルティティに変身しようと決意されたのだそうです!
そして、自分の残りの人生を「エジプトの美」として暮らしていく事にしたのです。
それから彼女は整形手術を受けて徐々に理想とするネフェルティティに近づいていくのですが、その20年にわたり繰り返された整形の回数はなんと51回にもわたります!(現在は更に2回プラスされたという噂も?)

そしてその手術の費用は・・・合計20万ポンド。
日本円に換算して約3000万円を整形に費やし、ついにネフェルティティ女王に変身を遂げたのだそうです。

では、51回ものの整形手術で古代エジプトの美女ネフェルティティの美貌を手にした美女☆

全貌をご覧ください。

こちらはまだ彼女がネフェルティティに変身をし始める前の22歳の写真。ちなみに整形は23歳からスタートします。


そしてこちらが、ネフェルティティに変身を果たした49歳の写真。

すごい・・・


そしてこちらが、ネフェルティティのコスプレ?を解いた普段の彼女のお写真です。
(ネフェルティティに完成するこの20年間に、気になる彼女自身の人生はといいますと、2度の結婚、離婚をして3人のお子さんのシングルマザーになったそう・・・想像通りの波乱万丈。ちなみに現在独身だそう。)

何事も信じて成し遂げるということは素晴らしいことですが、ここまでお顔や人生をかけてネフェルティティになりたかったという根拠は一体何だったのでしょうか・・・?

確かに美しいとは思いますが・・・

彼女自身が語る同機は、ネフェルティティを見て美しいと思ったから、

王朝の夢を鮮明によく見たからだとおっしゃっていますが・・・。

それでそこまでする!?

謎に満ちたネフェルティティの人生(生涯)と共に彼女の心の内ももまた謎です。

とはいえ、美女ネフェルティティの魅力は、こんな形でも今を生きる私たちの人生に影響を与えていたのですね(笑)。

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