ダイアナ妃の生涯⑪20代後半 人生のターニング・ポイント1987年〜1988年 結婚生活の不仲や暗闇から光を見出したダイアナの再起を賭けた一年間


今回はダイアナ妃の生涯⑪として、彼女の人生のターニング・ポイント、1987年〜1988年 世紀のロイヤルウェディング後の元日の結婚生活の暗闇からようやく光を見出すことができた、ダイアナの再起を賭けた一年間についてご紹介してみたいと思います。

ダイアナの36年という短い生涯の中で、20代後半に入った1987年から1988年にかけてが彼女の人生のターニング・ポイントとなっています。

義妹のセーラ妃の登場に刺激を受けて「自分らしく生きる」という事に目覚め、占星術師ペニー・ソーントンとの出会いで、慈善活動という人生の目標や生涯をかけて取り組める仕事を見つけます。

そしてそれ以外にも、ダイアナの価値観を変え、その後の生き方を左右する多くの人との出会いや出来事が起こりました。

英国皇太子妃となり、ファッション・リーダーとして圧倒的な人気を得て、表舞台では大いに輝いてきたダイアナですが、この時期を通して、ファッション以外でも世の中に貢献できる、「内面の輝き」を手に入れたのです。

◆長きにわたる過食症の克服

ダイアナは長年に渡って過食症に苦しめられて来ました。

心の空白を埋めるように食べ、そのたびに吐いてしまう日々・・・

1日に4回も嘔吐に見舞われ、このままではいけないと解っていながらも、誰にも相談出来ずに一人苦しんでいたダイアナ。

その時、そんなダイアナを救ったのは、独身時代からの親友キャロリン・バーソロミューでした。

ある日、キャロリンはダイアナに電話で真剣に怒ったのです。

「お医者様に電話をするのに、あなたに一時間あげるわ。それでもまだあなたが電話をしていなかったら、私、この事を世間にばらすから。」

また、キャロリンは、吐く事で体内の栄養分が失われ、それが鬱症状に繋がっているのだとも指摘します。

この親友の助言をきっかけに、ダイアナはモーリス・リプセッジという摂食障害専門の医師に出会いました。

「今までに何回自殺をしようとしましたか?」と、初対面でいきなり聞いて来たぶしつけなリプセッジにダイアナは驚きますが、気が付けば彼の質問に素直に答えている自分にもまた驚きます。

その後、リプセッジは毎週ダイアナを訪れるようになり、その中で、過食症についての本をダイアナに勧めました。

その本を読んで、ダイアナは過食症で悩んでいるのは決して自分だけではないという事を知り、大いに勇気付けられます。

そして、「すぐに治してあげられる」というリプセッジの予告通り、半年後、ダイアナの嘔吐は3週間に1度にまで減少することに成功するのです。

この時の気持ちをダイアナは後にこう振り返っています。

「まるで生まれ変わったような感じでした。」

と・・・。

◆チャールズ命の危機 クロスターズの雪崩事故での悲劇

ダイアナ自身が自らの「ターニング・ポイントだった」と語る事件は、1988年3月に起こりました。

王室御用達のスイスのリゾート地、クロスターズでのスキー旅行で、夫チャールズ皇太子と友人たちが雪崩に巻き込まれる事故にあったのです。

当時、インフルエンザにかかっていたダイアナは、妊娠中のセーラ妃と一緒に山小屋で待っていました。

そこへ、上空を過ぎて行くヘリコプターの音と、王室職員フィリップ・マッキーの「事故だ」と言う声が聞こえて来たのです。

スキーの腕前に自信があったチャールズと友人たちは、正規のゲレンデを外れ、クロスターズで最も危険な急斜面ヴァング・コースに挑戦していました。

そこへ雪崩が起こったのです。

「殿下、早く逃げて!」というガイドの絶叫を聞き、必死で滑り、九死に一生を得たチャールズ。

しかし、この事故で友人のヒュー・リンジー少佐が死亡し、パティ・パーマー=トムキンソンが両足を骨折する重症を負いました。

専門家の制止を聞かず、ヴァングを滑る事を決めたチャールズは、全て自分の責任だと考えて打ちのめされてしまいます。

眠る事も出来なくなってしまったチャールズをダイアナはなんとか慰めようとしますが、チャールズは一人で心を閉ざしてしまいます。

ショックで何も出来ない状態のチャールズに代わって、ダイアナは事態を取り仕切りました。

事務的な手続きを済ませ、亡くなったリンジー少佐の荷物をまとめ、遺された妊娠中の少佐の妻の今後についても考えたダイアナ。

ですが、このクロスターズでの事件を通して、ダイアナは夫チャールズが決して妻である自分に心を開かないという事を痛感します。

ですが、その代わりに、危機的状況にも冷静に自身で対処出来る、そんな新たな自分の姿を見い出したのでした。

◆ファーガソン少佐のスキャンダル

クロスターズでの事故から2ヶ月後の1988年5月、ダイアナが衝撃を受けたもう一つの事件が起こります。

それは、チャールズのポロ・チームの監督であり、義妹セーラ妃の父でもあるロナルド・ファーガソン少佐のスキャンダルでした。

ファーガソン少佐が、通称マッサージ・パーラーと呼ばれる風俗店「ウィグモア・クラブ」に出入りしている所を「ピープル紙」によってスッパ抜かれたのです。

ポロを通してエジンバラ公とチャールズ皇太子と王族のように親しくしていたファーガソン少佐は、以前から相当な女好きとして知られていました。

社交界の女性に節操なく声をかけ、ダイアナの母フランシスにまで言い寄ってフラれた事も。

ファーガソン少佐の行状は、娘のセーラがアンドルー王子と結婚してからも変わらず、それどころか、自分が王族の一員でチャールズとダイアナと親しいのだと風俗店で自慢していたのです。

何年も前から「あの人を見ただけでぞっとするのよ」と、ファーガソン少佐を毛嫌いしていたダイアナは、この一件の後、直ちに大佐を処分するようにとチャールズに頼みます。

しかし、それ以後も何事もなかったように少佐と言葉を交わすチャールズや、少佐と握手までしたエリザベス女王がダイアナには信じられませんでした。

ところが、水面下では廷臣たちによって物事は遂行されていたのです。

その後、ファーガソン少佐は自分抜きのポロ・クラブ会合で辞任に追い込まれます。

ダイアナは、娘の妊娠中に恥知らずな行為をした少佐は即刻解任されるべきだと考えていました。

しかし、イギリス王室は、決して王族の手を汚さず、ゆっくりと、笑顔のオブラートに包みながら、その人物を永久に追放するという方法を選びました。

この時、ダイアナはイギリス王室という場所の真の恐ろしさを思い知ることになったのです。

◆占星術やカウンセラー 精神世界への傾倒

ダイアナは結婚以来「皇太子妃はこうあるべきだ」と決めつける王室制度と「皇太子妃はこうあって欲しい」と願う世間の願望の間で、どちらの希望も叶える事の出来ない自分は、ダメな人間だと思うようになって行きました。

そんなダイアナが自己の内面を見つめ、自己を肯定し、本来の自分を取り戻す手助けをしたのが、ペニー・ソーントンを始めとする占星術師やカウンセラーたちでした。

ダイアナが通っていたレストラン、サン・ロレンツォの経営者マーラ・ベルニは、お客の名前や星座から運命を占うことで「新宿の母」ならぬ「イタリアの母」と呼ばれていました。

ある日、ランチでサン・ロレンツォを訪れたダイアナは、マーラから誰にも話していない現在の苦しみや悲しみを見事に見抜かれます。

それ以来、ダイアナはマーラに将来についてのアドバイスを受けるようになり、同時に精神世界に興味を持ち始めることになるのです。

ダイアナが信頼し、悩みを相談していたのは、占星術師のデビー・フランク、マッサージ師のスティーヴン・トウィッグ、催眠療法士のロダリック・レーン、アロマテラピストのスー・ビーチー、鍼灸師のウーナフ・トフォロなど。

彼らとの治療と友情により、徐々に心の平穏を取り戻していったダイアナは、水泳とバレエのレッスン、そして太極拳で体を動かす事によって、長年失われていた心と体のバランスを保てるようになりました。

この精神世界の旅で、ダイアナは結婚後、長い間闇に葬られていた本来の自分の人格を、再発見することが出来たのです。

◆まとめ ダイアナの再生

「いい、ダイアナ、もっと成長して、責任感を持たなければならない。あなたは、ある役割を果たすために選ばれたのだから。」

と自分に言い聞かせていた1987年から1988年を経て、ダイアナに、もう一つの出会いが訪れます。

それは、ヘア・スタイリストのサム・マクナイトとの出会いでした。

1990年、ヴォーグの撮影でダイアナのスタイリングを担当したサム・マクナイトは、撮影の後「制約がないなら、あなたは私の髪をどうする?」と、ダイアナから質問され、彼は「短くカットします」と答えます。

すると、ダイアナは「今すぐ切りたい?」と尋ね、即刻カットする事になったのです。

こうして、「新生ダイアナ」を象徴するショートヘアーと共に、ダイアナの90年代が幕を明けることになります。

ダイアナ妃の人生(生涯)⑫へと続きます。

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