ダイアナ妃の生涯⑧妊娠・マタニティファッションと王子の誕生 過食症・つわり・マスコミに悩まされ王室の「問題児」となった苦悩と反逆の日々

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今回のダイアナ妃をご紹介しておりますこちらのブログでは、ダイアナ妃の生涯⑧として、新婚旅行から帰り王室での現実と直面することになったダイアナ妃。

 

そんな夢から覚めた彼女のイギリス皇妃としての苦悩、ストレスからの過食症、第一子妊娠のつわり、そしてチャールズとの不仲説から再びマスコミに悩まされ取り乱し、徐々に王室の「問題児」となっていく彼女の新婚時代の反逆の日々についてご紹介してみたいと思っています。

 

また、ブログ後半では長男妊娠中の華麗なマタニティファッション(マタニティスタイル)も写真画像盛りだくさんでまとめていますので、お楽しみくださいね♡

 

 

◆こちらのブログ記事でダイアナ妃の生涯(人生)幼少期から追ってご紹介しておりますのでよろしければ合わせてどうぞ♪

↓  ↓  ↓

 

ダイアナ妃の生涯①幼少期と少女時代、学生生活 子供の頃から美少女!名門貴族スペンサー家の三女 離婚した両親や優秀な姉弟の狭間で揺れ、活発で心優しい性格がわかる少女時代のエピソード

 

ダイアナ妃の生涯②少女からレディへ 義母との関係は?独身時代は幼稚園教諭のアルバイトをしながらロンドンで憧れの一人暮らしで青春を謳歌したダイアナ結婚前の暮らし

 

ダイアナ妃の生涯③チャールズ皇太子との出会い 姉セーラの恋人だった彼と初恋に落ち、花嫁候補となったのは運命のいたずらが重なって成就したものだった

 

ダイアナ妃の人生④チャールズ皇太子との交際からプロポーズ、婚約までの道のりと有名なサファイアの婚約指輪☆ニックネーム「シャイ・ダイ」の誕生とマスコミとの戦い

 

ダイアナ妃の人生⑤婚約発表から結婚前夜まで センセーショナルな黒のドレスと婚約指輪 ダイアナとチャールズが最高に幸せだった6ヶ月

 

ダイアナ妃の生涯⑥結婚式 世紀のロイヤルウエディング ドレス、ティアラ、ヘアメイク…全てがお伽話のプリンセス!7億5千万人が祝福したイギリス王室史上最高の花嫁

 

ダイアナ妃の人生⑦王室ハネムーン(新婚旅行)と新婚生活 夢から覚めたダイアナ妃とチャールズ皇太子 正反対の性格の二人に早くも訪れた危機

 

王室生活に抱いていた夢と現実とのギャップに、結婚後早々に心のバランスを崩し始めて行く中、ついに第一子を懐妊したダイアナ。

 

ダイアナ妃の妊娠期の様子です。

 

彼女は喜びの反面、ひどいつわりに悩まされ、ますます精神的に混乱をきたして行きます。

 

スコットランドのバルモラル城からようやくバッキンガム宮殿へと戻り、ダイアナは複数の医師や心理学者の診断を受けますが、ここでも残念ながら安息の日々は訪れませんでした。

 

心身ともに疲弊しきっていた20歳の新婚のダイアナに、さらなる苦難、イギリス王室での「公務」が待ちうけていたのです。

 

◆ウェールズでのダイアナフィーバー

1981年、ウェストミンスターの聖マーガレット教会で撮られたダイアナ妃、チャールズ皇太子、エリザベス女王の3ショット。赤地に青や白の水玉模様のドレスで結婚式に出席した彼女は、結婚当初に比べてぐんと大人っぽい雰囲気になりましたよね。

 

1981年10月、「プリンセス・オブ・ウェールズ」の敬称を持ったダイアナ妃の初めての公務が行われました。

 

それは、3日間のウェールズ訪問でした。

 

第一子懐妊の公式発表もされぬまま、ダイアナはチャールズと共に公務のためウェールズへと向かいます。

 

そこで彼女を待っていたのは、ダイアナの予想をはるかに上回る「ダイアナフィーバー」でした。

 

ウェールズのナショナルカラー、赤と緑のドレスに身を包み、ウェールズ語でスピーチをする若く美しいダイアナ妃を人々は熱烈に大歓迎。

 

行く先々で、ダイアナ妃を一目見ようと群衆が殺到し、夫であり皇太子のチャールズは完全に蚊帳の外という状態です。

 

最初はあまりの民衆の熱狂に恐怖心すら抱いていたダイアナですが、皆の歓迎ムードを感じると、悪天候の中ずっと待っていてくれた人々に自ら進んで声を掛けます。

 

「かわいそうに。私も寒いわ。きっとあなたはもっと冷たかったでしょう。私たちを待っていてくれてありがとう。」

 

そして、お年寄りや子供の手を握ってふれあいます。

 

その思いやりあふれる姿に人々は感激し、「カーディフ名誉市民」の称号を授与されたダイアナのウェールズ訪問という初公務は結果大成功に終わりました。

 

ダイアナ妃は元幼稚園の先生ですし、ウエディングドレスでお子さんを抱っこしたりと、子供との接し方もいつも自然で、愛があふれていますよね。

 

しかし、そんな世間のダイアナフィーバーの裏で、つわりと過食症による嘔吐、さらに反イングランド運動との遭遇などでダイアナは神経をすり減らし、日に日に痩せ細って行きます。

 

一方、チャールズは妻の絶大なる人気ぶりに「ダイアナがもっとたくさんいればいいのだが」と笑いながらも、実はその心中は複雑でした。

 

なぜなら、1969年にカーナーヴォン城で立太子式を行って以来、ここウェールズのアイドルはチャールズだったのです。

 

ダイアナが登場するまでは。

 

◆王室の「問題児」となるダイアナ

 

1981年11月5日、ようやくダイアナの第一子妊娠が公式に発表され、ダイアナはほとんどの公務から解放されることになりますが、それと同時に、王室での義務に慣れる機会も失いました。

 

ウィリアムを妊娠した頃のダイアナ妃。

 

そして、ダイアナの生来の頑固な性格が徐々に姿を現し、自分の意志を貫こうとし始めます。

 

夫婦で出席しなければならない公式行事にも「私は行きません。」とはっきりと拒否します。

 

王族が公務を拒絶するなど考えた事もなかったチャールズはこの事に衝撃を受け、自分の側近だったオリヴァー・エヴァレットをダイアナの秘書にし、王族として、皇太子妃としての教育を試みますが、もともと勉強嫌いのダイアナ。

勉強など時間の無駄とばかりに目もくれません。

 

ダイアナフィーバーの裏で、チャールズとダイアナの夫婦関係は破綻寸前にまで追い込まれていたとは驚きですよね・・・。

 

そして、ダイアナは次第に、何事も自分の思い通りに行かないと、烈に怒り、癇癪を起こし、泣きわめくようになりました。

 

ある日、両親と出かけようとしたチャールズを引き止めようと、ダイアナは恐ろしく下品な言葉でチャールズを罵倒します。

 

エリザベス女王とフィリップ殿下の目の前で。

 

そんなダイアナとチャールズは、結婚後わずか数ヶ月で会話すらなくなって行きました。

 

1982年1月、サンドリンガムで王室一家と初めてのクリスマスを過ごしていたダイアナは、乗馬に出かけようとするチャールズに向かって「置いていくなら死んでやる」と叫びます。

 

そして「またか。」と思いながら去って行くチャールズの姿を見て、ダイアナは本当に階段の上から身を投げてしまうという事件が起こるのです。

 

階段の下で倒れている妊娠3ヶ月目のダイアナを発見したエリザベス女王は、恐ろしさに震えながら医者を呼びます。

 

幸い、ダイアナも胎児も無事に済んだものの、ダイアナの常軌を逸したこの行動に、女王は怯え、チャールズは辟易とし、ダイアナはイギリス王室の「問題児」となって行くのでした。

 

 

◆心のバランスを崩したダイアナの暴走

1981年7月、ウィンブルドンを観戦するダイアナ妃はカラフルな花柄の上下セットアップが夏っぽいですね。ちなみに、彼女の隣のやや地味めな雰囲気のメガネの男性。あのグレース・ケリーの息子、モナコ公国のアルベール大公世子です。

 

心のバランスを崩したダイアナの敵意は、チャールズにとどまらず、彼の側近やバッキンガム宮殿の職員たちにも向けられていきます。

 

独身時代の長かったチャールズの生活は、忠実な側近たちによって、何年もの間、規則正しく遂行されて来ました。

 

特に、個人秘書のエドワード・アディーン、経理のマイケル・コルボーン、衣装係のスティーヴン・バリー、個人秘書補佐のオリヴァー・エヴァレット、護衛警官ジョン・マクリーン、この5人の側近はチャールズにとって、単なる主従関係を超えた助言者であり友人でした。

 

ダイアナは、妻である自分以上にチャールズと接する時間の長い彼らに嫉妬を覚え、遠ざけようとします。

 

結局、保守的なアディーンは、ダイアナと最初からソリが合わず、1985年に辞職。

 

また、結婚後、チャールズの衣装はダイアナが選ぶようになったため、衣装係のバリーは1981年に辞職。

 

チャールズからダイアナの教育係に任命されたエヴァレットは、教育熱心過ぎた事があだになり1983年に辞職。

 

マクリーンも生活習慣がだらしないところをダイアナに嫌われて1984年辞職します。

 

チャールズはダイアナとの揉め事を避けるため、苦渋の選択の末、彼らの辞職を受け入れました。

 

コルボーンだけはダイアナとの関係が良好でしたが、妻との時間を作りたいという理由で1984年に辞職します。

 

その他にも、婚約時代からダイアナの警護に当たって来たボディガードのポール・オフィサー警視、ダイアナ自身が採用し、ウィリアムとハリーから「バーバ」と慕われていた乳母のバーバラ・バーンズを含め、結婚から6年間で王室を去った職員は24人にも登りました。

 

全てダイアナが退職に追い込んだという訳ではありませんが、職員たちからのダイアナ人気は結婚後は急降下し(当然ですよね・・・)、ついに、マスコミにもダイアナとチャールズの不和が漏れ始めます。

 

そして、スクープを狙う彼らの追跡は、いよいよ女王ですら制御不能なほど加熱して行くのでした。

 

 

「彼女は妊娠期が嫌いなようだ、出産2週間前彼女の涙を見た」って・・・。妊娠中にもマスコミに追われ、挙句にこんな記事を書かれたら普通に涙も出ますよね。

 

 

◆長男ウィリアム王子誕生でようやく訪れた心の安らぎ

こちら、1982年8月バッキンガム宮殿にて撮影された一枚。ウィリアム王子の洗礼式の日に、チャールズ皇太子と三人の幸せそうな家族ショット。

 

結婚後にダイアナとチャールズに与えられた新居はケンジントン宮殿でしたが、改装工事のため、実際に二人がケンジントン宮殿に移ったのは、1982年5月の事でした。

 

ダイアナの美的センスを認めていたチャールズは、自分の新しい邸宅ハイグローヴ館と、このケンジントン宮殿の内装をダイアナに任せます。

 

実母フランシスの信頼するインテリア・デザイナー、ダドレー・ポプラックの協力を得て、ダイアナはこの2つの邸を、明るく洗練された、居心地のいい空間へと変身させました。

 

そこにはもちろん、たくさんのおもちゃで満たされた最高の子供部屋も。

 

1982年6月21日、午後9時3分、パディントンのセント・メアリー病院で、難産の末3460グラムの元気な男の子が産声を上げます。

 

病室で出産を見守ったチャールズは、記者に取り囲まれ「すべてが感動的だ」「色白で金髪で、父親に似なくて幸いだった」と興奮気味に待望の王子の誕生について語りました。

 

次々と訪問客が病室を訪れ、お祝いの品が届き、生まれたての「ベイビー・ウェールズ」を皆が祝福します。

 

ケチで有名なチャールズも、出産という大仕事を終えた妻にダイヤモンドのネックレスを贈りました。

 

チャールズは子育てについて何冊も本を読んで熱心に勉強し、つい最近まで会話すらなかった事がまるで嘘のように、二人は息子の未来についていつまでもいつまでも語り合います。

 

8月4日、洗礼で名付けられた赤ん坊の名は、ウィリアム・アーサー・フィリップ・ルイス。

 

ダイアナはウィリアムをこれまでの王室の慣習をやぶり母乳で育てる決意をし、チャールズはウィリアムと過ごすために公務の量を減らします。

 

これこそ、ダイアナがずっと求めていた「理想の結婚生活」でした。

 

ダイアナに、ようやく心の安らぎが訪れたのです。

 

 

◆妊娠中のダイアナのマタニティスタイル(マタニティファッション)を特集

 

ダイアナ妃といえば、やっぱり素敵なファッションですよね!

いつの時代も、彼女のその洗練されたスタイルは語り継がれています。

 

そんなダイアナ妃は1982年に長男ウィリアム王子、そして約二年後の1984年に次男ハリー王子を妊娠ましたが、その時披露した「マタニティルック(マタニティスタイル)」もまた例外ではなくお洒落でした。

 

こちらは妊娠発表前の1981年のお写真です。

 

近年、キャサリン妃が3人の子供たちを妊娠中した際に披露したシックでエフォートレスなスタイル、そしてメーガン妃のあの豪華で「予算をかけすぎ」と、一部批判なども含め話題になったマタニティスタイルにも、やはりダイアナ妃の影響があったといわれています。

 

キャサリン妃のマタニティスタイル、ミニスカートも多いです。

 

メーガン妃のマタニティスタイルモードなプレママファッションが注目されました。

 

結婚後、想像を絶するダイアナフィーバーの中、プライベートでは精神的にバランスを崩し、決して順風満帆とはいいがたかった彼女ですが、妊娠を機に徐々に心の安定を取り戻してくることになります。

 

そして、これから来たる最愛の息子たちの誕生という、幸せに向けて準備中のダイアナ妃のお洒落で素敵すぎるマタニティスタイリングをここで色々振り返ってみましょう。

 

 

こちらは1981年、ロンドンのキーホールで撮られた写真です。

 

こちらはベルヴィル・サスーンの赤いコートにジョン・ボイドの帽子を合わせたダイアナ妃。この日、長男ウィリアム王子を授かったことを公表しました。

 

 

 

こちらの1982年にブリストルを訪れた際に着用していたのは、グリーンのやはりベルヴィル・サスーンのコートとジョン・ボイドの帽子です。

 

お腹がまだ小さい頃のお写真になります。

 

 

1982年5月、ウィンザーにあるスミス・ローンでおこなわれたチャールズ皇太子のポロ観戦の時のカジュアルなマタニティスタイルはとっても珍しい一枚です。

 

可愛らしいコアラ?の柄付きニットにゆるっとしたレッドのパンツ、そして黒い靴を合わせたダイアナはまだ幼さが残っているようですよね。

 

 

こちらは、1982年にリバプールで開催されたグランドナショナルレースに登場した時のお写真です。

 

赤いファーコートに帽子と黒のバレエシューズがベストマッチ。

 

 

こちらは1982年、キャロライン・プライドとウィリアム・バーソロミューの結婚式の際に撮影されたダイアナ妃のお写真です。

 

この日のダイアナ妃はヒラヒラとしたピンクのドレスに真珠のチョーカーネックレス&大粒パールのイヤリング、ホワイトハットと白襟がよく映えるとっても可愛らしいコーディネートで出席していました。

 

1982年、エリザベス女王の誕生日でのマタニティスタイルです。

 

 

この日のダイアナ妃はグリーンのシルクドレスで登場。

 

ドレスにマッチしたファシネーターを身に着け、女王の誕生日パレードをバッキンガム宮殿のバルコニーから観賞しました。

 

 

こちらは1982年、ウィンザーでのポロ観戦のダイアナ妃のマタニティスタイル。

 

 

ピンク色のしなやかなマタニティドレスと白のカーディガン、パールのチョーカーネックレスと揺れるタイプのピアスを合わせているところがまたラブリーですね♡

 

 

こちらも1982年、ウィンザーで開催されたチャールズ皇太子のポロ観戦の時のダイアナ妃のマタニティルックです。

 

 

ピンクのボタンダウンドレスで参加したダイアナ妃、バッグも可愛いですし、サングラスのカチューシャスタイルも素敵です。

 

 

1982年、白いリボンのお襟が爽やかで可愛らしいキャサリン・ウォーカー(Catherine Walker)の格子柄ドレスを着て、ハンプシャーでのポロマッチへ参加した時のマタニティスタイル。

 

 

ダイアナ妃のマタニティスタイルといえば、こちらの水玉に白襟のグリーンのドレスの印象が強い方が多くいらっしゃるのではないでしょうか?

 

こちらは1982年、チャールズ皇太子と一緒に訪れたウィンザーでのポロマッチでのコーデです。

 

水玉模様が可愛らしいキャサリン・ウォーカーのグリーンドレスに白のサンダルを合わせて爽やかに若々しく。

 

応援していらっしゃいます。

 

 

こちらは1982年、バービカン・センターでのお写真。

デイヴィッド・サスーンの豪華で華やかなレッドのガウン姿を披露されています。

 

 

こちらは1982年、ボートに乗ってシリー諸島へ旅行へ。

白黒の水玉模様のマタニティドレスに黒のトレンチコートを羽織っていらっしゃいます。

 

 

1982年、シリー諸島旅行でのマタニティスタイル。

 

ブルーとホワイトの水玉模様のお襟とお袖に可愛いフリルが付いた爽やかなドレスと、黒のリボンのフラットシューズも可愛らしいですね。

 

1982年、チャールズ皇太子と共にリバプールを訪問した際には、こちらの綺麗なピンクのフリル袖のコートを着用。

 

同色のピンクのハットを合わせてこちらも素敵なロイヤルマタニティコートスタイルです。

 

 

1982年、こちらはハダースフィールドを訪問した際のダイアナ妃。

鮮やかな赤紫色のファーコートに身を包んでいますが、マタニティ時も色んなお色やでざいんの素敵なコートをたくさん召されていて素敵ですよね。

 

私生活ではチャールズ皇太子と既に不仲となっていましたが、ダイアナ妃の妊娠時のお写真はどれもとっても幸せそうです。

 

妊娠を機に精神状態も安定し、夫婦の会話も増えて夫婦仲も円満になってきたといわれていますが、お写真で振り返るお二人は本当に仲が良く、ダイアナ妃は幸せそうです。

 

 

ダイアナ妃のマタニティファッションはお色も色々、エレガントなスタイル、ラブリーなスタイル、カジュアルなスタイル・・・どれも本当に素敵で、現在の私たちも参考にしたいスタイリングがいっぱいですよね♡

 

◆続いて、2年後のハリー王子の時のマタニティスタイルもご紹介してみたいと思います。

 

1984年、こちら、ウイリアム王子の妊娠時もご愛用されていたブランド、キャサリン・ウォーカー(Catherine Walker)のドレスです。

 

光沢のあるエレガントなブルーのシルクガウンにシルバーのクラッチバッグをコーデし、映画のプレミアイベントでレッドカーペットを歩いた時の一枚です。

 

こちらは、1984年ロイヤルアスコットにて。

桃色のしなやかなお生地のリボンのドレスとデザイナーのヤン・ヴァン・フェルデンのハットが可愛らしいです。

 

やはりピンクコーデもウイリアム王子の時よりも大人っぽくエレガントになられています。

 

1984年、ロイヤル・アカデミーにて。

 

流れるようなデザインの美しいホワイトドレスに身を包み、結婚式の際にも着用した、スペンサー家に代々伝わるスペンサーティアラをつけています。

 

 

こちら1984年、アポロ・ヴィクトリア劇場を訪れた際に撮られたお写真です。

 

キラキラと輝くガウンとメタルゴールドのシューズが素敵・・・☆

この日ダイアナ妃はミュージカル『スターライトエクスプレス』を観賞されました。

 

 

1984年、ラベンダー色が美しいドレスに同色のベール付きの帽子を着用。

白襟と白色のシューズでコーディネートされていてとってもエレガントかつフェミニンなマタニティスタイルですね。

 

長男のウイリアム王子妊娠の際と、ヘンリー王子妊娠の際のダイアナ妃マタニティスタイルを比べてみますと、初めの心身の時の方が若く可愛らしいスタイルが多く、ヘンリー王子の時はよりエレガントで洗練された華やかなマタニティスタイルとなっています。

 

2年の月日でダイアナ妃も大人っぽくなられていますし、王族らしい威厳も身についているようですね。

 

年若くしてイギリス王室に嫁ぎ、世間の注目度が高まれば高まるほど、ダイアナ妃のファッションもどんどん洗練されていく様子がたくさんの写真に残されて、今も私たちの憧れとなっています。

 

世界中の人たちが熱い視線を注いでいたこのダイアナのマタニティファッションも、イギリスの淑女らしい雰囲気をしっかりと漂わせていましたね。

 

◆ダイアナ妃の生涯⑧まとめ ダイアナの反抗

 

ダイアナは、子供達やお年寄りには心からの優しさで接する事が出来たのに、どうして夫のチャールズの事となると烈火のごとく荒れ狂ってしまったのか・・・?

 

不思議ですよね。

 

それは、彼女がチャールズを深く愛していたという事と、彼女がまだ幼すぎたという事が原因です。

 

まともな社会経験も恋愛経験もないまま、初恋の人と結婚したダイアナは、自分の感情をコントロールする術を知りませんでした。

 

感情に振り回され、周囲の人々を巻き込み、そしてそれ以上に自分自身が心身ともに疲労困憊してしまいました。

 

まだ未熟だったダイアナは、自分の力で全てを思い通りに変えられると思っていたのです。

 

もし、彼女の身近に良識のある助言者がいたならば、ダイアナのこの若さゆえの反抗を、正してくれた事でしょう。

 

しかし、ダイアナの周囲には、「王族」という、生まれながらに自己中心的な人々しか存在しなくなっていたのです。

 

ダイアナ妃の生涯⑨へと続きます。

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ダイアナ妃の生涯⑨日本来日でのドレスやファッション 世界中のダイアナフィーバーの影で産後うつに?母となったプリンセスの成長の日々

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