ダイアナ妃の人生④チャールズ皇太子との交際からプロポーズ、婚約までの道のりと有名なサファイアの婚約指輪☆ニックネーム「シャイ・ダイ」の誕生とマスコミとの戦い

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今回のこちらのブログでは「ダイアナ妃の生涯④」として、チャールズ皇太子との交際から婚約までのいきさつなど詳細をご紹介してみました。

 

◆以下のブログ記事にてダイアナ妃の生涯(人生)をご紹介しておりますのでよろしければ合わせてどうぞ♪

↓  ↓  ↓

 

ダイアナ妃の生涯①幼少期と少女時代、学生生活 子供の頃から美少女!名門貴族スペンサー家の三女 離婚した両親や優秀な姉弟の狭間で揺れ、活発で心優しい性格がわかる少女時代のエピソード

 

ダイアナ妃の生涯②少女からレディへ 義母との関係は?独身時代は幼稚園教諭のアルバイトをしながらロンドンで憧れの一人暮らしで青春を謳歌したダイアナ結婚前の暮らし

 

ダイアナ妃の生涯③チャールズ皇太子との出会い 姉セーラの恋人だった彼と初恋に落ち、花嫁候補となったのは運命のいたずらが重なって成就したものだった

 

 

 

1977年、チャールズ皇太子こと、ウェールズ公チャールズはダイアナの姉であるセーラと交際していたのでした。

そしてその当時、姉セーラの紹介でダイアナとチャールズは初めて出会ったのです。

 

ですが、その時は出会いだけ。

姉と交際していたのですから当たり前ですがね。

 

そして、ダイアナは同年の1977年末には、スイス渡航し、花嫁学校アルパン・ヴィデマネット学院に入学します。

 

ですが、その学校生活に全く馴染めず、すぐにイギリスに帰国。

ロンドンのフラットでアルバイトをしながら、気ままな一人暮らしを始めます。

 

そして1979年、英国王室のサンドリンガム邸のパーティにて、チャールズと運命の再会。

それをきっかけに二人は親しい仲へとなります。

そして、初めての出会いから約三年の時が流れた1980年、いよいよ、イギリス皇太子チャールズとの交際が深まりプリンセスへの階段を駆け上がっていくことになるのです。

 

 

当時、19世紀を舞台にした貴族の恋物語を描いたバーバラ・カートランドの小説を愛読していたというダイアナは、ロマンティックで夢見がちなごく普通の女の子でした。

 

 

小説の中では、白馬の王子様が麗しい乙女と、華やかなお城や宮殿を舞台にめくるめくロマンスを繰り広げ、ラストではもちろん愛し合う二人が永遠に結ばれハッピーエンドを迎えます。

 

チャールズ皇太子との交際が始まった瞬間、ダイアナはきっと、そのお伽話の世界に足を踏み入れたような、夢のような気持ちになった事でしょう。

 

そして、当時19歳の夢見るダイアナは、その先には必ずや物語のような素敵なハッピーエンドが待っていると信じていたのです。

 

 

◆チャールズ皇太子のセレブ特権フル活用の猛アタックに圧倒されるダイアナ

 

1980年夏に関係が急接近したダイアナとチャールズ皇太子。

いよいよハートに火がついたチャールズは、積極的にダイアナを誘い始めます。

 

ロイヤル・アルバート・ホールでのヴェルディの演奏会に招待し、さらにバッキンガム宮殿で夕食を共にします。

 

この「ロイヤル・デート」には、ダイアナの祖母で皇太后の女官であるファーモイ男爵夫人が付き添いました。

 

英国王室では、王族と職員はいわば友人とも言える信頼関係があり、ファーモイ男爵夫人も王室に大きな影響力を持っていました。

ファーモイ男爵夫人が自分の孫をお妃にと大プッシュした事は間違いないでしょうね。

 

こちらは1980年にバッキンガム宮殿にて撮影された貴重な写真。
1980年になると既にダイアナはバッキンガム宮殿にも訪れ、エリザベス女王とも面会しています。

セーラー服タイプの私服がキュートな当時19歳前後のダイアナは初々しい笑顔を見せています

ね♡

 

ちなみに、チャールズ皇太子のポーズは左腕の袖口と時計を触る仕草。これはロイヤルファミリーの男性が写真撮影される際のお決まりポーズです。

 

同じ年の8月、チャールズはダイアナをワイト島で毎年開催されるヨットレース「カウズ・ウィーク」に招待します。

 

ダイアナが招かれたブリタニア号は「海の宮殿」とも呼ばれる、英国最古のロイヤル・ヨット。

 

世界中の大富豪が集結する夏の一大イベント「カウズ・ウィーク」への招待券は、社交界でも入手困難な憧れの切符でした。

 

ゴージャスな大人の世界に圧倒されるばかりのダイアナでしたが、実は、招待客は全員チャールズの気持ちを知っている上でダイアナを歓待していました。

 

そして、海、豪華ヨット、セレブリティという恋に夢見る女性にとっての最高のシュチュエーション・・・これでときめかない女性はほとんどいませんよね!?

そんな中で、チャールズはダイアナに初めてキスをしました。

 

そう、実は、恋のためには特権フル活用のチャールズだったのです。

 

 

◆チャールズ皇太子の「お妃選び」での迷い

 

ところが。

自分から猛アタックしておきながら、いまだダイアナと正式に付き合うかどうかを迷っていた実は煮え切らない男チャールズ。

 

かつてダイアナの姉セーラが交際時にブチキレた気持ちも解りますよね。

 

チャールズはよく言えば慎重、悪く言えば優柔不断な性格でした。

 

しかし、自分の妻、すなわちイギリス王室の「皇太子妃」になるという事は、普通の結婚とはやはり大きく訳が違います。

 

長きに渡る英国王室の慣習に従い、プライベートな時間は失われ、さらに国民に対する大きな責任を負うのということになるのです。

 

チャールズが、「お妃選びには絶対に失敗したくない」と慎重になったとしても、それは致し方ない事だったのでしょう。

 

そんなチャールズにとって、ダイアナは実際に理想的な相手でした。

 

家柄は申し分なく、素直で教育しやすく、そして何より、まだ19歳のダイアナには過去のスキャンダルが皆無でした。

当時のイギリス王室は、未だ王位継承者の妻は処女であるという事を望んでいたのです。

 

また、すでにこの時30歳を超えていたチャールズには両親からのプレッシャーもありました。

 

母のエリザベス2世からは結婚について真剣に考えるよう約束をさせられ、父のエジンバラ公からはもっと現実的な指摘を受けます。

 

「相手は良家のお嬢さんなのだから、軽々しく付き合ってはいけない。親御さんの気持ちも考えろ。なるべく早く決心するんだ。」

 

 

◆花嫁適性テスト「バルモラル・テスト」

 

スコットランドの高地にあるバルモラル城は、広大な土地と自然に囲まれた王室の夏の別荘です。

 

バルモラル城

ちなみに、チャールズ皇太子の母、エリザベス女王ことエリザベス2世は、1997年夏、このバルモラルに滞在していた際にダイアナ元王太子妃のパリでの事故死の一報が届いたそうです。

その際女王は、急遽ロンドンへ帰ることも、ダイアナ元妃に哀悼の意を表すこともしなかっため、マスコミと国民による批判の矢面に立たされ、映画「クィーン」は、この時の女王を題材にした作品なのだそうです。

 

騒がしい都会を嫌い、田舎と静寂を好んだチャールズは、ここバルモラルでのんびりと釣りや読書をする時間をこよなく愛していました。

 

また、19世紀にヴィクトリア女王が購入して以来、ここには女王一家しか知らない奇妙なしきたりが数多く存在していました。

 

例えば「座ってはいけない椅子」にうっかり座ってしまったら即刻アウト、と言う感じです。

 

チャールズはいつも、真剣に付き合いたいと思った相手だけをこのバルモラルに招き、ここでの生活に馴染めるかどうかを試していました。

 

この試験は「バルモラル・テスト」と呼ばれ、チャールズの恋人候補だけでなく、ここを訪問する全ての人々を縮み上がらせていたと言います。

 

1980年9月、ついに、ダイアナもこの最後の難関の「バルモラル・テスト」に招待されます。

 

噂に聞いていたこのテストに怯えながらバルモラルを訪れたダイアナでしたが、そこには姉ジェーンと夫の女王秘書官ロバートという強い味方がいたのです。

 

二人のアシストでテストをそつなくこなし、チャールズと一緒にバーベキューや散歩をしてバルモラルでの楽しい時を過ごしたダイアナ。

 

しかし、この時、執拗なマスコミ「ラット・パック(ねずみ軍団)」が、ダイアナを狙い始めました。

 

 

◆ニックネームは「シャイ・ダイ」ダイアナとマスコミの攻防戦が始まる

 

ダイアナがバルモラル・テストを無事に終えた頃、イギリスのタブロイド紙「サン」が、ついにダイアナとチャールズのロマンスを報じました。

 

そして、この日を境に、ダイアナのロンドンのフラットには連日マスコミのカメラマンが大挙して押しかけ、コールハーン・コート60番地は一夜にしてイギリスで最も有名な場所になりました。

 

さらに、ダイアナが勤めるヤング・イングランド幼稚園にまで取材陣が殺到します。

 

1980年、9月17日、ロンドン中心部のピムリコにある、当時ダイアナが勤務していた幼稚園で撮られた一枚。

マスコミはダイアナとチャールズの関係を突きとめ、この頃から昼夜問わず、ダイアナのところへ押し寄せ、ダイアナに私生活は無くなったのです。

 

口数少なく伏し目がちにうつむくダイアナに、マスコミがつけたニックネーム「シャイ・ダイ」。

連日この「シャイ・ダイ」の文字が新聞の見出しを飾り、突然の環境の変化にダイアナは戸惑い怯えます。

 

1980年の9月に撮られた一枚。

「シャイ・ダイ」(Shy Di)は「ゆっくりと車を木に向かってバックさせ、運転しながら同時にカメラマンから顔を隠そうとした」といいます。

すでに、結婚前のこの頃から因縁の「パパラッチ」との攻防戦が始まっていたのです。

 

しかし、ここには強力なダイアナサポーターがいました。

そう、三人のルームメイトたちです。

 

ダイアナをマスコミから守るため三人は奔走します。

 

彼女たちがダイアナの車に乗ってマスコミを連れ去る囮作戦や、ゴミ箱をよじ登って店の非常口からダイアナを逃す脱出劇、旅行の時はベッドシーツにスーツケースをくくりつけて窓から道路に降ろしたり、ファーモイ男爵夫人の車を借りて報道陣を煙に巻いたり・・・。

 

そして、夜になるとみんなで結婚についての女子トークで大いに盛り上がり、「プリンセス・ダイとフラットメイトというグループでデビューしよう」と冗談を言って笑いあったり。

 

本当に、良き友に恵まれていた独身時代のダイアナでした。

 

 

◆シャイ・ダイに微笑んだ勝利の女神

1980年11月12日、西ロンドンの自宅を出て、愛車に乗り込む寸前のダイアナの写真。

この頃から、彼女の愛車の赤い「ローバー・メトロ」は、常に何台ものマスコミの車から追跡を受けるようになりました。

 

以来、次第にダイアナからは少女期のようなまっすぐ見つめる笑顔ではなく、このような影のある笑顔を浮かべるようになったと言われ、「無」とも、そして「諦め」をも感じさせるような表情が見られるようになります。

 

連日のマスコミ「ラット・パック(ねずみ軍団)」の激しい取材攻勢に耐えかねたダイアナは、ついに王室の広報に助けを求めます。

ですが、この時は何の協力も得られませんでした。

 

そして11月「サンデー・ミラー」紙が、王室列車でダイアナとチャールズが一夜を共にしたというニュースを一面で報じます。

 

この全くの「ガセネタ」に、ダイアナは「みじめでたまりません」と言うほど傷つきました。

 

そんな娘の姿を見かねたダイアナの実母フランシス(父とは離婚しています)は、「タイムズ」に当ててダイアナの取材に関する抗議の手紙を書きます。

 

これをきっかけに、国会議員たちが「レディ・ダイアナ・スペンサーに対する取材を遺憾に思う」という動議を提出しますが、それでもダイアナへの取材攻勢は一向に止みませんでした。

 

クリスマスのサンドリンガムでは女王一家までも取材陣に取り囲まれ、女王自ら「帰りなさい」と激怒する有様。

 

そんな中、ついに王室がダイアナのために動いたのです。

 

サンデー・ミラーの記事は、汚れのないダイアナに汚点をつけるようなものでした。

これにチャールズが怒り、女王の報道担当秘書官が記事の撤回を要求したのです。

 

結局サンデー・ミラーは記事を撤回しませんでしたが、しかし、この要求は「ダイアナがチャールズの結婚相手である」と王室が認めた事を意味していました。

 

これを機に、チャールズとダイアナは一気に婚約の方向へと向かって行きます。

 

 

◆ついにプロポーズ、そして婚約発表へ 夢が叶う時

 

年が明けた1981年1月、チャールズはスキー休暇先のスイスからダイアナに「大事な話がある」と電話をかけました。

 

そして2月6日、スイスから戻ったチャールズは、ウィンザー城でついにダイアナに正式にプロポーズをしたのです。

 

「スイスにいる間、どれほど君に会いたかったか」と言ったチャールズ。

会えない時間が愛を育てたのですね。

 

そしてチャールズはついにダイアナに言いました。

 

「結婚してもらえますか」

 

ダイアナは「ええ、いいですよ」と笑い、その後、真剣に答えました。

 

「はい、お受けします」。

 

ダイアナの夢が、ついにこの時叶ったのです。

 

1981年2月6日に19歳のダイアナはチャールズ皇太子からプロポーズを受けました。

ダイアナは婚約指輪に、あの有名な14カラットの眩いダイヤモンドに囲まれた、18カラットもの大粒の美しいサファイアのリングをガラードのジュエリーカタログから選んだといわれています。

 

チャールズ皇太子からの正式なプロポーズを受け、フラットに戻ったダイアナは、ルームメイトたちと喜びを分かち合い、車に乗り込み大騒ぎでロンドンの街を走り回ります。

 

そして2月23日、婚約発表の前日、フラットの前にスコットランド・ヤードの車が止まりました。

ダイアナを迎えに来たのです。

 

ルームメイトたちと別れを惜しむダイアナにポール・オフィサー警部が言いました。

 

「今夜があなたの人生で最後の自由な夜ですよ。」

 

この言葉はダイアナの胸に突き刺さります。

そして、その痛みを感じながら、ダイアナは大好きだった、青春時代を大いに謳歌したこのコールハーン・コートに別れを告げ、後にしました。

 

 

◆ダイアナ妃のブルーサファイアの婚約指輪

 

1981年2月24日、ついに、チャールズ皇太子とダイアナは婚約発表をしました。

こちらの写真は発表後、バッキンガム宮殿の敷地内で撮影されたものだそうです。

 

ダイアナの左手の薬指には例の婚約指輪が輝いていますね。

 

ブルーの大粒のサファイアをセンターに配し、その周りをいくつもの眩いダイヤが囲んだこの美しいリングは、英国王室を象徴する「ロイヤルブルー」のカラーを体現するような気品に満ちた美しさがありますよね。

 

また、この指輪のカラーに合わせてロイヤルブルーのスーツを纏った当時19歳のダイアナの美しさも素晴らしく、輝くようですね。

 

そして、こちらの品格と威厳に溢れたリングは、のちに彼女の息子であるウィリアム王子の結婚の際に、あのキャサリン妃に受け継がれていくことになるのでした。

 

ですがこの写真・・・

彼女の表情に注目してみますと、一見、いい笑顔に見えますが、何故か?何か?どことなく重たい荷物を背負っている時の笑顔のようにも見えなくはないでしょうか・・・?

 

 

◆まとめ 幸せの絶頂にあるはずのダイアナに芽生えた一つの不安

 

1980年の夏を通して、ダイアナは、女王一家の拠点バルモラル、皇太后の別荘パークホール、そしてチャールズの新居ハイグローヴで、チャールズとのロマンスを深めて行きました。

 

その中で、ダイアナはチャールズから一人の女性を紹介されていたのです。

 

そう、あの「カミラ・パーカー・ボウルズ」です。

 

そしてその後、二人の行く先々でカミラは姿を表すようになり、ダイアナは一抹の不安を感じ始めます。

 

しかし、この時のダイアナには、その正体に気づくほどの時間も経験もなく、その後の運命の大きな流れに飲み込まれて行くことになるのでした。

 

ダイアナ妃の生涯⑤へ続きます。

↓  ↓  ↓

 

ダイアナ妃の人生⑤婚約発表から結婚前夜まで センセーショナルな黒のドレスと婚約指輪 ダイアナとチャールズが最高に幸せだった6ヶ月

 

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