ダイアナ妃の生涯③チャールズ皇太子との出会いと馴れ初め 姉セーラの恋人だった彼と初恋に落ち、花嫁候補となったのは運命のいたずらが重なって成就したものだった

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ダイアナ妃の生涯

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ダイアナ妃の生涯(人生)を追ってご紹介しておりますこちらのブログでは、今回はダイアナ妃の生涯③として、チャールズ皇太子との出会いや彼女が恋に落ちた理由など、今後の彼女の人生と運命を決定づけることになる「ダイアナの初恋」についてご紹介してみたいと思います。

 

◆以下のブログ記事にてダイアナ妃の生涯(人生)をご紹介しておりますのでよろしければ合わせてどうぞ♪

↓  ↓  ↓

 

ダイアナ妃の生涯①幼少期と少女時代、学生生活 子供の頃から美少女!名門貴族スペンサー家の三女 離婚した両親や優秀な姉弟の狭間で揺れ、活発で心優しい性格がわかる少女時代のエピソード

 

ダイアナ妃の生涯②少女からレディへ 義母との関係は?独身時代は幼稚園教諭のアルバイトをしながらロンドンで憧れの一人暮らしで青春を謳歌したダイアナ結婚前の暮らし

 

 

独身時代のダイアナ元妃。プリンセス・オブ・ウェールズ

 

ロンドンで自由なシングルライフを満喫していたダイアナ。

 

身分は伯爵令嬢とは言え、昼はアルバイトに明け暮れ、夜はルームメイトたちとスナック菓子を食べながらテレビで「トップ・オブ・ザ・ポップス」を見るという、一般人と変わらぬ生活を送っていたダイアナ.

 

そんなダイアナが、一体どうやって?

「トップ・オブ・ザ・貴族」とも言えるイギリス王室のチャールズ皇太子と出会い、交際し、結婚にまで至る事になったのでしょう。

 

人生はタイミングと言いますが、そこには、決して偶然だけではない必然とも言える様々な運命の巡り合わせが重なり合い、ダイアナという星を、イギリス王室へと導いて行ったのです。

 

 

◆ダイアナと英国ロイヤルファミリー(イギリス王室)の接点

 

ダイアナの生まれたパーク・ハウスは、王室の冬の別邸サンドリンガム城のある王室領地に隣接していました。

 

実は、王室とスペンサー家は何世紀にも渡って繋がりがあり、サンドリンガム城に女王一家が滞在する時は、スペンサー家の人々は狩猟やパーティーに招待されたり、また、時には王室メンバーがスペンサー家を訪問するような仲だったのです。

 

もちろん、王室に対する礼儀はありましたが、意外にも特に緊張するような関係でもなく、子供たちはよく一緒に遊んでいました。

 

13歳の年の差のあるチャールズ皇太子とダイアナが遊ぶ事はなかったものの、ダイアナと弟のチャールズ、アンドリュー王子、エドワード王子は、パーク・ハウスのプールで泳いだり、サンドリンガム城でかくれんぼをして駆け回るような仲良しでした。

 

なんと、そこにあのエリザベス女王も加わっての大騒ぎになる事も!

 

スペンサー家の子供達は、弟チャールズの名付け親でもあるエリザベス女王を「リリベット叔母」さまと呼んでいました。

 

また、ダイアナが洗礼を受けたセントメアリー・マグダレン教会で女王一家と礼拝に出席した際に「アンドリュー王子はとってもハンサムだと思う」と言ってしまったダイアナを姉たちが散々にからかったり、実際にダイアナらスペンサー家の子供達にとってイギリス王室のメンバーは「お隣さん」感覚に近いものでした。

 

 

◆姉セーラの恋人はイギリス皇太子

 

ダイアナとチャールズ皇太子は、一目会ったその瞬間に運命の恋に落ちたという訳ではありません。

 

1977年、ダイアナがまだウェスト・ヒース校にいた頃、スペンサー家にあるビッグニュースがもたらされました。

 

姉セーラ(長女)が、チャールズ皇太子のお妃候補となったのです。

 

子供の頃に親しくしていた二人は、王室主催の競馬祭ロイヤル・アスコットで再会した後、すぐに交際がスタートしました。

 

「ついに未来の王妃が現れた」と世間はざわめき、スペンサー家もこのニュースに大喜びでした。

名門貴族とはいえ、スペンサー家にはいまだ王族との正式な婚姻関係はなかったからです。

 

そんな中の1977年11月、ダイアナとチャールズ皇太子の歴史的な出会いと言われる瞬間が訪れます。

 

学校から帰ったダイアナは、セーラに連れられオールトラップでの狩猟に参加していたチャールズ皇太子に紹介されました。

 

こうして、ぽっちゃり体型でノーメイク、コーデュロイのパンツに長靴という出で立ちの16歳のダイアナが、チャールズ皇太子の人生に登場することになったのです。

 

この時、ダイアナは姉の恋人であったチャールズに対して特別なときめきは感じませんでした。

 

一方、幼かった頃のダイアナしか記憶にない29歳のチャールズも、成長したダイアナに好感は持ちましたが、心の大部分は狩りが占めていました。

 

 

◆王室へと導かれるダイアナの運命

 

1978年、ダイアナがスイスの花嫁学校にいた頃、姉セーラとチャールズのロマンスはあっけなく破局を迎えます。

 

チャールズの煮え切らない態度に苛立った気性の激しいセーラは、ついに「愛していない人にプロポーズされても結婚しません。それが労働者でもイギリス国王でもです」とマスコミに発言します。

 

セーラはこれでチャールズに腹を決めさせるつもりだったのですが、このことは逆にチャールズの気持ちを一気に冷めさせる結果となりました。

 

そう、自分に恥をかかせたこのセーラの行動は、将来の皇太子妃となる女性としてあり得ないものだったのです。

 

またしてもパンクな性格が裏目に出てしまったセーラだったのでした・・・。

 

同じ年の4月、ダイアナのもう一人の姉ジェーンが21歳で結婚します。

 

セーラとは性格も見た目も正反対のジェーンが選んだお相手は、女王陛下の秘書官補佐ロバート・フェローズ。

 

1978年、ダイアナはロンドンで行われた姉レディ・ジェーン・スペンサーの結婚式でブライズメイドなった時の写真。この頃もう一人の姉セーラの紹介で、ダイアナは既にチャールズ皇太子と出会っていました。

 

盛大に行われた結婚式にブライドメイドとして出席したダイアナは、結婚への夢が大きく膨らみました。

 

そして、ジェーンの夫の職務「女王の秘書官」は、王室との繋がりも固い終身スタッフで、住居もケンジントン宮殿内に構えます。

 

また、王室にはもう一人、ダイアナに関わる人物がいました。

エリザベス皇太后の女官を務めるダイアナの祖母ファーモイ男爵夫人です。

 

ジェーン夫妻とファーモイ男爵夫人は、この後、ダイアナの運命を王室へと導く大きな後押し役となって行くのです。

 

 

◆ダイアナに心惹かれていくチャールズ皇太子

 

「かわいくて、おもしろい、魅力的な16歳の少女」

当時交際中だったセーラから妹のダイアナを紹介された時、チャールズ皇太子はこう思いました。

 

この時、チャールズがこの垢抜けない少女を気に入ったという事は間違いありません。

 

1978年11月、セーラとチャールズが破局へと向かっていた頃、チャールズは自身の30歳の誕生日パーティーに、セーラだけでなくダイアナも招待します。

 

驚くセーラを尻目に、ダイアナは常日頃から偉そうな姉を見返す事が出来て大満足。

 

バッキンガム宮殿に行ける事にもワクワクしていましたが、この時はまだ、女優のような美女たちと浮名を流していたチャールズに興味はありませんでした。

 

しかし、1978年のクリスマス、ダイアナは信じられないプレゼントを受け取ります。

 

それは、来年2月、サンドリンガム城で開催されるパーティーへの女王からの招待状でした。これには、女王秘書官であるダイアナの祖母ファーモイ男爵夫人の意向が大きく関わっていた事は言うまでもありません。

 

1980年の11月、ダイアナはエリザベス女王からサンドリンガムの私邸への招待状を受け取ったことから、チャールズ皇太子との婚約の噂に火がつきはじめました。こちらの写真は、その前週にロンドンのフラットを出るところのダイアナです。

 

女王主催のパーティーに行けるとなってダイアナは大興奮。

掃除のバイトをしながら「イギリス王妃になれるかもね」と友人と笑います。

 

一方、サンドリンガム城でのパーティでダイアナと踊ったチャールズは、恥ずかしがり屋で気取らないダイアナのナチュラルな魅力に、少しづつ心が惹かれて行きます。

 

 

◆ロマンスのはじまり

 

1979年8月、チャールズ皇太子が尊敬する大叔父マウントバッテン卿が、IRAの爆弾テロにより暗殺されます。

 

ウェストミンスター寺院で執り行われた葬儀で必死に涙をこらえながら祈祷文を読むチャールズの姿は、イギリス中の感動を呼びました。

 

マウントバッテン卿を失った悲しみから立ち直るため、チャールズが救いを求めたある人物がいます。

 

それは、あのカミラ・パーカー・ボウルズ。

 

20代前半で出会った二人は恋人となり、その後、カミラが結婚した後も「友人」としての付き合いを続けていました。

 

チャールズの理解者だったカミラは、この時、チャールズにそろそろ結婚すべきだと言う助言を与えます。

 

セーラと別れた後、チャールズにはマウントバッテン卿の孫娘アマンダ・ナッチブル、スコットランドの地主の娘アナ・ウォリスというお妃候補がいましたが、ですが、全て破局に終わりました。

 

1980年7月、ダイアナは、チャールズの友人ロバート・ド・パス中佐のホームパーティーで、そんな失意のどん底にいたチャールズと再会したのです。

 

チャールズが出場したポロの試合の後、干し草の上に座って語り合っていた二人。

 

マウントバッテン卿の葬儀の話題になった時、ダイアナは思わずこう言いました。

「あなたは寂しいのだわ。誰かがあなたのそばにいてあげなければ」

このダイアナの優しい言葉にチャールズは心を打たれます。

 

チャールズはダイアナを見つめ、ダイアナもそのまなざしから逃れる事ができませんでした。二人の心はついに出会い、運命の恋が始まったのです。

 

1980年の秋までに、プレスはダイアナとチャールズ皇太子が交際を始めたという噂を嗅ぎつけました。9月にこの写真が撮られた時、「シャイ・ダイ」(Shy Di)は「ゆっくりと車を木に向かってバックさせ、運転しながら同時にカメラマンから顔を隠そうとした」といいます。

すでにこの頃からあの「パパラッチ」との攻防戦が始まっていたようですね・・・

 

 

◆ダイアナ妃の生涯③まとめ ダイアナの目標

 

独身時代のダイアナには、実は、これと言った「目標」がありませんでした。

 

得意のバレエを生かしてダンスの講師を目指すも授業のレベルが高過ぎて挫折。

子供好きでしたが資格がないため責任のある仕事には就けませんでした。

 

こちらは1980年に撮られた写真。
まだ「ファッションアイコン」と呼ばれるようになる以前、マーガレット王女(エリザベス女王の妹)50歳のバースデーパーティーに向かうダイアナは、イブニングドレスにプレーンなウールのコートを羽織っただけのスタイルでした。

その後、すぐに何百枚ものデザイナードレスを所有するようになるのですが・・・。

 

その頃から、ダイアナの昔からの夢「結婚」への願望が高まり始めます。

 

1980年、いよいよチャールズ皇太子は当時19歳のダイアナを花嫁候補として真剣に語り始めました。

この頃のダイアナはロンドンで一人暮らしをしており、時折ダンスのインストラクターやナニー、また保育園のアシスタントなどアルバイトをして働いていました。

こちらの写真は、ピムリコのヤング・イングランド・キンダーガーデンで働いていた時のものです。

 

そして、幼少期から両親の離婚の痛みを経験してきたダイアナにとって、離婚の可能性が極めて低い王族はある意味、理想の相手でした。

 

様々な巡り合わせの末、王族の頂点チャールズ皇太子との恋が始まった今、ダイアナの人生にはついに一つの「目標」が出来たのです。

 

そう、「皇太子妃になる」という大きな目標が。

 

1980年12月、ロンドンのフラットの外で撮影された写真。レディ・ダイアナ・スペンサーは数百年来で王位継承者と結婚した初めてのイギリス人女性であり、王室史上初めて、婚約前に自身で仕事をして収入を得ていた人となります。

 

ダイアナ妃の生涯(人生)④へ続きます。

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ダイアナ妃の人生④チャールズ皇太子との交際からプロポーズ、婚約までの道のりと有名なサファイアの婚約指輪☆ニックネーム「シャイ・ダイ」の誕生とマスコミとの戦い

 

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