クレオパトラ7世の実際の顔は?本当は美人じゃなかった、鼻が低かったという不美人説もある!世界史で三大美女として名高い彼女の実際の容姿を解説&検証

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レオパトラは本当に美人だった?実際の容姿や不美人説もある!

 

クレオパトラ7世といえば、「世界三大美女」の一人に数えられるほどの大変な美人であったというのが私たちの一般的な認識です。

 

たくさんの男性を魅了し、虜にした女性として、女性たちの間では歴史の中の美女として現在でも人気を誇り、多く映画化、テレビ番組でも特集されています。

 

 

ですが、そんなクレオパトラ7世、「実際には不美人であったのではないか・・・?」という説も現在では存在しているのを皆さまはご存知でしたでしょうか。

 

何しろ時代が古いですので、クレオパトラ7世の実際の目鼻立ちや容姿については現在も謎に包まれている部分はありますが、有力な説はいくつか存在します。

 

と、いうことで、今回はこちらのブログで実際のクレオパトラ7世の顔・容姿について詳しく解説したいと思っています。

 

◆クレオパトラ7世の実際の容姿は?美しかった?

 

クレオパトラ7世のその「美人さ」を表す形容として、パスカルという中世フランスの哲学者は、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史も変わっていただろう」という有名な言葉を残しています。

 

長年にわたって、クレオパトラ7世は鼻が高く、すらっとしている美人であると言われ、伝えられてきました。

 

しかし、近年の「クレオパトラ7世は実は美人ではなかった」という根拠として、古代ローマの歴史家であるプルタルコスは、クレオパトラ7世について、「決して類い稀ない美人ではなかった」と評しています。

 

現代の科学では、古代の有名な人の墓を発掘や、彫刻や絵画からその特徴を洗い出し、骨格などからその人の容姿を再現する技術が発達してきました。

 

その中にはクレオパトラ7世のものもあり、彼女の実際の顔つきは、エジプト系ではなく、ギリシャ系の顔立ちであったとされています。

 

ギリシャ系の人の顔だちや容姿の特徴は、一般的には褐色の髪の色であることが多いです。

古代ギリシャ人は黒髪で、黒い目を持ち、褐色の肌を持っているとされています。

また、目力があり、通った鼻筋で、顎もスマートであることが特徴であるとされています。

 

ですが、実際のクレオパトラ7世は、鼻は長きにわたって作り上げられてきたクレオパトラ7世像やギリシャ人の特徴とは異なり、低かったとされ、また、肌の色はギリシャ系とは少し違い、白かったとされています。

 

そして、顔つきも、その当時の人々からしてもさほど美人ではなかったと云われているのです。

 

また、クレオパトラ7世の髪は黒髪で、ストレートであったとも、巻き髪であったともされています。

 

 

◆クレオパトラ7世が美人であったと言われる理由

 

クレオパトラ7世が実際には美人でなかったとしても、長い歴史の間ずっと美人であるというイメージが取れなかったのは、クレオパトラ7世のその生き様にあるのかと思います。

今回はその具体例もいくつか紹介してみたいと思います。

 

まず一つ目はその恋愛歴にあるといえます。

 

カエサルやアントニウスとの恋愛はその代表なのではないでしょうか。

 

特に、ローマの大将軍であるカエサルとの国境を超えた恋は、クレオパトラ7世が美人であったからではないと考えられないと当時の人々が考えたからであるといえます。

 

二つ目は、「肖像画は嘘をつく」ということにあります。

彫刻や肖像画は実際よりも美人に描かれるという特徴が実はあるのです。

 

実際はあまり綺麗な容姿ではなかったとしても、大勢の国民や他国の人々が肖像を見た際に、「クレオパトラ7世は美人である」という宣伝をした方が、様々な意味で国益になると考えられるからです。

 

クレオパトラもそれに倣って、わざと肖像を美人に描かせたといえます。(これは歴史の中でクレオパトラに限ったことではありませんね。)

 

三つ目は、クレオパトラ7世は自分を美しく見せるための努力を惜しまなかったという事です。

 

メイクやマニキュアなど美に関することを妥協する事なく行なっていたからであるとも言われています。

 

そう、現代の私たちと同じように、元々が美人ではなくても、努力して美人に見せていたのです。

 

そして、四つ目は、クレオパトラ7世が博学で機知に富んでいたという事です。

 

クレオパトラ7世は数カ国語を操り、美しい声をしていたとカエサルの記述に今も残っています。

 

クレオパトラ7世は未来の女王として幼少時より帝王学を学んできたことは間違いないですが、その中で、多言語を操るための努力をしていたことは間違いありません。

 

最後に五つ目は、彼女が最期の時、自分を蛇に噛ませて自殺した「悲運の女王」というクレオパトラ7世に対する美しいイメージにあります。

 

39年という短い生涯の中で、これだけの怒涛の人生を生き、最後は特に劇的な死に方をしたという事実が、「クレオパトラが美人である」という事を何よりも象徴したのではないかとも言われています。

 

クレオパトラ7世はどうせ美人だったんだから…と思うかもしれませんが、現実はクレオパトラの美人像はこのような努力や運命の上に実ったものです。

 

また、クレオパトラ7世のその人生(生涯)において、美しい女王というイメージだけでついつい羨んでしまうかもしれませんが、実際は幸せを掴んだと思った矢先に大切な人を失ってしまうという悲しみに満ちた人生でもありました。

 

クレオパトラ7世が実際に美人であったのか?そうでなかったのか?はこれからの技術の進歩でより明らかになると言われています。

 

確かに、美人である方がクレオパトラ7世の人生に私たちは憧れや面白みを感じるかもしれません。

 

しかし、クレオパトラ7世の本当に評価しなければならない部分は、絶世の美女と賞賛されるだけの努力と、女王としての覚悟に満ちた人生を生きた女性だったということにあるのかと思います。

 

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