アナスタシア⑦アナスタシアとロマノフ一家の最期、処刑の夜の死の真実。アナスタシア伝説の真相は?


こちらのブログでは、ロシア、ロマノフ王朝最後の皇女「アナスタシア」の人生(生涯)について追っております。

アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ 

モノクロ写真で現在も残る彼女の姿はどれも美形で美しいです。

◆これまでの「アナスタシアの生涯(人生)①~⑥」に関しましては、こちらの過去のブログ記事よりどうそ。

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皇女アナスタシアの生涯① ロシア革命で処刑されたロマノフ家の四女。その容姿は美形

アナスタシアの生涯②ラスプーチンとの関係 幼少期の環境とロシア革命までの経緯。

皇女アナスタシア③ 幽閉(軟禁)生活。革命後、イヴァチェフの館での恐怖と忍耐の日々。

アナスタシア④皇帝ニコライ2世一家殺害(銃殺)、アナスタシア生存説の真相

自分はアナスタシアだと名乗る謎の女性「アンナ・アンダーソン」の死後も、引き続きアナスタシア及びロマノフ一家の死の真相は謎に包まれたままとなりました。

ですが、1991年、「皇帝一家の遺体の埋められている場所を知っている」という地質学者だったアヴドーニン博士と彼の同僚が現れることになるのです。

このアヴドーニン博士と彼の同僚の二人は、ニコライ2世処刑の真相を様々な資料のもと推測し、なんと、皇帝一家の遺骨を密かに発掘していたのです。

ですが、当時のソビエト政権下、ロマノフ一家の処刑時に行われた、あまりにも残忍で非道な共産党の行為が、今後推進していく「世界革命」のマイナスイメージとなるため、党はその真相を固く隠蔽ていました。

そんな状況下でしたので、アヴドーニン博士と同僚は、突き止めたロマノフ一家の処刑の真相を世に明らかにすることは、自身の身にも危険が及ぶと考え、一旦掘り起こした皇帝一家の遺骨を再び埋め直し、そのことを堅く口を閉ざしてきたのです。

ですが後、ペレストロイカの時代が始まり、いよいよソビエト政権に崩壊の兆しが現れはじめたという頃、彼らはこの約10年間固く口を閉ざしてきた、彼らが知る皇帝一家殺害に関する衝撃的な真実をマスコミに公表するということに決めたのです。

そして、そこにはあのロマノフ一家の処刑の日に起こった、世にも恐ろしい惨事の様子が記されていたのです・・・。

★ついに明らかにされたアナスタシア及び皇帝一家の処刑の恐怖の真実

皇帝一家の処刑が執行された、1918年7月16日の深夜に起きたことが、とうとう世に明らかにされたのでした。

その日、皇帝一家は突然、深夜眠っているところを監視兵により呼び起こされました。

監視兵によれば、町で暴動が起こり、いつ何時ここへ暴徒が襲って来る恐れがある為に、一家は安全な場所に避難する必要があるということでした。

さらに現在、一家を輸送する車がこちらへ向かっているため、到着までの間、一家は館の地下室で待つようにと告げられたのです。

そして、このことからわずか30分後に、その地下室で身の毛もよだつような恐ろしい出来事が待ち構えていようとは、この時、アナスタシアを含む皇帝一家の誰一人気づいた者はいなかっただろうと思われます・・・。

皇帝一家は監視兵に、急ぎ、衣服を身に着けて部屋から出て来るようにと告げられました。

最初に、元皇帝ニコライ2世が、病弱で足が不自由だった元皇太子アレクセイを抱いて部屋から出てきました。

次いで、皇后のアレクサンドラとアナスタシアら四人の皇女たちが白い衣服を身に着け、ハンドバッグを携えて出て来ました。

またその時、アナスタシアは可愛がっていた「ジェミー」という小犬を抱いて一緒に地下室に連れていきました。

さらに、皇后付きの女中が輸送の車中で揺れるのを懸念してソファの枕を持って続き、その後コックと従者・・・ニコライ一家とその従者たちは全員で11名でした。

深夜、皆は館の地下室に続く薄暗い階段を、まるで寄り添い合うようにして降りていきました。
そして、このイヴァチェフの館の地下室は、室内にいくつかの椅子があるというだけで他には何もない部屋でした。

これが皇帝一家が最期を迎える、処刑現場となった地下室のドアになります。

彼らがこの地下室に移動してすぐ後に、三人の人物が入って来ました。

そう、彼らはこのロマノフ一家の、この日、この時の死刑執行の命令を受けていた人物たちなのです・・・。

地下室に入った三人は皇帝一家の方へ向き直り、その中のリーダーらしき人物が、厳かに、かつ無表情で皇帝一家に以下のように告げました。

「当ソビエト執行委員会は、ロシア人民に対して犯した罪により、あなたがたを死刑に処すことを決定した。」

それは、あまりにも突然の一家の死刑宣告でした。

そして、それをを聞き、一番驚きを隠せなかったのがニコライ2世だったといいます。

彼は「信じられない」という表情で、「一体、なぜ?」という身振り手振りをし、彼らに詰め寄ろうとしました。

ですがその時、死刑執行人の一人が無言で拳銃を即座に取り出し、問答無用とばかりに近寄って来るニコライ2世の顔をめがけて撃ち放ったのでした。

その銃弾は無残にもニコライ2世の脳天を一撃で打ち抜き、一瞬で脳漿を辺り一面のまき散らしました・・・。

元ロシア皇帝ニコライ2世は、その銃撃で即死だったといいます。

次いで死刑執行人の彼は、その時、椅子に座っていた元皇太子アレクセイを銃で撃ちました。

アレクセイは椅子から転げ落ち、哀れにもヒクヒクと痙攣しながら周囲をのたうち回ったといわれています。

一方、二人目の処刑人が、彼の隣にいた元皇后アレクサンドラに向かい、わずか一メートル程の至近距離から銃で撃ちました。

瞬く間に銃弾は皇后の口を貫き、彼女はのけぞりながら一瞬飛び上がると、そのまま床に崩れ落ち、目を見開いたまま無残な姿で死んだといわれています。

彼は両手を頭の上に上げていた従医を次いで撃ちました。

銃弾は容赦なく従医の顎を貫通し、また、三人の処刑人のうち誰が撃ったのかは定かではありませんが、その時同じく一家の従者だったコックが頭を既に銃弾で撃ち抜かれて死んでいました。

そして、三人目の処刑人は、四人の皇女たちを乱暴に床に押し倒すと、その彼女たちの上から残忍にも雨あられと銃弾を浴びせかけて殺害したといいます。

銃弾は弾がなくなるまで無慈悲に皇女たちに打ち続けられ、薄暗い地下室の中には、彼女たちの悲鳴と悲痛なうめき声が響き渡りました・・・。

美しかった4人の皇女たち。皆、悲惨な最期を遂げる運命にありました。

元ロシア皇帝ニコライ2世一家(ロマノフ一家)の処刑は、あまりにも無慈悲で無残な銃殺刑により、このようにあっという間に遂行されたのでした。

銃弾の硝煙が立ち込めた館の地下室の床は、血の海と化し、皇后や皇女たちが携えてきた帽子やハンドバッグなど、皇帝一家の所持品が血まみれになりそこに浮かんでいました。

一家が幽閉され暮らしていたイヴァチェフの館。

その薄暗い地下室は、今や、身の毛もよだつような恐ろしい地獄の光景に成り果てていました・・・。

やがて、外で待機していた委員たちが、皇帝一家全員の死亡を確認するために入って来て、生存している者がいないか一人一人確かめていったといいます。

そしてその時、皇太子アレクセイはまだ息があり、虫の息でしたが・・・微かにうめき声をあげたといわれています。(これは母のアレクサンドラにより、救出後の暮らしのためにコルセットに宝石がぎっちりと縫い込まれたものを着ていたため、銃弾を受けても致命傷にならなかったためだと言われています。)

ですが、それもそれまで。見つけた兵士が、哀れな彼の口の中に無残にも銃弾を打ち込み、即とどめが刺されました・・・。

また、ソファの枕(ここにも宝石が隠されていたといわれています。)を持って地下室に来た皇后付きの女中は、地下室の隅に逃げ込み、枕に顔を埋めて息を潜めて隠れてまだ生存していたといいますが、すぐに兵の一人見つかってしまいます。

そして、あまりの恐ろしさに悲鳴をあげようとした瞬間、銃剣で枕ごと喉を刺し貫かれて殺されました。

そしてこの時点で、実はアナスタシアもまだ生きていたのです。

驚くことに、この時、アナスタシアだけはまだ奇跡的に無傷で、銃弾を浴びせられ惨殺された三人の姉たちの死体に混じり、息を潜めて生存していたといわれています。

(これもやはり、弟のアレクセイ同様宝石が縫い込まれたコルセットを着ていたため、余計に苦しむ結果となってしまったのです。)

処刑時に奇跡的に難を逃れ、外国に亡命していたという生存説が人々に囁かれたアナスタシア。

ですが実際は、この状況の中では彼女もやはりそれまででした・・・。

兵士の一人が姉たちの死体とともにアナスタシアを足で転がして仰向けにした時、あまりの恐怖に駆られた彼女は「きゃー」という悲鳴を上げてしまったのです。(当たり前ですよね・・・。)

そして、ついに生きていることが見つかってしまったアナスタシアは、そのまま兵士に情け容赦なく重い銃の台尻で頭や顔、腹をめった打ちにされました。

頭を割られ・・顔面は血だらけ・・口からは鮮血を吹き出し、哀れ、彼女はたちまちに見るも無惨な屍と化してしまうのです・・・。

そして、アナスタシアが可愛がって地下室に連れてきた小犬までもが兵士に殴り殺されていたといいます。

そう、四半世紀にわたり人々の関心となり、アナスタシアを名乗る多くの女性が現れ世を騒がせた「アナスタシア生存説」は真実ではなかったということになります。

こちらが、皇帝一家の処刑現場となったエカテリンブルクのイパチェフ館の地下2階。

★処刑されたロマノフ一家の遺体の行方は?

このようにして、アナスタシアを含む元ロシア皇帝ニコライ2世一家とその従者たちの11名は、ことごとく悲惨な殺され方で処刑されてしまったのです。

全員の死が確認されると、その遺体からネックレスや時計など宝石や貴重品が次々に剥ぎ取られました。

無事に救出された後の生活の為、アナスタシアたち皇女はコルセットなどに宝石を縫い込んでいたといいますが、兵士たちはそれを奪い合いました。(一説では16キロものダイヤモンドが押収されたと言われています。)

そして、身ぐるみ剥がされた後の彼らの無残な遺体は、毛布に包まれ、外に待機していたトラックに積み込まれました。

そして、この処刑現場となったイヴァチェフの館から約18キロほど離れた廃坑へと運び、そこで焼却され隠蔽されるという手はずが整っていました。

彼らの遺体を乗せたトラックは山道を一時間ほど走りましたが、暗闇の中だったため目的の廃坑を見つけることが出来ないまま、じきに夜明けがきたため、それ以上動き回ることが不可能となりました。

そして、たまたま近くの森に2メートル程の深さの穴が見つかったため、一旦、彼らの遺体をその穴の中に隠すということになりました。

そして、一家の遺体は穴の中に一日隠した後、別の廃坑に移送、そこで焼却して隠蔽工作をするという予定に変更されましたが、またしても移送の途中のトラックが、ぬかるみにはまり立ち往生するというアクシデントが起こるのです。

仕方なく、皇帝一家の遺体はその場に穴を掘って埋めるということに変更になりました。

彼らは白衛軍(反革命派)の意表をつくために、わざと道の真ん中に遺体を埋めるということにしました。

そして、深さ2メートルほどの穴を掘り、遺体を一列に並べました。

血まみれの遺体は、全て衣服が剥ぎ取られ全員全裸の状態だったといいます。

遺体の識別不能にするために、バケツ二杯分もの硫酸が顔にかけられ、「ジュー」という遺体が焼ける(溶ける?)不気味な音を立てながら白い蒸気が立ち込めました。

そして、その後、即座に土がかけられ埋められました。

また、皇女マリア(三女)とアレクセイ皇太子の遺体だけは、こことは別の場所で焼却され埋められたといいます。

以上、これがついに明らかになった元皇帝ニコライ一家処刑(虐殺)のあらましであり、政府の隠蔽により四半世紀もの長きにわたり闇のベールに包まれ、「アナスタシア生存説」など多くの人々の関心を集めてきたこの一連の歴史の真相のようです。

そして、

「皇帝一家が逃走を試みたため、止むなく射殺した。」

これが当時の党の表向きの発表だったのです。

続きは、ロシア皇女アナスタシア⑧のブログ記事に続きます。

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ロシア皇女アナスタシア⑧遺骨の発掘とDNA鑑定。「アナスタシア伝説」とニコライ2世一家殺害事件(処刑)の結論は?

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公開日:2018年5月14日