ロシア皇女アナスタシア⑤アナスタシアを名乗る「アンナ・アンダースン」は偽物?映画化されブームとなった生存説の真相は?


ロシア、ロマノフ王朝最後の皇女「アナスタシア」の人生(生涯)をブログで特集しております。

前回のブログでは、ロシア革命により幽閉されたいたアナスタシアや元皇帝一家、とうとう一家全員銃殺で処刑されてしまうという悲惨な最期をむかえてしまうまでをご紹介いたしました・・・。

皇女アナスタシアこと、アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ(1914年頃)

◆これまでのアナスタシアの生涯(人生)はこちらのブログ記事にてどうぞ。

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皇女アナスタシアの生涯① ロシア革命で処刑されたロマノフ家の四女。その容姿は美形

アナスタシアの生涯②ラスプーチンとの関係 幼少期の環境とロシア革命までの経緯。

皇女アナスタシア③ 幽閉(軟禁)生活。革命後、イヴァチェフの館での恐怖と忍耐の日々。

アナスタシア④皇帝ニコライ2世一家殺害(銃殺)、アナスタシア生存説の真相

★アナスタシア生存説 アナスタシアを名乗る女性が続出。

ロシア元皇帝ニコライ2世一家が全員殺害されたという衝撃的なニュースは世界中を駆けめぐり人々に衝撃を与えましたが、当時、レーニンや革命政府は一家の殺害について固く隠蔽工作を計ったため、誰一人、皇帝一家殺害に関しての詳しい情報を知らないという状態でした。

ですので、ニコライ皇帝一家の殺害の真相は世間からは大きな謎とされ、後、ずっと神秘のベールに包まれていくことになるのですが、いつの頃からか、人々の間では「アナスタシアは生きている」という噂が流れはじめることになるのです。

世界中でアナスタシアが処刑時に一命をとりとめ、ロシアを逃れて国外で生きているという生存説が駆け巡り、このことは、後にいろいろな映画や小説の題材となり大反響となっていったのです。

テレビでもこの「アナスタシア生存説」を題材としたドラマが数多く制作され、高い視聴率を得ていました。

まさに、当時はアナスタシアブーム一色となったのです。

そして、多くの生存説が駆けめぐるなか、「自分はアナスタシアである」と名乗りを上げる女性が1920-30年代に次から次へと登場することになります。

その数、何と十年間で三十人!

ですが、彼女たちの言動はどれも具体性や信憑性、証拠に欠け、世の人々の好奇心を煽っては消えていくばかりとなります。

そして次第に、こういった生存説などの類のミステリー話は話題性こそはあれど、結局は娯楽話のガセネタに過ぎない・・・多くの人々がそう感じ、徐々にアナスタシア生存説に関心を失い始めていた頃、ある一つの衝撃的な事件が起こったのです。

★アナスタシア生存説の真相 アナスタシアを名乗る「アンナ・アンダースン」とは?

一九二〇年、氷もまだ溶け切らないドイツのベルリン市内の運河のほとりに、一人の女性が流れ着くという事件が起こりました。

彼女は体に深い傷を負っていて、さらに軽い記憶喪失と精神錯乱状態でかなり衰弱していました。

そして、発見後介抱され徐々に正気に戻った時、この女性が信じられないことを口にし始めたのです。

そう、自分は元ロシア皇帝ニコライ二世の末娘アナスタシアであると・・・。

こちらがベルリンで記憶喪失の状態で発見されたアナスタシアを名乗る女性「アンナ・アンダースン」です。

彼女はロシアで革命政府により処刑されるところを、なんとか一命を取り止め、運よく逃げて来たのだと言うのです。

その女性は傷を負いやつれ果てていましたので、ふくよかだったアナスタシアのその名残を風貌に見出すことはできませんでしたが、耳の形やほくろの場所など、肉体的特徴が似通っているところもありました。

また、額に小さな傷跡があること(アナスタシアが、いつも前髪を下げていたのもこの傷を隠すためです。)、また、足がひどい外反拇趾であることなどの身体的特徴もアナスタシアと一致していました。

そして何よりも、アナスタシア本人以外には知りえないニコライ2世一家の記憶やロシア宮廷に関する知識を口にしたことから、彼女こそがアナスタシア本人だと信じる者もあらわれ始めたのです。

事実、その証言の信憑性はそれまでの偽物の女性たちとは違い驚くべき内容でした。

その内容は、例えば、ある騎兵隊の大佐がロシア革命時に負傷のため病院に入院した際、アナスタシアを含む皇女たちの見舞いを受けたことがあたのです。

そしてその大佐曰く、アンダーソンの身体的特徴やハンカチの畳み方などふとしたさりげない仕種まで、皇女アナスタシアとそっくりで、一目会った時点でアナスタシア本人だと思ったと証言しています。

一方、アンダースンも、その時のお見舞いで訪れた際に見た大佐の仕草や癖を、まるで覚えているかのように、「あなたは歩きながら両手をポケットに突っ込む癖があったわね。」などと的確に発言しているのです。

★ロマノフ王朝の資産をめぐる裁判 「アンナ・アンダースン」の生涯とは?

これらのアンダーソンの信憑性のある証言や証拠は、世の中の注目をさらいました。

そして、彼女がアナスタシア本人に違いないと信奉する人々にとって、「やはりアナスタシア姫の生存説は本当だった。彼女は死刑執行人の魔の手から、辛くも逃れて生存していたのだ」と思ったに違いありません。

そして、人々の中でアンダーソンをアナスタシア本人であると支持する者、支持しない者に二分されていきます。

上「アンナ・アンダースン」、下「アナスタシア」。

全然似てないような・・・。

自称アナスタシアのアンダーソンの存在とその奇妙な運命は、ヨーロッパの王室をも巻き込み、賛否両論が入り乱れます。

ロシア帝室の生存者は一部を除いてはアンダーソンを拒否。

アナスタシアの祖母マリア・フョードロヴナ皇太后は決して会おうとはしなかったといいます。

ですが、ロシア帝室の主治医であるエフゲニー・ボトキンの息子で、かつてのアナスタシアの遊び相手であったグレブ・ボトキンやその姉のタチアナ・ボトキナなどは彼女の根強い支持者となりました。

あの美人女優と誉れ高いイングリッド・バーグマンは、このアンダーソンの主張に影響されて制作された映画『アナスタシア』で主演してアカデミー賞を受賞。(こっちのほうがどちらかといえばアナスタシアに似てます♡)

そしてその後、彼女は「アンナ・アンダーソン」と名乗り、ドイツでロシア王室の遺産を巡る訴訟を起こすことになったのです。

そう、何しろロシアのロマノフ王朝の遺産となりますと、相当な巨額なものになりますよね。

イングランド銀行に預金されている資産だけでも、数千万ポンド、時価にしますと数百億円をという巨額な金額になるのです。

ですが、彼女がアナスタシア本人であるという具体的な証拠を巡り、裁判所ははっきりとした判定を下すことが出来ませんでした。

アンダーソンはロシア語が話せない上に、アナスタシアが苦手であったはずのドイツ語を話していること。

また、肝心なところで記憶があやふやになる、さらに、顔が明らかに違うなど、彼女をアナスタシア本人だと断定するのには多くの疑問点が生じたのです。

裁判所に「証拠不十分」として却下されても、アンダーソン側は「新しい証拠が出た」と、また再審を要求。

そんな様子で切れ切れに裁判が続けられ、次第に裁判は長期化していく様相を見せ始めます。

そしてその間、アンダースンは、ロマノフ家に連なる旧ロシア貴族の一部を含む、彼女こそアナスタシア本人だと信奉する多くの支持者を得、彼らから手厚い施しを受けて生活していくことになりました。

「アンナ・アンダースン」

「アンナ・アンダースン」はその後、1968年に支持者の援助でアメリカ合衆国に定住、そして、アメリカ人の「ジャック・マナハン」と結婚し、ノースカロライナ州に居住します。

なお、この結婚はアンダーソンにアメリカ市民権を取らせるための結婚であり、この夫である「ジャック・マナハン」は、アンダーソンの信奉者の一人の裕福な男性で、自分は将来ロシア皇帝になる男であると吹聴していたそうです。

アンナ・アンダースンもまた、亡くなる直前まで「自分はアナスタシアだ」と主張し続けていました。

彼女の話によりますと、あのニコライ2世一家が銃殺により処刑された際、彼女は姉の陰になって死を免れたといっています。

そして、その後一兵士の援助を得て国外へ逃亡し、その兵士の子を産むが、やがて彼は他界、

彼女は親族のイレーフ王女の援助を得ようと一人ドイツのベルリンに渡ったものの、夫の死に落胆し、橋から身を投げたということでした。

そして、その際救助され一命をとりとめ、世に出てきたということになります。

また、故皇后アレクサンドラ皇后や姉たちが兵士にレイプされていたとも証言していますが、これは信憑性に欠ける作り話だと言われています。

アレクサンドラによる一家が監禁されてた78日間の日記が残されていますが、その内容は、皇太子のアレクセイの病状を心配していることや単調な日々が記録していて、兵士によるレイプなどが行われていた場合はこのような内容の日記を書くことはないとされています。

晩年のアンナ・アンダースン

アンダーソンは懸命な信奉者たちに生涯サポートされ、長期間の裁判を続けましたが、結局白黒を明確につけられないまま裁判はフィナーレを告げることになりました。

ベルリンの運河のほとりで発見されて以来、1984年にその生涯を終えるまでアンダーソンは一度も仕事を持たず、支持者からの手厚いサポートや援助金で暮らしました。

その晩年は数十匹の猫を放し飼いにするなど奇行が目立つようになり、町から追放されそうになったりしていたといいます。

このアンナ・アンダーソンというアナスタシアを名のった女性とは一体何だったのでしょうか?

当時、自身がロシア皇女アナスタシアだと名乗りを上げた偽者は、少なくとも30人が確認されていますが、その中で、これほど信憑性があり、多くの支持を集めたのはアンダーソンただ一人だけでした。

彼女は1920年代にはヨーロッパ社交界の華にもなりました。

彼女の証言の影響で、ハリウッドでは二度の映画化、少なくとも三本のTVドキュメンタリーも制作され、ニクソン大統領の就任式にも呼ばれるほどでした。

これほどまでにアンナ・アンダーソンが成功した理由は、彼女には他人を説得する天性の才能があったということ、また、耳の形や足の外反母趾などアナスタシアとよく似た身体的特徴があったこと、

そして、ロマノフ一族全員の殺害命令を下したレーニンが、ニコライ2世一家処の刑後に、「ニコライ2世は処刑されたが、家族は安全な場所にいる」という嘘の公式発表をしたことや、ソビエト政権が一家を処刑した事実を隠蔽し続けたことにあるとされています。

そして、アンナ・アンダーソンの正体は、自分をアナスタシアだと思い込んだ精神病者だったのだと思われます。

結局アナスタシアはあの処刑の時に本当に殺されてしまったのでしょうか・・・?

その真相の続きは「皇女アナスタシアの生涯(人生)⑥」へ続きます。

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アナスタシア⑥ロシア最後の皇帝ロマノフ家の悲劇、恐ろしい殺害の真実が明らかに。

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公開日:2018年4月7日