マリーアントワネット④ こだわりのお洒落~ ドレスやファッション、宝石、小物類など。性格や人柄なども画像満載で徹底分析☆

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マリーアントワネットの生涯④

今日はマリー・アントワネットのこだわりの豪華なドレスと、

気になる彼女の性格や人柄についてなんかをブログでご紹介してみたいと思います☆

結婚後王太子妃として、青春を謳歌していたマリーアントワネット。

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でも幸せな結婚生活を送れたのでしょうか?

と聞かれれば、単純にそうとは言えないようですね

よろしければ、お先にこちらのブログ記事もどうぞ♪

 ↓  ↓  ↓

マリーアントワネットの生涯① 幼少時代~ウィーンの宮廷での生活とモーツアルトからのプロポーズ♪母マリアテレジアの方が美女だった!?

マリーアントワネット② 未来を暗示する結婚式にまつわる四つの不吉。また、肖像画によって違う彼女の本当の容姿(顔)は?

マリーアントワネット③ 王太子妃時代~ 入浴や香水へのこだわりなど彼女がもたらした文化をエピソード満載でご紹介します☆

前回のブログ記事でも触れていますが、夫であるルイオーギュストは性的不能であり、夫婦生活が全くありませんでした。

そのため、アントワネットは子宝に恵まれる機会すら与えられず、

彼女本来の享楽的な性質が「好きなこと」に集中していきます。(当然ファッションや美容、インテリアなどですよね)

実は王太子妃時代は、あまりお洒落に興味を持っていなかったのです。

あのアントワネットが、ウィーンで暮していたころはもちろん、フランスに嫁いでからも決められた服を着ているだけだったというのは驚きませんか

ところが、王妃になると、年金もぐっと増え、自分の自由になるお金がたっぷりあります。しかも美しい容姿に恵まれている・・・宮廷人はこぞって彼女の優美な姿をほめ、憧れのまなざしで見つめ、お世辞の言葉を束にして捧げるのです。

そんな中、王妃としての自分の自覚が生まれたマリーアントワネットは、外見に気を配るようになるのも頷けますよね

そして、宮廷のライフスタイルやファッションに様々な影響をおよぼしていくのです

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◆ルイ15世崩御 フランス王妃に

1774年5月10日、ついにルイ15世が天然痘にかかり崩御します。

「臨終の秘蹟」にあずかるデュ・バリー夫人。

つまり追放です。

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デュ・バリー夫人

国王は腹心のデギヨン公爵に「万一の準備」として、厳格な修道院にデュ・バリー夫人の追放先を決めていたのです。

ルイ15世の最後のデュ・バリー夫人に対する愛情は、王太子夫妻から遠ざけ、

なるべく おとがめのないようにと配慮したと言えるでしょう。

そしてルイとアントワネットは、結婚後たった四年で国王と王妃になります

「まだ何も教えてもらってはいない」と祖父の死を悲しむルイ16世。

一方、アントワネットは王妃という最高の地位を得たことで、自由な意思を貫こうとしていきます。

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ルイ16世の載冠式

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晴れてフランス王妃となったマリーアントワネット。

ですが、礼儀を知らない立ち居振る舞いや、ルイ16世との冷えた関係は相変わらずで、

毎日のように舞踏会などを開催し、自分が気に入らない相手は宮殿から追い出すなど身勝手なふるまいを続けていきます。

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映画『マリーアントワネット』

また、まだ幼かった彼女にとって、ヴェルサイユ宮殿での生活はとても窮屈に感じ、

目上の公爵夫人たちを尻目に、軽いノリの若者を周りに集めて騒いでいたので、年配の女性たちからは反感を持たれるようになっていきます。

王妃となったマリーアントワネットは宮廷で嫌われていたの・・・?

ここで彼女の本来の性格について、少し分析してみましょう

◆人間関係のトラブルはきわめて少ない

マリーアントワネットはフランスに輿入れしたばかりの頃こそ、

ルイ15世の愛妾であったデュバリー夫人を徹底的に嫌いぬきました。

このトラブルは、母国オーストリアをも巻き込むほどでしたが、

それ以降は、目立った人間関係のトラブルはなかったようです

そもそも、デュバリー夫人とのトラブルにしても、まだ純真なティーンエイジャーだった彼女を、ルイ15世の娘たちがうまく操ってデュバリー夫人を嫌うように仕向けたことに原因があります。

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ルイ15世の娘たち 

左から、ヴィクトワール、ソフィ、ルイーズ。

貴族の女性から見れば、娼婦上がりの愛妾であるデュバリー夫人の存在に嫌悪感をいだいても、それは当然仕方のないことです。
でずので、デュバリー夫人との争いを見ただけでは、マリーアントワネットの性格や人柄が悪いとはまだ言えませんよね。

そして、このこと以外には、彼女の生涯はほとんど特定の誰かと争ったというエピソードは聞いたことがありません。

そして、もう一つは、アントワネットは些細な中傷やデマに対して鼻にもかけません。

これは金持ちけんかせずといった印象。

こうして考えていくと、

今回マリーアントワネットの人生を見ていく中での一つのテーマ『悪女』ということはやっぱり感じず、マリーアントワネットの本来の性格が、穏やかで優しい『いい人』だったからと推測します。




◆宮廷のファッションリーダー

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マリー・アントワネットのお洒落好きは現代でも有名ですよね

ここで、マリーアントワネットを語るうえで欠かせない、

彼女のこだわりのドレスについて徹底紹介いたします

マリー・アントワネットがはじめてマルリー宮殿に旅行したとき、シャルトル公妃から一人の服飾デザイナーを紹介されます。
それが、後にマリー・アントワネットのファッションを一手に引き受けることになる帽子デザイナーのローズ・ベルタンです。

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ローズ・ベルタン

第3身分であるローズ・ベルタン。

王妃の私室で半日以上も二人きりでこもり、新しい流行のドレスやヘアスタイルを考え出します

そう、アントワネットとこのローズベルタンこそ、現在のオートクチュールのはしりだったのです。

ベルタンは布地の見本やリボン、羽飾りをたくさん携えて、ヴェルサイユの宮廷に足繁く訪れてはマリーと面会し、
「王妃のファッション大臣」と称されるほど、宮廷内で一目置かれる存在となります

ちなみにアントワネットが王妃となった時のドレスもベルタン嬢のデザイン。

ベルタンは王妃が廃位する時までドレスを作り続けます。

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ローズ・ベルタンの店内

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こちらの渋い金色の生地、マリー・アントワネットの選んだ色はどれも大流行します。

「王妃の色」はアントワネットのグレイッシュなブロンズの髪の色から、

ルイ16世が呼んだ『蚤の色』まで貴族やブルジョワに大流行していきます。

王大子風、王妃の色とアントワネットの名称が様式にとりいれられていくのです。

こちらはアニメ『ラセーヌの星』での王妃マリー・アントワネット

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蚤の色のドレスでしょうか・・・?

こちらのアニメはベルばらほど注目されませんでしたが、

意外に史実に基づいてつくられていてビックリします

マリーアントワネットのドレスのエピソードとしては、

カバリュース邸の舞踏会で、王妃の座を奪われたと憎しみを抱くカトリーヌ夫人とマリーがドレス対決をします。

カトリーヌ夫人は生花の色とりどりのバラでドレスを飾りたて、勝ち誇るのですが、

マリー王妃は同じようなバラのマントを脱ぎ捨て、

「サン・ファの黒バラ」というとても珍しい黒いバラのみを縫い付けたドレスを披露し圧勝。

ドレス対決なんて、当時の宮廷のお洒落に対する執念をひしひしと感じるエピソードです

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ローズ・ベルタンデザインの帽子

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孔雀の羽をのせた王妃のパフ。

王妃のヘアスタイル パフ を真似る上流夫人たち。

その結い上げたパフにあう帽子をデザインするベルタン嬢

ベルタンの才能を知ったマリー・アントワネットは、それからというもの、ドレスに異常なほどの興味を抱くようになります。

日を追うごとに装飾がごってりとついたドレスを身に着けるようになり、

それに比例してヘアスタイルもどんどん華美なものとなっていきます

ベルタンの影響で「お洒落」が最大の関心事となったマリー・アントワネット
次々と積極的に自分の要望を盛り込んだファッションを楽しみ、周囲に大きな影響を与えました。

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当時のマリー・アントワネットは若さと美しさの盛り。
そのため洗練された彼女の服飾品はさらに輝きを増し、どれも非常に引き立って見えました

王侯貴族の女性達は、即座に王妃と同じ帽子や羽飾り、花飾りを持ちたがり、

ファッションやヘアスタイルを真似することに夢中になりました

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フランスの農民の女性たちが過酷な生活によって、

固い皮膚に深い皺をもつ「28歳の老婆」と他国で言われている中、

華やかなファッションの世界観を貴族や特権階級に広げていったのがマリー・アントワネットとベルタン嬢でした。

なかなかの野心家のベルタン嬢にとってアントワネットはまさに金の卵

ですが、新しいもの、趣向を凝らしたもの、贅を尽くしたものに対し、

王妃であるマリー・アントワネットという最高の顧客の存在は、服飾や工芸の文化の新しい技術やスタイルの誕生、服飾にまつわる文化の成長の原動力となったことは間違いないでしょう。

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マリーアントワネットのドレスの生地見本帳のレプリカです。

デザイン画集と実際の記事が貼り付けられています。

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ちなみに、デュバリー夫人もベルタンのドレスが好きで依頼していたようです。

舞踏会では常に新しいファッションを披露し注目を浴びていたマリー・アントワネット。

彼女が年間新調するドレスは約170着にものぼりました

彼女の身長は154cm。ウエストは58~59cm、バストが109cmで、当時のモードに合った理想的な体型で、どんな服も上手く着こなせたと云われています。

顔立ちに関しては意見の分かれるアントワネットですが、
痩せ過ぎぬほどにほっそりとした均整のとれた身体つきと、
ブロンズの豊かな髪を有していたことも、ベルタンにとってプラスに作用したようですね




アントワネットはコルセットで思いっきり絞ったウエストラインに、

バストがこぼれそうなくらい大きく開いた胸元、

そして、パニエでボリュームを出し大きく膨らんだミニのスカートというデザインのドレスを好んで着ていました。

これは、首からウエストにかけての上半身の細さを強調するためのデザインだったと言われてます。

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1780年代 当時のコルセット。

そしてバラやリボン、フリル、刺繍・・・女性なら誰もが大好きなキュートなモチーフが、たっぷりとドレスにデコレーションされているのも大きな特徴の一つ

本当に夢のように豪華なドレスです

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池田理代子さんの漫画『ベルサイユのばら』のアントワネット

オフホワイトやピンク、グリーンなど様々なカラーのドレスがありましたが、

アントワネットは少しくすんだ感じのお色がお気に入りだったようで、

一番好きなお色はブルーグレーだったと言われています

2013年のマリー・アントワネット物語展」では、実際にマリー・アントワネットが着たドレスの復元が話題になりましたよね

ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」 をイメージした空間に、浮かび上がるように展示されたマリー・アントワネットの 5点の復元衣装は、

シルク生地やアンティークレースなどの素材、制作、着せ方まで、史料をもとに忠実に再現されていました。

華やかなマリーアントワネットのドレスの世界をご堪能ください

「引き裾の宮廷衣装」

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こちらの肖像画、エリザベト・ルイーズ・ヴィジェ・ルブランの

「パニエドレスのマリーアントワネット王妃」を参考にして制作られたドレス

↓ ↓ ↓

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この絵では、王妃は「フランス風ドレス」といわれる協定ドレスで盛装用です。
スカートを膨らませるためにバニエを着用しています。
スカートを何段にも重ね、おリボンをたっぷり、ふんだんに付けたこちらのドレスは、

本当に豪華これぞ、マリーアントワネットっていう印象のドレスですね

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胸元の大きなおリボンは、当時の流行でした。

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背中に縫いつけられたひだのある引き裾(トレーン)は、床に大きく広がっています

肖像画では羽をさしたプリーツ入りの紗の帽子ををかぶり、
肩には百合の花模様のコートを羽織っています。

マリーアントワネットは宮殿儀礼にしたがって、
一日に数回ドレスを着替えるのが常だったようです。

そして、こちらはさらにアントワネットのラブリー趣味全開のドレス

「フランス風舞踏会ドレス」

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1989年のテレビ映画「フランス革命」で、マリー・アントワネット役の
ジェーン・シーモアが実際に着ていた衣装です。

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当時はフォーマルな舞踏会の他に、少しくだけた仮面舞踏会があり、
そこではこのような身軽な衣装で踊っていました

まさにロココ調ドレスの象徴のような可愛らしいドレス

ピンクのリボンと花の刺繍が、マリーアントワネットの若い可憐さを引き立てて、本当に素敵です

「イギリス風ドレス」

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『薔薇を手にしたマリー・アントワネット王妃』 ヴィジェ・ルブラン作

あまりにも有名なこの肖像画のドレスがこちら

↓  ↓  ↓

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「フランス風ドレス」に比べるとかなりすっきりとしたデザイン
次にご紹介する「シュミーズドレス」がイギリスから輸入したモスリンを使っている
ことで非難されたので、こちらのドレスは素材にはフランスの絹織物を使い、国内産業を保護していることを示す狙いもあったそうです。

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バックスタイルはこんな感じ

ローズ・ベルタンは、思いっきりゴージャスな路線を極めたあとは、

王妃の癒しとなるべく田園風のゆったりとしたドレスをデザインしたりもするのです。

さすが王妃のファッション大臣

決して顧客をあきさせないということも、モードの第一人者たる所以ですね

「シュミーズドレス」

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ヴィジェ・ルブランによる肖像画

「モスリンのシュミーズドレスを着た王妃マリーアントワネット」

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シンプルなデザインのドレス

カリブ海地方からパリに移り住んだ女性たちが流行らせたファッションを
マリー・アントワネットが取り入れたものです。

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プチ・トリアノンなどの私的な空間でしか着ていませんでしたが、
これを着た姿の肖像画をサロンに出展したところ、「下着のようだ」と顰蹙を買ってしまったそうです。
たしかに前出のドレスたちと比べると、これは下着に見えてしまうかもしれませんね

「羊飼いのドレス」

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「羊飼いのドレス」はプチ・トリアノンの模擬農園でくつろいだときに着ていた、
田舎風のドレスです

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上着、スカート、前掛けを組み合わせるようになっていて、

王妃のお気に入りだったようです

ちなみに、アントワネットは王妃になってから数年は、派手めなデザインを好んでいましたが、その後はシンプルなものを選ぶようになっていきます。

初めは例にならってルイ14世スタイルのドレスを着ていたアントワネットでしたが、後年は全く違う、彼女独自のスタイルを作っていったのです

復元されたドレスは、まるで 額から抜け出たかのよう・・・どれも見事に肖像画そのもの

身長154cmの小柄な彼女らしく、ドレスもそれに見合ったサイズで仕立てられていることにも注目です。

彼女は植物柄を好み、香水も当時の流行の動物性の香水を嫌い、花の香りの香水を使っていたました。

やっぱり私たちのイメージどおり、

とってもラブリー趣味の女性だったようです

また、ドレスの数々を見ると海外品の多さに気づきます

世界中のトレンドをいち早く取り入れるところが、マリーらしいですが、

王妃としては自国のフランス産を使わないことが賛否両論だったようですね。

パニエにはたくさんの種類がありました。

そうしてローブ、ジュップ(ペチコート=スカート)、胸当てのピエス・デストマ(ストマッカー)を身に着けます。

さらに髪を結い上げるのですから、身繕いには相当な時間がかかります。

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18世紀の身繕い(トワレ)

こちらは18世紀の女性の身づくろいの様子を描いています。

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王妃のトワレは、ドレスサンプルの中から、

謁見用、午後からの部屋着、そして正装、または仮面舞踏会用のドレスなど今日一日の衣装を決めます

衣装係は18世紀のロココのファッションに欠かせないコルセットや絹の靴下、ネックレスなどの装飾品(ジュエリー)、扇や手袋、パラソルなどの小物を用意します。

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現存するマリーアントワネットの宝石(ジュエリー)の一つ、イヤリング。

一体何ctあるのでしょうね・・・

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マリーアントワネットの扇子。

装飾が繊細~

見た目は可愛らしく女性らしいイメージのドレスですが、いざ着こなそうとすると上半身が締め上げられるので、とても息苦しそうですよね

やっぱりこの頃から、美を追求したり、おしゃれをするということには我慢がつきものいう考えがあったのでしょうか

当時のファッションは、パニエが大きく広げるのが、おしゃれな着こなしだと思われていたので、パニエを膨らませすぎて宮殿の扉が通れなくなったというエピソードもあります

お洒落というのは追求していくと、どうしても過剰になっていくものですからね・・・。

アントワネットの時代があまりにもゴテゴテしすぎだったので、後はギリシャ風の超薄着ほぼノーメイクが流行したともいわれています。

(おかげで肺炎で死ぬ女性が続出したとも・・・貴族女性のお洒落にかける情熱ははまさに命懸けですね




◆こちらはマリーアントワネットのパンプス

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オークションで落札されたこちらは、シルク素材で落札価格はなんと約648万

淡い若草色に淡いベージュがかったピンクの濃淡のストライプそしてさらにリボン

繊細かつすごく可愛らしいデザイン

現代の女性たちにも受け入れられそうな、素敵なデザインじゃないですか

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映画『マリーアントワネット』

マノロブラニクの美しい靴の世界が見応えありました

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ちなみにドレスは、映画ではベルタンがデザインしていたスタイルではなく、ディオールやガリアーノがデザインしたドレスで、こちらのドレスの世界観も素敵でした

パンプスの趣味を見てもマリー・アントワネットが可愛いものが大好きだったことがよくわかりますね

さて、マリー・アントワネットの衣装代ですが、湯水のごとく国費を費やしたといわれています

半世紀前(1725年)から、王妃の衣装代は年間12万ルーブルと決まっていました。

シーズンごとに正装用、礼装用、ドレスを各3枚、年間にすると各12枚が新調される約束で、最低でも36着は規則によって与えられます。

王妃に支出される公金(お手元金)は300~400ルーヴル。

ドレス代はこのお手元金とは別の予算になっています

当然マリー・アントワネットは衣装代の予算を超えていますよね

年間にして170着以上を購入していたといいますので、お針子の数も相当だったと思われます。

ですが、王室の費やす金額は、はたして財政を破綻させるほどのものだったのでしょうか

実際王室がアントワネットの衣装代に費やしたのは国庫の10%に満たないのです。

マリーアントワネットが浪費家と影でさんざん陰口を言われた原因は、

宮廷に出入りできる貴族の特権を無視し疎外したり、第3身分のローズ・ベルタンを宮廷の規則を無視して寵愛するような、勝手気ままなアントワネットへの貴族たちの仕返しともいえるのです

私が彼女に対する評価は、古いしきたり、自分の役に立たない宮廷人、そして自由を制限するものを、ばっさり切るなど向こう見ず。これが浅はかさだ。宮廷の革命と政治への介入になるから。

◆「モードの王妃マリー・アントワネット」

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これまでの歴代王妃はファッションでは影の存在でした。

それが宮廷の光ともいえる寵妃(愛人)と同じ存在になったマリー・アントワネット。

「これはフランス王妃の肖像画ではなく、派手に着飾った女優の絵!」

と、母マリア・テレジアは、アントワネットから送られた肖像画をみて愕然としました。
愛妾たちを道徳的に嫌悪していた王妃でしたが、

結局は寵姫にむけられるような陰口をたたかれてしまう結果となるのは皮肉なものです。

ローズ・ベルタンは、王妃のドレス担当として華やかな地位を確立し、莫大な富を築きました。

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歴史上では、アントワネットの途方もない浪費の元凶がベルタンにあったと矢面に立たされ悪役として扱われましたが、

21世紀に入った今では、「進取の気質にあふれ、モード産業を組織化し、国際的ビジネスウーマンとして活躍した女性」という新たな視点で捉え直し、後のシャネルなどにも大きな英雇用を与えたり、ファション史に与えた計り知れない影響が評価されています。

後もローズベルタンはアントワネットが幽閉されたタンプル塔に亡命するまで、相変わらずドレスを届けていたということです

王妃のドレス大臣は、才気と誠意に溢れる女性だったのです。

革命が起きると、王妃の注文書など証拠の書類をすべて処理し、様々な国を転々としながら、様々な国の貴族のドレスを作り、最終的にはロンドンに亡命。
革命後フランスに戻り、ナポレオンの第一帝政時代に、再び花を咲かせようとしますが、彼女の時代はすでに過ぎ去ったようで、引退を決意。

66歳で静かにその生涯を閉じます。

当時の農民の子供。

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当時のみすぼらしい農民たちの衣服は、死んだ人の服をお下がりで着るため、
病気で亡くなった人の衣服だと感染する危険もあったようです。

不衛生で貧しく、子供は20歳までの生存は50%。60歳までの生存は20%に満たないレベルの暮らしです。

平均寿命が25歳と35歳説がありますが、どちらにしても、当時の平民の女性の花の命は、限りなく短かったのです(というより無かったのかもしれません)。

過酷な労働と飢え。

硬い皮膚と深い皺の農民の女たち。

貧しく泣き叫ぶ赤子にお乳を与えることもできない。

平民たちは貧困に疲労しきっています。

ですが、フランス国民の現状をアントワネットは全く知りません。

また、知ろうともしていないのです。

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最期にもう一度、私の彼女の人柄や性格に対する評価は、

古いしきたりや自分の役に立たない宮廷人、

そして自由を制限するものをばっさり切り捨てる向こう見ずさ。

政治には全くと言っていいほど興味のない彼女でしたが、

結局こういったことで、宮廷の革命と政治への介入をしていたということが、

マリー・アントワネットの『浅はかさ』所以だと思います。

これから革命の渦に巻き込まれていく彼女の生涯は、続きのブログでご紹介していきたいと思います。

でもその前に・・・次回の記事はマリーアントワネットの髪形を色々研究してみましょう

↓  ↓  ↓

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