マリーアントワネット③ 王太子妃時代~ 入浴や香水へのこだわりなど彼女がもたらした文化をエピソードや画像満載でご紹介します☆

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オーストリアからフランス宮廷に輿入れしたマリーアントワネット。

今日は彼女の王太子妃時代のエピソードや、

彼女がフランスやヨーロッパ各国にもたらしたライフスタイルやファッション、文化などを、エピソードや画像も含めて色々ご紹介していきたいと思います。

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よろしければ、お先にこちらのブログ記事もどうぞ♪

↓  ↓  ↓

マリーアントワネットの生涯① 幼少時代~ウィーンの宮廷での生活とモーツアルトからのプロポーズ♪母マリアテレジアの方が美女だった!?

マリーアントワネット② 未来を暗示する結婚式にまつわる四つの不吉。また、肖像画によって違う彼女の本当の容姿(顔)は?

◆マリーアントワネット 王太子妃時代の宮廷生活は?

フランス王太子妃となったマリー・アントワネット。

彼女の美貌の最大の特徴は、生まれ持った艶やかな真珠のような白い肌でした

そして美しい金髪、ほっそりとした優雅な姿態・・・

そんな彼女の外見的な容貌は、
それだけでフランス王太子妃として、申し分のない気品を漂わせていました

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結婚翌年のマリー・アントワネット。

たびたび取り上げていますが、美女研究大好きな私としては、

ここで再び彼女の美貌の特徴を周囲の証言に基づいて再チェックしてみたいと思います

アントワネットの教育係であったド・ヴェルモン神父は、

「もっと整った美しさの容姿を見つけ出すことはできるが、もっとこころよい容姿を見つけ出すことはできない」

また、王妃の小姓であったド・ティリー男爵は、

「美しくはないが、すべての性格の人々をとらえる眼をしている」

「肌がすばらしく、肩と頸もすばらしかった。これほど美しい腕や手は、その後二度とみたことがない」

アンワネットの御用画家であったルブラン夫人は、

「顔つきは整っていなかったが、肌は輝かんばかりで、すきとおって一点の曇りもなかった。思い通りの効果を出す絵の具が私にはなかった」

と述べています。

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マリーアントワネットの肖像画は多く残されていますが、現存する王太子妃時代の絵は非常に少ないです。

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それに加え、オーストリアの名門、ハプスブルク家で受けた豊かな教育と、

母親マリア・テレジアの深い愛情に包まれて育った幼少時代の影響は、

彼女に『天真爛漫な明るい愛らしさ』を与え、

宮廷のみならず、市民からも熱烈な歓迎をもって迎え入れられました

ことさら、彼女の身のこなしの優雅さには定評があり、前述のド・ティリー男爵は

「彼女ほど典雅なお辞儀をする人はいなかった」

ルブラン夫人は

「フランス中で一番りっぱに歩く婦人だった」と述べています。

ベルサイユ独特の足をあげずに滑るように歩く

「ベルサイユの摺り足」は彼女を参考にするべきとされていました

そして、周囲を魅了する気品と愛らしさを兼ね備えたマリー・アントワネットの存在は、
いつしかライフスタイルやファッションのお手本として、

フランス国内だけでなく、ヨーロッパ各国の貴族の注目をも集めるようになっていくのです

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こちらも王太子妃時代のマリーアントワネット。

ヴェルサイユの宮廷生活では、王太子にとっては叔母にあたる面々や、

ルイ16世の兄弟や妹たちがアントワネットを取り巻きます。

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ルイ15世の娘の王女たち。

父ルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人を疎んじていたこの叔母たちは、

デュ・バリー夫人への対抗馬としてマリー・アントワネットを利用します。

宮廷の女官たちもデュ・バリー夫人派、王大子妃派に分かれ、サロンのデファン夫人は「犬と猫のいがみ合い」と冷笑していたようです。
マリーアントワネットは『愛妾』という立場への道徳的な嫌悪感を感じていたといいますが、結局はそのことよりも、どちらが宮廷で一番なのかという張り合いだったようです

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漫画『ベルサイユのばら』でも取り上げられたこの女のバトル

詳しくはこちらの記事もどうぞ

↓ ↓ ↓

デュバリー夫人① 『べルサイユのばら』でお馴染みのルイ15世の愛妾。その性格や過去の人生、宮廷生活、マリーアントワネットや首飾り事件にまつわる因縁とは?

ルイ16世の兄弟たちには、プロヴァンス伯(後のルイ18世)、アルトワ伯(後のブルボン朝最後の国王シャルル10世)。

妹はマダム・エリザベート(彼女は最後まで王妃と運命を共にしました。)がいます。

また、王大子妃時代の女官には回想録で知られるカンパン夫人と、ランバル公妃(彼女も後にフランス革命によって悲劇的な最期を迎えることになります・・・。)がいました。

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ランバル公妃 マリー・ルイーズ

王太子妃時代は単調な毎日だったようです

1770年、王太子妃時代のアントワネットが、母マリアテレジアに宛てた手紙に書かれた彼女の日々は次のようになっています。
●9時半~10時に起床
●朝のお祈り。
●朝食後は叔母様方の部屋で過ごす。
●11時から髪のセット。
●正午より拝謁。
●ミサ。
●昼食後、自由時間。
●15時に叔母様方の部屋へ。
●16時に神父訪問。
●17時から18時はクラウサンか歌の稽古。
●18時半から散歩。
●19時から21時までトランプゲームか散歩。
●21時より夕食。その後は叔母様方の部屋へ。
●22時45分に国王が現れるのを待ち、23時に就寝。

手紙の最後に「これが私の一日の全てです」と書かれているのが妙に物悲しくも感じられます・・・

叔母様方の部屋へ一日に三度も行かなければいけないことも謎です・・・

この一日を見ると自由というものほとんど感じられませんが、
この反動か?王妃となってからの彼女は自由奔放に過ごすことになります。

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図書室にて。
本を読むことよりも図書室の装飾やインテリアに凝ってしまったのだそうです。
マリーアントワネットらしい可愛らしいエピソード

ちなみに彼女は大人になってからも、一冊の本をも最後まで読み通すことが出来なかったと言われています・・・。

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マリーアントワネットの直筆の手紙も多く残されています。
彼女の文章には綴りに沢山ミスがあるのだそうですが、
文字の訂正箇所も見られます。

単調な日々とはいえヴェルサイユ宮殿の王太子妃ですから、それなりに青春を謳歌しているようですね

この頃のフランスは、ベルサイユ宮廷を中心にロココ主義といわれる文化の絶頂期でもありました。

仮面舞踏会、オペラ、観劇、バレエに音楽、そして賭博・・・ 退廃的な享楽に身をまかせる日々

彼女の夫である王太子(後のルイ16世)は、気が弱く鈍感で不器用、

何事にも優柔不断な人物だったとあります。(端的に言えば、でくのぼうのような男だったみたい)。

彼は妻のアントワネットとは趣味も気質も全くの正反対。

しかも、一種の性的不能者であり、結婚後7年間も彼女を処女のままで放置していたという事実もありました。

そして、そのことが、マリーアントワネットの精神構造に少なからず影響を与えたようで、

結婚後王妃になってから、たがの外れたような遊びや贅沢三昧の暮らしに浸り、スキャンダラスな噂の中心人物になっていくのは、度重なる夜のいら立ちとベッドでの屈辱を味わわされた反動だと言われています。

ですが、まだ14歳の少女が夜の営みに「精神的な打撃と屈辱、そして不満」を持つのでしょうか?

いずれ世継ぎを産むという責任はあるにせよ、10代の少女が、華麗な宮廷で過ごすこととなれば、誰でも華やかなパーティーに出かけて、お洒落や恋愛を楽しみたいと思うのは当然のことと思いませんか?

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ソフィア・コッポラ監督 映画『マリー・アントワネット』

1774年、仮面舞踏会でフェルセン伯爵と出会います。

マリー・アントワネットとフェルセン伯爵の恋愛については、『恋愛ごっこ』はあったものの、取り巻きと同じで、彼は恋心を抱いていたかもしれませんが、それを忠誠に置き換えたのではないかと言われています。

また、子供の頃から活発だったマリー・アントワネットは、じっとしているのが苦手でした。
いつも何かしていたい性分の彼女は、馬を走らせるのも得意でした。

母マリア・テレジアは、落馬して子供が生まれない体になったら大変だからと、何度も乗馬を止めるように説得しましたが、一向に止めなかったといいます。
(その母も乗馬の名手でした)

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乗馬を楽しむアントワネット。

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狩猟服を着た王妃マリー・アントワネット
狩猟の服装にも気を配っていたアントワネットは、好きなバラの花を一箇所につけていました。

ボタンもダイヤモンドにするなどさすがです
乗馬スタイルの凜とした姿勢は高貴な生まれの彼女にふさわしく、アントワネットはこの気高い態度を最期の瞬間まで保ち続けます。

◆マリーアントワネットが当時のフランスやヨーロッパ、そして現代にもたらしたもの

アントワネットがフランスにもたらしたものとして有名なのは、入浴の習慣も一つですよね。

当時のフランスではまだ入浴の習慣がなく、むしろ身体は垢でおおわれていた方がバイ菌がはいらなくていいとされていた始末・・・(冷や汗)。

実はパリもベルサイユも不衛生極まりない、とんでもない環境だったのですよ

個人的に興味深いので、そのことについてはまたブログでご紹介してみたいと思います。

一方アントワネットが幼少期を過ごしたオーストリアでは、入浴の習慣がありました

更に、お風呂に入り体を清潔にするようにと母から教育を受けていたので、結婚後も毎日お風呂に入る習慣を続けていました。

朝になるとヴェルサイユ宮殿内のアントワネットの寝室に、スリッパの形をした大きなバスタブが運び込まれ、お湯が注がれた後、彼女はガウンをまとったままバスタブに入ります

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薄いネグリジェのようなものを着て入浴していました。

すると、コーヒーやショコラとクロワッサンの簡単な朝食がバスタブの蓋の上に置かれて、

入浴しながら朝食をとります。

入浴が終わったら大きな白い布で包まれ、女官たちが体を拭いてくれた後、温めておいたベットに入ります。

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マリーアントワネットが入浴後に使っていたベッド。(カルナヴァレ博物館)

寝室なので石鹸でゴシゴシ体を洗うことはできないため、ただ汗を流すために湯につかるという感じの入浴だったようです

◆マリー・アントワネットの香水革命

当時、香水といえば『体臭を消す』という目的で使われていたため、
フランスの貴族はムスクのような動物系香料を使った濃厚な香りが主流でした。

中世以降、動物性のきつい香りが病気除けになるとされて、
貴族たちは香水玉に入れて持ち歩いていたんだとか。

しかし、香水のきつい香りと汗臭い体臭が混じり合った臭いは、鼻につくほど強烈なものでした
なんだかかえって具合が悪くなりそうですよね・・・

一方、子供の頃から入浴の習慣に親しんでいたアントワネットにとっては、

香水は体臭を消すものではなく香りを楽しむものであり、日常的に使っていました。
そして、植物を使ったナチュラルで軽やかな香りを愛用しました。

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動物系の香りを好まなかったアントワネットは、

バラやユリなど香しい香りのある花や、ローズマリーなどのハーブといった植物系の軽やかな香りの香水を好んで愛用していました

やがて濃厚な香りの香水を身にまとっていた貴族たちも、アントワネットが愛用する植物系の香水を好むようになり流行するようになります。
(後にマリーは自分の香水の材料となるバラやハーブをプチ・トリアノンで自ら栽培していたと言われていますから、本格的な香水通ですね)

彼女の清潔好きは、後に幽閉されたタンプル塔にさえも、浴槽と香水が持ち込まれたという記録があるほどです。

そして、アントワネットは他にも様々なものを考え出しています

◆ハンカチを現在のように正方形の形に決めたのもマリー・アントワネット

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ハンカチの起源は古く、古代エジプト時代からありました。

「ハンカチーフ」というように、帽子の無い時代のヨーロッパでは、女性達が布、つまりハンカチーフで頭を覆っていたといいます。

様々な形や、宝石を飾った豪華なものがあったそうです

ルイ王朝時代は、ハンカチは絹製の大型で貴重品であり、

親から子へ受け継がれるもの、また男性から女性へ贈る「愛の印」とされていました。

17世紀の後半は、ロココ調のデザインが主流になり、卵形・長方形・三角形などの様々な形、貴族達が刺繍や豪華な飾りなどで、贅(ぜい)を競う持ち物の一つでもあったそう。
ところがなぜか?様々な形のハンカチがあることを煩わしく思ったマリーアントワネット。

彼女が「国内のハンカチはすべて正方形に」と進言したことから、1785年、ルイ16世が「ハンカチのサイズは縦横同一たるべし」との法令を布告したのです。

マリー・アントワネットの鶴の一声から、以後ハンカチは正方形になったようです。

そのため、彼女の誕生日の11月2日は、現在ではハンカチの日とされています

更に、シャンパンを飲むのに使われる、口が広いクープグラスはアントワネットの左胸を形どったものだと言われています。

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◆チョコレートを固形化したのもアントワネット

また、当時は液体状しかなかったチョコレート(ドリンクチョコレートのようなものですね)

を固形化したのもマリー・アントワネットのアイデアの一つです

当時のヨーロッパでは、上流階級の間で稀少なチョコレートをいただくことが一つのファッションでもありました

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「パンティエーヴル公ファミリー」シャンパルティエ・ジャン・バプティスト

ヨーロッパ諸国の宮廷や貴族のスティタスである「チョコレート(ショコラショー)」を飲むシーン。

中央はマリーアントワネットの女官であり友人のランバル公妃マリー・ルイーズ。

マリー・アントワネットは輿入れの際、お付きのチョコレートを作るショコラティエも連れて来ました。

甘党の彼女の朝食はチョコレートドリンクと甘いブリオッシュでした

アントワネットのチョコレート職人は、彼女のためにオレンジの花を入れたチョコレートドリンクや、甘いアーモンドを入れたチョコレートドリンクを考案します。

当時は飲料しかなかったのですから、何かを混ぜるということと、トッピングが工夫のしどころ

卵白を泡立てたものをのせ、パウダシュガーをかけ、さながら今のスターバックスやタリーズなんかのドリンクのようにお洒落なチョコレートドリンクを、美しい陶器のカップに入れて供しました

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チョコレートを運ぶ娘  リオタール 

チョコレートをサーブする召使の絵です。

マリーがフランスに嫁いでから七年ぐらいたったある日のことです。

王室薬剤師のスルピス・ドゥボーヴがマリーに薬を持参すると、マリーは「こんな苦いお薬は飲めませんわ」

とこぼします。

「ウイーンでいただきましたチョコレートは、それはそれは甘くておいしゅうございましたの」と彼女が言うので、ドゥボーヴは、それならばと考案したのが、

薬を包む固形状のチョコレートでした(現在のオブラートみたいな感覚?)

この逸話に基づいて生まれた本格派チョコレートが現代でも味わえます。
ドゥボーヴ・エ・ガレ「マリー・アントワネットのピストル」

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ドゥボーヴ・エ・ガレの「マリー・アントワネットのピストル」は、ポリフェノールが豊富なカカオの含有量が多い商品もあり、バレンタインデーの友チョコや自分チョコにおススメです

数々のエピソードから、マリー・アントワネットはファッションや楽しむことが大好きな女性だったことがよく伝わってきますね

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マリーアントワネット④では、豪華なマリーアントワネットのドレスを中心に、

彼女のファッションについて色々ご紹介していきたいと思います

↓  ↓  ↓

マリーアントワネット④ こだわりのお洒落~ ドレスやファッション、性格や人柄を画像満載で徹底分析☆

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公開日:2016年5月26日